七星剣

◆天文民俗学目次へ. ■ホームページへ



 七星剣という北斗七星が刻み込まれた直刀があり、その七星の横には河鼓三星(鷲座三星)と 織女三星(琴座三星)らしきものが描かれている謎についてのお話です。


現存している有名な七星剣の種類

●四天王寺伝来「聖徳太子御所佩の剣」と言われる国宝
 聖徳太子が所持していたといわれる七星剣は、黒ずんだ鉄の直刀(20cm)で、表に金象眼五飛鳥雲・ 中央に北斗七星・七星の両側にV字型の三星と横に並んだ3星に青竜と白虎が刻まれ、 裏には雲紋と北斗七星・それに青竜と白虎が刻まれております。

●正倉院・「呉竹鞘杖刀(くれたけさやじょうとう)」
 奈良時代のもので、表は金象眼で天平雲に北斗と三星が二つと斜め3列の6星・ 裏は星の順序が反対に模様が刻まれております。

●法隆寺金堂・持国天の模造七星剣(銅製)
 雲紋・北斗七星そして日・月が刻まれております。

七星剣に刻み込まれた星の意味は

●最初の七星剣
 最初に「七星剣」を持っていたのは「呉越春秋」に呉の伍子胥(ごししょ)が所持していた剣で 「この剣中に七星あり価百金に直す」とあるそうです。(A1)

 伍子胥は、中国・春秋戦国時代の「呉」に於いて兵法家「孫武(孫子)」を招き、 「屍に鞭打つ」の故事を残した人物です。

●七星剣とは
 七星剣は古代の中国におきまして、国家鎮護・破邪滅敵を目的として造られ、 その剣に刻まれた北斗七星は、宇宙の中心である北極星(天帝)を守ることを表しておりました。


          。輔星
           ○--------○------○天権   ○天枢
           /  開陽      玉衡 |     |
         ○          ○----------○天[王旋]
        搖光         天[王幾]

 中でも搖光は「破軍星」とも呼ばれまして、この星に向かって戦いを挑めば負け、 この星を背にして戦えば必ず勝利すると云われておりました。

●織女三星と河鼓三星
 七星剣の北斗七星の両側に描かれている織女三星と河鼓三星らしきものは果たして 七夕伝承と関係があるのでしょうか。

 確かに中国の星座区分「二十八宿」に意味付けられていた役割で云えば、 天帝の守護としての河鼓三星(軍隊・将軍を管轄)は良いのですが、 織女三星(果物・織物を管轄)は合わないですし、 何にもまして「破邪滅敵の神剣」に牽牛に会えないため涙する織姫を刻み込むのは合いませんね。 それに織女三星と河鼓三星の間には北斗七星ではなく天の川があるのですから。

       アルタイル          ○ ベガ
    ○-------○------○              /  \
            河鼓三星         /    \織女三星
                                    ○        ○
                                           

 この北斗と織女三星と河鼓三星につきまして、 時代を春秋戦国時代以前に遡り、道教の原始段階の信仰の考えを持ち出すならば 「北辰と太陽と月」がセットと記憶しています。 この中の「太陽は最高の仙人である東王父」「月は最高の仙女である西王母」としてあらわされます。

 「織女三星」と「鷲座三星」の間が「天の川」であるならば七夕伝承とはっきりわかりますね。 しかし中心に描かれているのが北斗七星となりますと、牽牛と織姫の話より前の、 「西王母=織女三星」「東王父=鷲座三星」段階であったとも考えることは そう無理なことではないと思います。う〜ん、結論が出せないまま泥沼にはまってゆきますね。 こうした資料を圧倒的な数集めれば良いのでしょうが、大変(^^;


三星の正体は?

●殷の東母と西母(絶対神の東西分離1)
 殷の壁画には扶桑に座る西王母がいることから、宇宙の中心としての役割があったことが推定できます。 その宇宙の中心が北斗(子熊座のβ又は真の天の北極ではないかと思います)であり、 その象徴である絶対神が殷の十日神話であらされる「東母と西母」の「東西」に分離した段階が 「七星剣」に表れているのではないかとも考えられます。
●春秋時代の西王母と東王父(絶対神の東西分離2)
 壁画を調べましたら、世界を貫き宇宙を回転させる軸である世界樹が盛んに描かれるようになったのが「春秋時代」です。ここに世界樹に座る西王母、又は反対側に東王父がいる西王母が描かれております。つまり春秋時代では牽牛織女ではなく、まだ東王父と西王母の段階であったとも考えられます。 これは丁度伍子胥の時代にあたるんですね。

