掲示板過去ログ【平成12年9月分】(AD2000)

◆掲示板メインページへ 】 【 ◆はみ出しコーナー目次へ 】 【 ■ホームページヘ

(無題) 投稿者:玄珠  投稿日: 9月 1日(金)11時54分54秒

 文香さん、まだ間に合いますか?

私自身フリーのプラネタリウムソフトがネット上にあるか確信持てないのですが、
まず検索してみるとよいでしょう。
「Yahoo」などで「天文」というキーワードでHPを検索し、さらに「フリーウェア」で
絞り込んでみてください。


韓先生来日中止 投稿者:suchowan  投稿日: 9月 1日(金)19時43分04秒

韓先生御来日中止とのことです。

http://www.hosi.org/


Apollonさんへ 投稿者:KANRO  投稿日: 9月 2日(土)10時22分51秒

こんにちは、KANROです。
先日メールでリンクのお願いをさせていただきましたが、
HPの9月更新をしましたのでお知らせします。またぜひ
一度遊びにいらしてください。もうすぐカウンターも
4000を達成しそうで、プレゼント企画があります!
これからもどうぞよろしくお願いします。

http://www3.justnet.ne.jp/~volty/_private/


復活 投稿者:Apollon  投稿日: 9月 2日(土)22時51分20秒

 皆様。暫く留守にしていて申し訳ありませんでした。
 な〜にせ忙しかったもので・・・(^^;
 今日は6月下旬から始めての休み。今度は私用が山のように(^^;

 文香さん。急ぎですね。土日で提出日がずれていれば
 良いのですが。

 リンク集の「ソフト」のなかでネット上で作動と言う
 項目がありますので、そちらで動かして見ると良いでしょう。
 本屋さんで星座早見盤を買って動かすもの手ですね。

 私が簡単なプラネソフトは、JAVAで作ろうと思ってたんで
 すが・・・時間的な余裕が無くなってしまいました(^^;  

 ★夏休みの理科の研究で「夏の大三角形はどのように動くか」

  これ小学生の理科の研究課題だとよく聞くのですが、
  小学生にはこれ無理ですよね。
  この手はオリオン座が一番わかりやすいと思うのですが
  寒い時期ですし(^^;
  学校の先生だってデネブ・アルタイル・ベガが直ぐに分か
  る人は少ないと思いますけどね(^^;

  北アメリカ星雲なんて言うと、殆どいないだろうな(^^;


きれいな星空じゃ! 投稿者:隊長  投稿日: 9月 3日(日)07時57分23秒

アポロンどのチョーお久しぶりです。
この2ヶ月は育児に追われて忙しいのなんの。
アポロン殿も忙しかったようですね。

昨日、夜中の1時頃に目が覚めて、ふと空を見たら、牡牛座や
ぎょしゃ座、登りかけたオリオン座などがみえました。

木星や土星もアルデバランと絡み合うように輝いていました。
まだまだ暑いですが、夜空はもう冬の星座がでてきていますね。

風が大変強かったので「今日は望遠鏡での撮影は無理だなー」
なんて思いながら観測時のことを思い出していました。
でも、口径3cm×10倍のキヤノンの双眼鏡を取りだして見てみると
プレヤデス星団、二重星団、オリオン座大星雲。
そうそう、木星の衛星もみえましたね。

久しぶりに、観測の虫が動きだしました。

10月くらいになれば、子供もあまり夜は起きなくなると思うので
また、観測&写真撮影に行きましょう。
私も、せっかく用意した機材が眠ってしまっているので。
特にフィルム.......?
では、また。


四面楚歌 投稿者:Apollon  投稿日: 9月 4日(月)23時16分15秒

 四面楚歌・・・項羽と劉邦。
 虞美人草などの時代ですね。

 東井と言いますとふたご座ですね。
 99回負けた劉邦。99回は「沢山」とか「それまでは全部」と
 言う意味なんでしょうけれど。
 最後の一戦で大逆転しますね。項羽は篭城したけれど
 周りは劉邦の大軍。ぐちゃぐちゃになって戦っていたので
 城の外には項羽の楚の国の兵もいます。

 それで城の外からみんなに楚の国の歌を歌わせます。
 すると城内の兵が夜な夜な脱走してしまうんでしたね。

 めっきり兵が少なくなってしまった項羽は、どうせだめなら
 と打って出ます。
 この時、足手まといになる、助かる見込みは無い・・・
 などの理由で奥方を自分で斬るのですが、その斬った跡から
 咲いた花が虞美人草。


