鎌倉時代初期の歌人で新古今集や新勅撰集などの選者「藤原定家1162〜1241」に 「明月記」という漢文で難解な日記があります。2000年4月に国宝に指定されました。その「明月記」の中にある「客星」の記事を、日本のアマチュア天文家が英文で世界に紹介した事で、 世界中の天文学者の知るところとなりまして、それまでは理論上のものであった「超新星爆発」の 初の実証例として認められるようになりました。
ここでは、その「明月記」さわりを、極一部お話する事に致します。
後冷泉院・天喜二年四[五]月中旬(1054年5月20日〜29日[6月19日〜28日])以後の丑の時、 客星觜・参の度に出づ。東方に見(あら)わる。天関星に孛(はい)す。大きさ歳星の如し。 (注1)10円玉に刻まれている平等院鳳凰堂が建てられた前の年・平安時代末期の「天喜二年(1054)」 の当時の歴で5月11日から20日の間の夜中に、 超新星又は彗星(客星)が、オリオン座(觜・参)の東に見えた。 おうし座ζ星(天関星)付近で、大きさは木星(歳星)ほどだった。
〜と言うような現代語訳になるでしょうか〜
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客星と言いますのは通常でない一時的な天文現象で、 今日言うところの超新星又は彗星その他発光を伴う気象現象なども一部含まれる 幅の広い意味に使われておりました。
「参」はオリオン座の三星を中心とした四角の部分を指す「当時の星座名」で、 「觜」はオリオンの頭の付近にある3つの星を言います。これも「当時の星座名」でした。この「明月記」の記述が裏付けできるように、世界中の書物が研究され中国の宋書天文史・客星の 項目にも同じような記述があることがわかりました。その記述を総合しますと、 客星は23日間昼間でも見え、22ヶ月後見えなくなったと言う事です。
この中国記録から「明月記」の四月という記述が五月という誤りであったと 解釈するのが、現在では一般に認められているようです。
星の進化の末期に、外層が大爆発し、光度が最大で太陽の1億倍ほどにもなり、 今まで見えなかった星が突然見えるようになる現象です。 爆発した星はその後内部に収縮してしまいます。「かに星雲」は「明月記」の記載のある時代に、この超新星爆発を起し、突然輝きを増し 「客星」として記録されたのです。
18世紀末に「かに星雲」は見つけられました。かの爆発の残骸で、その中心には中性子星が あり残骸である星雲にエネルギーを供給し現在でも光りつづけています。
HST(ハッブル宇宙望遠鏡)のかに星雲/右側は中心部拡大
HST画像.画像提供:NASA (C) Copyright
画像縮小256色に減色Apollon PSP.5
斉藤国治先生の本の紹介をいたします。 定家『明月記』の天文記録 −古天文学による解釈− 斉藤国治著 慶友社 定価10000+税 第一刷 1999年1月20日 歌人藤原定家の日記『明月記』に記載されていた天文現象を拾い上げて 原文引用と検算結果に挿し絵をまじえて書かれた内容となております。 第一章 序論 第二章 各論1〜132まで。 22.天変、或いは老人星か 53.月太白を犯す 99.天喜二年四月(1054)の再論 (M1かに星雲のお話ですね) 第三章 特論 以上が主な内容となっております。 とっても盛りだくさんの内容になっています。 多分図書番号だと思うのですが・・・・ ISBN 4-87449-029-8 C3044 A5版で青いハードカバー、ケース(薄茶)付となっています。(注1)この本よりの引用
高い本なので図書館でリクエストかけてみても良いかもしれませんね。
- 他の参考文献
- 現代天文学小事典・高倉達雄監修・講談社B529
- 中国の科学・世界の名著・中央公論社
- 孔子の見た星空・福島久雄著・大修館書店
- 日本史・北見俊夫著・数研出版
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