●西王母と黄神(絶対神の天地分離)
 淮南子に「西老は勝を折り、黄神は嘯吟す」とありまして、 その注に西老を西王母・黄神を黄帝の神であるとしています。 また同じく注に黄神は大地の中心にいる土神であるとしています。 「山海経」では西王母のいる崑崙山には黄帝がいるともあります。 別の文献では黄翁が西王母はかつて自分の妻であったとするものがありまして、 「黄」の文字は西王母とも対を表した可能性があります。 これが正しければ西王母との対神は東西関係ではなく天地関係のものもあったとも考えられます。

 荊楚歳時記の注に「河鼓と黄姑とは牽牛のことで言葉が訛ったものである」とあります。 牽牛はしばしば黄姑と呼ばれることがあったらしく、黄帝との混同や、 牛飼いが二十八宿の牽牛から河鼓へ移動した理由であることも疑われる注ですね。
 その後の宗の時代には牽牛織女の祭壇の名が「黄姑」といったそうです。

○北斗と織姫(単なる資料^^;)
 唐代のはなしで、織姫に巧みさを授けて貰おうとする話があります。
「わたくしが、聞いたところによりますと、天孫たるあなた様(織姫のこと)は、 天上において「巧」を司られ、[王旋][王幾]をめぐらせて、星々を運行させ、 あや模様を作り上げて・・・[]で1文字 

    これは織姫が星々を運行させ宇宙の秩序を織りなしている。との前置きの話なのですが、 [王旋][王幾]は北斗七星のことであろうと思うのですね。

  最近思うのですが、七夕伝承の源は「西王母・黄神」「西王母・東王父」「織女・牽牛」が ある程度共存していて、悲哀なお話であります「織女・牽牛」が説話としてもっとも 良く残ったのではないかと感じてきました。

●スバルと北斗七星
        ○  ○  ○
       /| /| /
      / |/ |/
           ○   ○  ○    昴(すばる)プレアデス星団
                                           

 野尻抱影(A13)さんは七夕伝承から七星剣の絵が刻まれているのなら 「北斗」と「六星(スバル)」が合わないと云って居られます。

 しかし七夕伝承の「七星型」に注目すれば、織女は天帝の7人いる孫娘の1人でありますから 北斗七星と関係があることは確かですね。

また、例えばタイの天孫降臨では1人帰らないでスバルが6星になってしまったはなしなどあります。 昨年の七夕調査のように「七星型」には「北斗七星型」とスバルの「7−1」の七星始祖型が ありますので、完全否定はできないと思います。野尻さんごめんなさいね!


 いつもの通りまったく確証はありません。でも最近確証を求めるのは不可能に近い気がしてきました。 類例を多く集めて「こうであったであろう」と結論出来れば大したものなのですけれど・・・ なかなかネ(^^;


参考引用文献一覧

A01★西王母と七夕伝承☆小南一郎著☆平凡社☆全般★
A02★日本民間伝承の源流「日本基層文化の探究」☆君島久子編☆第2部
A03★年中行事を「科学」する☆永田久☆日本経済新聞社☆第4部
A04★中国の科学・世界の名著12☆藪内清著☆中央公論社
A05★世界の歴史3・中国のあけぼの☆貝塚茂樹他著☆河井書房新社
A06★孔子の見た星空☆福島久雄著☆大修館書店
A07★比較神話学の展望☆松原孝俊・松村一男編☆青土社
A08★世界の歴史1・人類の誕生☆宮崎市定著☆河井書房新社
A09★世界の歴史7・大唐帝国☆今西錦司著☆河井書房新社
A10★道教百話☆窪徳忠著☆講談社学術文庫
A11★道教の神々☆窪徳忠著☆講談社学術文庫
A12★星座春秋☆野尻抱影著☆講談社学術文庫
A13★星空のロマンス☆野尻抱影著☆講談社学術文庫

B1☆楚辞
B2☆淮南子
B3☆史記
B4☆列仙伝・神仙伝☆劉向・葛洪著☆平凡社
B5☆山海経☆高馬三良訳☆平凡社
B6☆荊楚歳時記☆東洋文庫

C01●中国古代の民俗○白川静著○講談社学術文庫
C02●中国古代の文化○白川静著○講談社学術文庫
C03●淮南子の思想○金谷治著○講談社学術文庫
C04●星の民俗学○野尻抱影著○講談社学術文庫
C05●星の神話伝説集○草下英明著○教養文庫
C06●サガとエッダの世界・アイスランドの歴史と文化○山室静著○現代教養文庫
C07●新訂・古事記○武田祐吉訳注○角川文庫ソフィアY-1

C08●道教と東アジア・−中国・朝鮮・日本−東アジア基層文化研究会・福永光司編・人文書院

▲トップへ. ◆天文民俗学目次へ.■ホームページへ