リンク 投稿者:Apollon  投稿日: 9月 4日(月)23時21分49秒

 秋月 心さん。こんばんは。
 リンクして頂いてありがとうございます。
 こちらからも、リンクを張らせていただきますね。


南斗六星の東 投稿者:Apollon  投稿日: 9月 4日(月)23時24分03秒

 安倍清明で南斗六星の東・・・
 なら「狗」か「狗国」ですね。


 投稿者:Apollon  投稿日: 9月 5日(火)00時56分27秒

 そういえばこの間雷でしたね。
 で・・・思い出しました。

 劉備が曹操の所で、客分扱いされているとき英雄談義
 をしたのですね。劉備はこの人はと言うと曹操がケチ
 をつける。
 最後に曹操は英雄と呼べるのは「わし」と「おまえ」
 だけだ。と言うのを聞いて、やばいそんなに私のことを
 恐れているのかと愕然とするのですね。

 そこに「雷」が鳴ったんですね。
 劉備はとっさに、机の下にもぐり「雷は苦手でして」
 と・・・ま〜結構この演技に曹操が騙されちゃうあたり
 が面白いですよね(^^;

 そう言えばこの間お話しした「張繍」なんかも英雄談義
 に出来てますが、「あ〜んなやつ」と一蹴されてしまい
 ます。・・・でもさ(^^;

 曹操君。その前に張繍君にこっ酷いめにあってるんでな
 いの(^^; ま〜軍師・・・字が無い(^^; エイ!倍角。
「賈(言羽)カク」がいたでしょ。

 曹操が張繍攻撃に南下したんですけど、その隙に北方の
 エンショウが、曹操を攻撃に来たのですね。
 急いで引き返す曹操を張繍は追撃に行こうとします。
 カクは、やめさないと言うのですが、張繍は無視して行
 ってボコボコにやられて帰ってきます(^^;

 帰ってきた早々。今度はもう一度攻撃しなさいとカクは
 言います。半信半疑で張繍君は行くのですが、今度は
 快勝します。

 ほんで張繍君が帰ってきてどういうことなんだ?
 と聞くと・・・

 曹操は用兵に長けています。退くに当たっては精鋭部隊
 を残していくでしょう。ひょっとすると色々な計を施し
 曹操自身が指揮をとっているかも知れません。
 そんな所へ攻撃を仕掛けるなど殲滅されに行くようなも
 のです。
 しかし一度攻撃があり撃退したとなれば、もう攻撃は無
 いと思い、精鋭部隊と伴に先を急ぐでしょう。ですから
 二度目は大勝することができたのです。

 曹操は後続部隊が混乱しているのを見て・・・
 しまった「そうだ!カクがおった」と悔やんだといわれ
 てます。

 ま〜張繍君は結局は曹操につくんですけど。カクが君主
 そっちのけで、勝手にそうしちゃったんですけど(^^;

 そうだ。馬超と韓遂との仲を裂く計略も「カク」ですね。
 曹操が故事を残す中にも「カク」がいますね。
 孔明と司馬懿との戦いの時は、後軍としていますね。

 あ!曹操の故事といえば(^^;
 三国志のゲーム笑っちゃう。武将に陳羣が出てくる(^^;
 あのね・・・(^^;
 陳羣は最初は劉備の所にいたようですね。
 徐州にいる不便さを説いたのですが、いれられず、曹操
 につくんですね。役職はそうね〜最高裁判所長官みたい
 な・・・法務大臣みたいなもので、後の中国に多きな影響
 を与えた人物ですね。
      ・・・こんな人までかり出さなくても(^^;


4000アクセス 投稿者:Apollon  投稿日: 9月 5日(火)01時00分45秒

 KANROさん。こんばんは。
 4000アクセス・・・嬉しい盛りですね。
 ゆるゆるとガンバッテ下さいね。


たいちょ〜 投稿者:Apollon  投稿日: 9月 5日(火)01時04分25秒

 赤子は大変ですね。
 私のところも妹が帰ってきてまして「おぎゃ〜」と
 泣いております(^^;

 おやじさんがいるところがないので、なぜか私の横で
 寝ています。「おぎゃ〜」がおさまると「が〜が〜」
 いびきで、秋の静かな夜を過ごしてます(^^;

