持統天皇の「春過ぎて・・・」の和歌は、初夏の光が見える歌として 有名であります。でも私、前々からこの歌はなんか変だな(^^;と思っておりまして、ハイ。まだ調べたりないので、取り敢えず今回は、徒然なるままに・・・(^^;
はるすぎて、なつきたるらし、しろたへの ころもほしたり、あまのかぐやま
この持統天皇の歌は万葉集にあります。 「春も過ぎて夏がやってきたらしい。白い衣を乾かしている天の香具山よ。」この歌は持統天皇が即位して8年目、藤原宮に遷都した年に詠まれた歌であるようですが、 前後の文章からすると、天武天皇の皇后であった時代の可能性がらしいです。
でもね。私、この歌なんか変な気がするんですね。「春過ぎて」「夏が来る」って あまりに当たり前ではないですか(^^;それならワザワザ31文字しか使えない和歌に 「春過ぎて」を入れる必要がないように思うのです。
言葉の調子で「春過ぎて」を入れたのでしょうか?ここからは素人の特権。 勝手な妄想をしてみます(^^;
まず、それまでは四季を表す言葉又は概念がなかったのではなかったのか? そこでわざわざ「春過ぎて」の後に、「なつき(来)た(至)るらし」と 夏が来るに至ったとクドク言う必要があったのではないかと想像してしまいます。そこで色々な本をパラリコセとひっくり返していましたら 「万葉集(一)和歌文学大系1明治書院・稲岡耕二著」に似たような事が書いてありました。 ナハハ。見っけたと思ったんだけどな(^^;)
それにしても三種の神器の内2つを香具山に置いて、アマテラスちゃん出ておいで、 って言う由緒ある山に、なんで白い衣干すんだろう?まさかふんどしじゃないでよね(^^;
冬至が過ぎ、太陽が復活し、歳神を迎えるなど正月の行事を行なう。 春は「ハレ」であり芽吹く「張る」である。・・・民俗学の本なんかみると、よくこのように書いてあるんですけど、 ちゃんとした民俗学の下地のない私にはどうも言葉遊びみたいにしか見えない・・・ こういうの、なんかピンと来ないんですよね(^^;
春過ぎて(春)、なつきたるらし(夏) しろたへの(秋) ころもほしたり、あま(天)の かぐ(冬)やま(地)
五行陰陽説の用字(四時順行)を揃えた政治理念であり、帝王としての意識の表れ。 ・・・うみゅ〜〜なんだか難しい(^^;
季節で言うと「春夏秋冬と土用」・方角で言うと「東西南北と中央」の五方・・・ ・・・うみゅ〜〜なんだか難しい(^^;
うんと。万葉集のままの、万葉仮名で考察しています。
春(東)過而、夏(南)来良之、 白(西)妙能 衣乾(西北(天))有、 天(天)之香(中央)来山(地)
「乾」は陰陽又は易において西北である。「香」は芳香を表し、神聖な山から香るを意味し、 中央は天の聖儀を行なう場所であり・・・と文字で表す場合、陰陽の思想が入っているとする 説。以降ムズムズカシカシなことが延々と並んでいるので、まだ読んでいない(^^;
持統天皇はもともとは天武天皇の皇后でありました。 天武天皇が陰陽師第一号と言っても良いですから(^^;和歌に陰陽の思想が入っていても 不思議ではないですね。さて日本書紀のよれば、推古天皇の時に百済から暦天文の書が来ており、 持統天皇の時690年11月「勅を奉りて始めて元嘉暦と儀鳳暦とを行なう」とあります。
はは。2つも暦があったらややこしくてしょうがないですが、なんで2つか?と言う事です。 通説は改暦準備のため、より精度の高い儀鳳暦を参照しつつ、改暦のタイミングを はかっていたと言う事らしいです。
今回は・・・今回もか(^^;支離滅裂。あとで幾つかに分割する事になると思います。ま〜この暦・・・は大陰太陽暦はある周期が存在します。この頃ですと19年のメトン周期。 その4倍の76年のカリポス周期。実はこの76年が歴代天皇の即位時期に作用していたと 言うのです。漢の武帝崩御BC87から天武即位673で760年目ですとか・・・ 神武天皇から年齢が異常に長いことの説明とか・・・
それで76年は霊魂の再生する周期とか、「天皇」は道教で言う「太一神」で 紫微宮(北極星を含む中国星座)のまさに「北極星」で、天神で、 史記「封禅書」にある天神のなんとかは東西南北の、ピコピコピ〜となり、 これが「春過ぎて・・」に読みこまれているとする説。
・・・完全にただの忘れ止めになっている・・・申し訳ない(^^;
国語ないし古文の答案にこの事を書いても「X」しかもらえません(^^;