司馬遷の史記にある記述からです。始めて中国の全国統一をした秦の始皇帝の記述に中に 隕石の記述がありますのでご紹介します。
始皇36年ケイ惑が、心星の宿るところに止まって動かなかった。とあります。この時代の年代の数え方は、誰々が即位してから何年と言い表しますので、 始皇36年とは始皇帝が即位してから36年目となり。西暦では紀元前210年となります。
「ケイ惑」とは火星の事で、占いでは戦乱などを意味しました。 「心星の宿る」とは「心宿の距星」、今風に言いますと、「アンタレスのあるさそり座の付近で」 となります。これをシュミレーションしますと、左図のように、火星が3月下旬に「順行(西から東へ)」から「逆行(東から西へ)」に転じておりまして、 3月25日頃には「留」となって、火星の動きが止まって見えます。
「留」から「逆行」に移ってからは火星は急激に光度をあげ−2等級まで明るくなります。 丁度、約2年2か月周期の火星の接近にあたります。
時期的にこの辺りの出来事であると思われます。内容がたいしてないので(^^; もう少し見てみましょうか。
惑星はこの図の太陽の向こう側では、右から左に動きます。 火星が先行しておりまして、地球が追いかける形になっています。追いつくまでが「順行」で、追いついた時が「留」で止まって見えます。そして追い越し始めてから 「逆行」します。上図のように折り返す訳ですね。
さて3月と言う事ですから、夏の星座のさそり座が見えるのは明け方近くと言う事になります。 こんな時まで起きている人は、あまりいないでしょうから、 火星の留を見ていたのは特殊な商売の人か天文官ぐらいなものでしょう。
では、ちょっとしかない本題に(^^;石昼隕東郡 始皇死而地分・・・ 昼間、東郡に隕石が落ちて石となった。 人民の中には。その石に「始皇帝が死んで土地が分かれる」と刻んだ者がいた。 そこで刻石の近くに住んでいたものを皆殺しにし、その石を焚いてとかした。戦乱を予告するように、赤い火星の妙な動きと、赤星であるアンタレスが接近した時に、 たまたま昼間隕石が落ちてきたのですね。その石に誰かが「始皇帝が死んで、中国の統一がやぶられ、また国がバラバラになる」と 「いたずら書き」をしたのですね。
そしてその話しを聞いた始皇帝はどたまにきて、付近の人を皆殺しにしてしまったのです。
始皇帝ちゃんは、まったくしょうがないですね(u_u;ま〜始皇帝ちゃんは不老不死にご執心であったこともあるので、 んなろ〜となってしまったんでしょうけど、とんだ悪戯でしたね。
始皇帝ちゃんは統一国家をつくっただけあって、色々と滅ぼしてきちゃったし、 焚書などをやった直後の出来事なので、ま〜そういった人がやったんでしょけどね〜
参考引用文献
- 史記1・本記/司馬遷・小竹文夫、小竹武夫訳/ちくま書房
- 司馬遷/世界の名著11/中央公論社