 赤子と言えば・・・
 何処へ行っても「おみゃ〜まだ嫁来ないのか」と
 うるさくて(^^;
 
 そうだ。そろそろオリオンですよね。
 M42の虫がうずく(^^;
 M31はもう季節に入りましたよね。
 むむ。CCD追尾装置を新調しようかな。
 どうも今のぶッコワレで駄目ですね。

 それよりカメラの吸引加工が先かな・・・
 やっぱりナイフエッジ法が良いですよね・・・
 悩める年頃・・・(^^;

 フイルムといえば
 赤子を撮るからフイルムあるか?と言うので
 期限切れのフィルムあげたら「ケチ」と言われた(^^;
 だって天体写真ず〜〜〜と撮りに行かなかったら
 全部期限が切れてしまった(^^;
 大丈夫。天体写真じゃなんだから少々切れてても
 良いのに(^^; 


斗の「東」 投稿者:玄珠  投稿日: 9月 6日(水)15時18分32秒

「南斗六星の東は?」

という質問がありましたが、もしかすると中国的な天文の文脈でですよね。
二十八宿の「斗」は「北方」玄武七宿(星座)の「東」端にあって、
その「東」は「東方」青竜の七宿です。斗宿の隣は青竜最後の宿、「箕」。

ただしこれは仮想的な「東」で、実際は南斗六星は南の空に見えるので、
箕は斗の西隣になります。

斗と箕の間は「漢津」または「天市」と言います。八種の風の生ずる
ところとされています。
「漢津」の名から判るとおりここには天の川が流れています。


もう遅いね(^^; 投稿者:Apollon  投稿日: 9月 6日(水)15時51分22秒

 プラネソフトのフリーはDANDANさんのところへ行くとあります。
 通常はシエアが普通だと思います。

 プログラムの他に星のデーターを入力するなり、変換する作業が
 ものすごく大変だからですね。
 ですから最初は4等星まででフリーで、6等星まででシエアになり
 8等星まででごりっぱな金額なシエアになり・・・と発展させる
 でしょうね。

 夏の大三角でしたらDANDANさんのところのソフトが良いでしょう
 ね。ソースも公開してますよ。

 関係ないですけど・・・
 ソース見てるとJAVAよりVBの方が良いですね。
 あれVBのスクリプトはNSNで動いたんだっけ(^^;

 IEとNSNの対立は何とかしてほしい(^^;

 C用の星のデータは確か客星さんの所にあったな・・・


斗の「東」 投稿者:Apollon  投稿日: 9月 6日(水)21時02分03秒

  玄珠さん。こんばんは。
  さすが、さすがの解答ですね。でも一般人には
  とても難しい質問ですよね。

  ・・・私の「狗」は単に東で、こんなの知っている人は
  このページを覗いている方を除けばまずいないですよね(^^;

  玄珠さんの解答を見て、な〜るほどと言う人も少ないです
  よね(^^;

  とすれば・・・もっと簡単に・・・
  白道上とか赤道上とか黄道上で有名な「星宿」とすれば
  斗の東は「牛」というのは如何でしょう。
  
  ありていに言いますと・・・
  二十八宿の「斗」次は「牛」・・・単純過ぎるかな(^^;


馬謖 投稿者:Apollon  投稿日: 9月 7日(木)23時52分24秒

 泣いて馬謖(ばしょく)を斬る・・・お話し。

 つるつると考えますに(^^;
 孔明は本当は誰を「街亭」に向かわせる気であったのでし
 ょうね。他の戦局がなければ趙雲であったのでしょうね。
 副将はトウ芝でしょうね。

 実際は・・・魏延だったのかな。
 それとも馬岱と王平の両将かな。

 魏延だったら・・・副将は廖化・・・かな。

 姜維が蜀将になってからは、馬謖の影って薄かったからで
 すものね。これも馬謖のあせりの一因だったと思いますね。
 姜維が出現するまでは、馬謖が孔明の後継ぎみいな雰囲気
 が感じられましたけど、姜維がその地位にすんなりついて
 しまいましたものね。


馬謖のお話し1 投稿者:Apollon  投稿日: 9月10日(日)23時06分02秒

 最近少し、ゆとりが出てきましたので、ページ作りを
 徐々に復活させて行くつもりです。
 それまで・・・お話しのついでに馬謖のお話し。

 どこから・・・・
 中国はむかしむかし、三国時代。三国の1つは卑弥呼が
 使者を遣わした「魏」・・・この時代のお話し。
 三国とは「魏」「呉」「蜀」

 馬謖が出てくるのは後漢末期から三国時代にかけてで、
 蜀の劉備がまだ中国大陸の真中当たりの荊州にいた時
 からです。

 劉備は自分の領土を持たないので、渡り鳥のような状態
 でしたが、荊州に落ち着き場所を得たところでした。
 天下に今までは少数精鋭でしたが、国として体裁を整え
 るのは兎に角人材が必要。

 そこで伊籍と言う人から「馬良」と言う人を紹介して
 もらいます。馬良は5人兄弟で何れも秀才として名が知ら
 れておりまして、中でも末の馬謖が最も頭が良いと言わ
 れていました。

 この馬良は大変人望のあった人で、この頃の馬謖は兄の
 人望によるところが多かったように思いますが、暫くは
 表舞台にには登場しません。

 ひょっこと登場するのは「魏」「呉」「蜀」の形が整い
 「呉」「蜀」が戦い「蜀」が負け、劉備が白帝城に逃げ
 込み心労と年齢から・・死を迎える床で・・・馬謖の話
 しが出てきます。

 軍師諸葛亮孔明に、私の子はまだ幼くこれからどのよう
 に成長するかわからない、輔けるにたるようだったら輔
 けてくれ、もし輔けに足りないようだったら君が帝位に
 つけ。と遺言しました。(これ有名なんですよ)

 私は思うのですが、劉備は、子「劉禅」のことを・・・
 こりゃめだとは思っていたように感じます。

 で、その後、孔明に「馬謖は確かに頭が良いが、実際的
 ではない、決して重く用いてはならない」と言います。

 ・・・この頃には孔明は、馬謖をなんといいますか・・
 支持していたようですね。それに憂いを感じた劉備が
 最後に遺言として忠告を残した気がします。

 つづく(^^;


うしっ 投稿者:玄珠  投稿日: 9月11日(月)15時38分45秒

 Apollon さん、今日は

この前の発言書いた直後に私も思ったのですが、
せいぜい簡単に

− 「斗」の東は何?
− う、うしっ!

でいいかなって。
すごくオタッキーな質問とすれば「斗」の東には「天の川」があります、
ということになります。


馬謖のお話し2 投稿者:Apollon  投稿日: 9月13日(水)11時33分53秒

 次に馬謖が出てくるのは「南蛮征伐」の時。
 このときは三国の形が出来上がり、魏の曹操と蜀の劉備はもう
 死んでしまっています。
 蜀は後漢王朝の再興が旗印なので、後漢王朝を乗っ取ってしま
 っている魏を討つのが国家目標。
 戦力的には魏7:呉2.5:蜀2ぐらいなので、呉と蜀は共同しな
 いと魏には対抗できないですね。

 さて、蜀は積極的に北の魏を攻めますが、蜀の南方の諸種族が
 国境を侵してしょうがないので、まず「南蛮征伐」をします。
 これは今のベトナムあたりまでの長い遠征です。

 個人的に思うのですが、孔明はこの時、自分で暖めてきた作戦
 の実践の場にしたように思いますね。
 最後には「地雷」まで使うように新兵器の実験も目的の1つ
 だったのでしょうね。
 卑弥呼なんて時代に、とてつもないですよね(^^;

 さて、「南蛮征伐」に向かい少しして、蜀の首都「成都」から
 兵糧と薬を送って来ました。その荷駄隊を率いてきたのが馬謖。
 しかしその場にはふさわしくなく、白い着物を着ています。
 孔明がわけを聞くと「兄の馬良が亡くなった」と聞かされます。
 三国志では確か出てこないですけど、記憶では夷陵の戦いで
 戦死するんでしたね・・・だとおもった(^^;

 ちょうど馬謖が来たので、孔明は「南蛮征伐」をどうするか
 聞いたのですね。すると「心を以って攻めるを上となし、
 兵を以って攻めるを下となす」と進言します。
 孔明の考えと一致したので、軍監としてこのまま征伐軍に留ま
 るように言います。ま〜帰るふりしてすぐに作戦に入るんです
 けど(^^;

 「心を以って攻める」は確かに空論といえますけど・・・
 孔明の場合にはそれを実践するわけですね。
 「七度とらえて、七度ゆるす」・・・四字熟語でありますね(^^;
 
 南蛮軍の総大将は孟獲。色々な国から兵を集めるので、猛獣部隊
 がいたり、毒の泉に誘い込んだりでしたが、結局は七度つかまる
 んですね。その度に「部下がだらしないからだ」とか「裏切り者
 が出たとか」言い訳して、もう一度戦わせろと言い放してもらう
 のですがついに勝てなかったのですね。

 途中、「俺は縛れても、俺の心までは縛れまい」と言う所を見る
 と、孟獲南蛮の趣旨は知っていたような気がしますね。

 最後の「藤甲軍」は矢も槍も効かない鎧を着ていたので、苦戦
 し地雷を使い殲滅します。司馬イもこの地雷で危うかったですが
 雨が降ってきて助かりましたね。

 これで孟獲を捕らえますが、皆殺しにしてしまったのを恥じて
 使者に「もう一度放してやるから、また挑んで来い」と伝えさせ
 ます。「七度とらえて、七度ゆるす」とは古来から聞いた事もな
 い・・・と孟獲はようやく帰順します。


教えて、宇宙の中心は? 投稿者:MOSA  投稿日: 9月13日(水)14時41分46秒

こんにちは、初めての投稿です。
盛り上がっているところ水を差して申し訳ございませんが
どなたか宇宙の中心は地球から見て何座の方向にあるのかご存じありませんか?
いろいろ検索してみたのですが分からないんです。
気になり出すと気持ち悪いのでどなたか助けて下さい。


今夜は望月 投稿者:北京パンダ  投稿日: 9月13日(水)22時41分34秒

こんばんは、初めまして。北京パンダと申します。
今夜は望月ですね。
あの丸い物体を電車から見て食いモノを思いつくのは私だけでしょうか?

宇宙の中心か・・・何があるのだろ?


星の神話 投稿者:Apollon  投稿日: 9月16日(土)00時47分58秒

 真珠星さん。こんばんは。
 星の神話の本は・・・そうですね。まずお勧めは
 はみだしコーナーの「本の紹介」の所に書いてある本が
 おすすめです。

 星の神話の本よりも「ギリシア神話」の本の方が
 最初は良いと思います。
 星の話しは必ず出て来ますので、ご安心を(^^)

 それから
 私の「88星座のお話し」のページの一番下に
 参考文献が乗っていますので、そちらの本なども
 本屋さんで「パラリコセ」と見てくださいまし。


宇宙の中心 投稿者:Apollon  投稿日: 9月16日(土)00時50分00秒

 MOSAさん。こんばんは。
 「果てがないから中心はない」では駄目でしょうか(^^;

 ASTRO VETさんなら巧く話しできるんでしょうけど
 ・・・・

 要するに・・・言いかえれば
 「ビックバーンが起こった場所はどこか?」

 私も知りたいです(^^;
 でも折りたたまれた次元は何処へ行ったんでしょうね?
 
 「ゆらぎ」があるので・・・輻射でもわかるように
 均一ではないですしね。・・・
 観測は現段階では不可能じゃないかしら・・・
 ・・・多分・・・(^^;)
 地球から見える宇宙には限界がありますし、宇宙の年齢
 がコロコロ変わりますしね(^^;
 観測と理論が一致してなくて・・・今の所は・・・
 学者さんによっても違いますが、理論より遠くの星が
 見つかっていたりしていますからね。


望月 投稿者:Apollon  投稿日: 9月16日(土)00時51分51秒

 北京パンダさん。こんばんは。
 そう名月でしたね。この月をちゃんとお月見すると・・
 ・・・・・きゃ〜

 来月の13夜も見ないと、片見月といって良くないと
 言われていたようです(^^;

 ・・・わかります
 月より団子って言いますものね・・・・
          ・・・・・(~~;)☆\(--)ドコガ!


馬謖のお話し3 投稿者:Apollon  投稿日: 9月17日(日)01時04分52秒

 と、いうわけで、南蛮征伐の時は献策しただけでした。
 次に馬謖が出てくるのは・・・っと・・・

 司馬懿が、西涼に赴任した時。
 魏で一番の実力者が、治めにくい西涼に赴任します。
 これを馬謖が聞いて、孔明の所へすっ飛んできます。
 孔明は、やはり馬謖には分かったかと、話しを聞きます。

 馬謖は「司馬懿は中央政権の権力抗争をさけ、蜀の進攻に
 備え調練をしていることでしょう。ここで今、司馬懿に
 謀反の兆しありと噂を蒔けば、必ず失脚するでしょう。」

 孔明も「私が魏で恐れるのは司馬懿ただ一人。馬謖よ、
 さっそく密偵を放て」

 と、いうわけで・・・
 この時は見事「司馬懿」が失脚します。
 
 恐れるものは何もなくなったので、蜀の魏への北伐が
 始まります。

 ま〜蜀の圧倒的な勝利が続きます。
 そして、あと一歩というところで・・・
 魏は、司馬懿が失脚してから急に進攻が始まった事に気が
 つき、司馬懿を元の地位に戻すと伴に、事が急なときは
 一々魏の王に伺いを立てなくても良いと言う破格の権利を
 貰う事になります。


馬謖のお話し4 投稿者:Apollon  投稿日: 9月17日(日)23時28分15秒

 さて、10日ほど時間が戻ります。
 司馬懿が復権するさい、息子の司馬師らが、都から使いが
 ある事を予想して、既に兵馬の準備をしていて、直ぐにで
 も出発できるようにしていたのですね。

 司馬懿は息子達もただものではない事をこのとき知るので
 すが・・・と、その時、間者を捕らえます。

 孔明は都までもうあと一歩の所までせまっています。
 このとき蜀から魏に下った「孟達」が内部から謀反を起こ
 す手はずとなっていました。
 司馬懿が復権したからには「孟達」などは直ぐにやられて
 しまいます。急いで戦の準備をしろと何度も急使をはなっ
 たのですが・・・それが司馬懿につかまってしまったわけです。

 司馬懿は間者から孟達と孔明のやりとりを聞き出します。
 孟達は司馬懿は都に向かい兵馬を動かす許可を得てから動
 くので一ヶ月かかると思っていたのです。
 孔明はそれは司馬懿恐ろしさをしらなすぎると警告してい
 たのですが・・・孟達君はテレテレしていたのですね。

 司馬懿は間者に「孔明は何日とふんでいたのだ?」
 間者は「10日もかかるまいと」
 司馬懿はぴったり日数をあてられて、ビックリ。
 しかし間者を捕らえたので、連絡が届かないのは幸運でし
 た。孟達が謀反を起こしていたら、内と外から攻められ魏
 は崩壊していました。

 でま〜孟達君。備えができる前に司馬懿にやられちゃうん
 ですね。それから司馬懿は都に行き、勝手に兵馬を動かし
 てごめんちゃいね。ってわけです。

 さてさて・・・馬謖の大失敗は、ここから始まり。

 結局は「孔明と司馬懿の戦い」は、皆・・・難しくて理解
 できないんですね(^^;


馬謖のお話し5 投稿者:Apollon  投稿日: 9月20日(水)00時01分01秒

 ・・・・と、更新をサボっているのをごまかしているわけ
 ですが・・・(^^;

 魏の諸将軍は、蜀の大軍を正面から迎え撃つとばかり思っ
 ていたのですね。ところが・・・司馬懿君は、孔明の作戦
 の研究をしていたので、まるっきり違うところを攻撃しよ
 うとしました。

 司馬懿は蜀軍の急所をねらったのです。
 魏の諸将軍はなんでそんなところをと聞くのですが・・・
 ここが味噌(^^;
 肝心なところは最後にしますね。・・では概略を・・・

 孔明はいつも絶対不敗の地をとり戦っている。
 このまま北西に向かい一気に長安を攻めれば、魏は危うい。
 しかし孔明は地理に不案内なようなので必ず北上するはずだ。
 そこで精鋭5万とは別に、我々の主力20万は「街亭」に向か
 う。
 魏の諸将は「英雄は英雄を知る」と感心する場面。
 先鋒は張合(合には「おおざと」がくっ付きます^^;)
 張合は曹操お気に入りの将軍で、名将といえるでしょうね。

 さてさて、孔明の陣営。
 司馬懿が出てきたからには、これまでのような戦いをする
 事はできなくなった。作戦を大幅に変更する。
 誰か「街亭」に行ってもらいたい。ここを守り通せば一番の
 戦功とする。・・・と言った途端・・・馬謖が

 私にやらせてください。

 孔明は意外な顔で馬謖を見つめ
 今言ったとおり、ここを守りきったら一番の戦功だといった
 のだが。
 
 馬謖は何度も懇願し「たとえ魏王がでてこようと恐るるに足
 りません」とまで言い出し・・・
 孔明は馬謖には無理だとわかりつつ、「では行くか」
 といってしまったのですね。
 「よいか、必ず道に柵をめぐらし、そこに布陣せよ」

 しかし不安が拭い切れない・・・
 王平に「そなたはこれまで物事に慎重であったそこを見込ん
 で副将として馬謖と伴にこの重任を託す。
 それから着いて布陣が終わったら絵図を書いて送れ」
 
 しかし不安が拭い切れない・・・
 「高翔!そちは街亭のそばに「列柳城」と言うのがある
 そこに出向き、万が一の事があったら街亭に救援に迎え」

 しかし不安が拭い切れない・・・
 「魏延!そちは街亭の後詰に行ってくれ」
 でま〜魏延は、先鋒ではないのでブ〜ブ〜とブ〜たれるので
 すが(^^;
 趙雲は少数の兵で魏軍を攪乱・遊撃にまわりました。
 趙雲には、司馬懿が北上するだろうと言うコースを進ませた
 のですね。

 孔明は・・・この戦いの隙に、その更に北側のもっと長安に
 近い城を落とすつもりだったのです。
 ・・・魏軍は長安が危ういので、退き返すほかなくなります。


宇宙の中心 その2 投稿者:MOSA  投稿日: 9月20日(水)01時03分11秒

Apollonさん、ビックバーンが起こった場所はどこか
また、その方向は地球から見てなに座にあるのかということなんです。
以前NHK特集でやっていたように記憶しているのですが・・・
忘れてしまいました。


宇宙の中心 投稿者:Apollon  投稿日: 9月20日(水)22時40分03秒

 こんばんは。悩んでみたのですが・・・
 結論:聞いてきますのでチョット待っててね(^^;

 つらつらと、考えますに・・・
 「始まりの特異点」を考えますと「点」っと言っては・・・
 語弊があると思いますが・・・(^^;
 その状態から・・・その前のインフレーションとかは
 ・・・無しね(^^;

 点が膨張したわけですから(次元の折りたたみ効果とか
 無しね^^;)全部が中心じゃないかな・・・

 ・・・と、思って・・・・・ああ!

 ホーキングさんの説じゃないのかな・・・
 「銀河中心のジェット」

 要するに銀河中心が「特異点の存在する場所」で
 言わば宇宙はエンドレスに膨張する。
 となれば、各々の銀河中心が「宇宙の生ずる源」

 ・・・聞いてこないと・・・(^^;


馬謖のお話し6 投稿者:Apollon  投稿日: 9月22日(金)00時37分02秒

 意気揚揚と「街亭」に向かった馬謖でありました。

 街亭に到着した馬謖は
 「山らしい山もなく、低い丘だけがあり、狭い道しかない
 ・・・こんな田舎の山奥に魏の大軍が来るはずがない。
 ハハハ。丞相(孔明の事)の心配性にも程がある。
 ・・・よし、あの丘の上に陣をはるぞ」

 王平「なんともうされました?丘の上に陣をはる?
    水を断たれたらなんとされます?」

 馬謖「兵法を知らぬヤツ。高きから攻め下るが有利と知ら
 ないのか」

 王平「今まで丞相のお指図には誤りがあったことがありま
 せん。ここは道に柵をめぐらし陣を構えた方がようござい
 ます。山の麓を魏軍に囲まれたらどうしようもありません。」

 ひつように王平は食い下がります。そして
 王平「それでは、それがしに5千の兵を分けてください。
 私は道に陣を構えます。」

 こうして馬謖と王平は別々に陣をはる事になってしまいま
 した。布陣が終わり、王平は陣図を孔明に送りました。


 さてさて司馬懿。気が勝つところがある張合ではなく息子
 に司馬昭に偵察として先行させます。
 偵察から帰った司馬昭が司馬懿に

 司馬昭「すでに街亭には蜀軍が入っております。」

 司馬懿「なんと!そんなところにまで・・・
 さすが孔明。まさに神業。わしの到底及ぶところではない」

 司馬昭「父上そんなに気後れするまでもありません。街亭
 などたやすく奪えます。」

 司馬懿「昭よ。大きな事を言うものではない」

 司馬昭「大きな事ではありません。私が偵察したところ、
 蜀軍は山頂に陣取っています。」

 司馬懿「なんじゃと?それでは奪ってくれといっているよ
 うなものじゃないか・・・信じられん・・・
 わし自身が調べて見る」


馬謖のお話し7 投稿者:Apollon  投稿日: 9月24日(日)23時46分09秒

 なにを思ったか街亭の山頂に蜀軍。
 司馬懿みずから偵察に向かいました。すると本当に山頂に
 蜀軍が陣取っています。
 行く途中。こんな両脇が崖で、狭い道に陣取られていたら
 大軍と言えども突破は出来ぬものを・・・

 司馬昭「父上あれです。」
 その時蜀兵が麓で何かやっているのを見つけました。
 司馬懿「やはり山頂には水がないようだな」

 司馬懿「あの山頂の将軍は誰だ?」
 司馬昭「馬謖と言う事です」
 司馬懿「あ〜少々知恵が回るとは聞いていたがあの程度か
     大器ではないのう。よしまず水の汲み場を押さえ
     よ。それから張合。そなたは麓にいる蜀軍を動け
     ぬようにせよ。それから我が軍の正面に芝草・
     枯れ枝を積み重ねろ」

 一方、蜀軍。
 水汲みの兵士が、魏軍が到着したのを見つけました。
 馬謖「ふん。逆さ落としで一撃を加えてやる。全軍出陣だ」

 蜀軍が一斉に山を駆け下りました。
 その時、魏軍は芝草・枯れ枝に火をつけました。
 火の勢いは凄まじく、火はどんどん山頂に燃え広がって行
 きます。蜀軍が火の勢いに、たじろんでいるところに
 魏軍は一斉に矢を射掛けました。

 馬謖軍は山頂に逃げ帰るしかありません。火は山の中ほど
 で止まりました。
 馬謖と意見が分かれた王平は、街亭の麓から煙がもうもう
 と立ち上っているのを見て、「魏軍だ!もう来たか」
 急いで助けるんだ。と陣を打って出たところ
 正面から張合が「おう。王平そうはさせんぞ」
 王平「なんとか突破するんだ」
 ・・・「王平将軍右の街道から魏軍の新手が」・・・
    「王平将軍左からも魏軍の新手が」

 王平「まずい。このままでは取り囲まれる。陣に退け」

 このように蜀軍は二分されて動けなくなってしまいました。


馬謖のお話し8 投稿者:Apollon  投稿日: 9月26日(火)00時48分46秒

 一応兵力を言っておかないとね(^^;
 魏は20万。
 馬謖が率いて行ったのが2万5千。うち5千を王平に分ける。
 高翔1万。魏延1万5千。迎え撃った蜀軍は合わせて5万。

 さて、馬謖が山頂に封じ込められてしまったとこから。
 山頂には水の蓄えは余りなく、かといって麓の水のみ場は
 魏軍に占領されています。

 馬謖は決死隊をつのり水を汲みに行かせますが誰一人帰っ
 てきません。(みんな待ち伏せされ降参してしまったので
 すね)
 5日を過ぎると軍の中で水の争いが起き始め、脱走者が相
 次ぎます。7日目には水を汲みに行くと言ってはゴッソリ
 脱走してしまい。兵は半分になってしまいました。

 麓の司馬懿は
 「明日総攻撃があるはずだ。囲みを一部緩やかにしろ。
 半分が投降しているのだ。馬謖でもこのままいけばどうな
 るかの計算ぐらいはできるだろう。囲みを突破させたあと
 袋包みにして殲滅せよ」

 翌朝、馬謖は囲みが緩やかな部分をねらい、列柳城に逃げ
 込むため総攻撃に移りましたが、半病人のような兵では、
 ろくな戦いも出来ず、兵はどんどん打たれていきます。

 王平は張合に塞がれ、陣からでられません。
 そこへ急を聞いた魏延軍が到着します。魏延軍の到着で
 馬謖はかろうじて全滅はま逃れました。しかし、張合が正
 面から、他の2隊が左右から魏延軍を攻撃し、魏延軍は苦
 戦に陥りました。
 この時を狙って王平が打って出ました。
 そして列柳城にいた高翔がかけつけ、魏軍と蜀軍は入り乱
 れ3日間戦いつづけます。


馬謖のお話し9 投稿者:Apollon  投稿日: 9月27日(水)00時59分07秒

 えっと、蜀軍と魏軍が3日戦ったあと・・・

 魏延「わしの部下はだいぶやられてしまった。おぬしらは?」
 王平「殆どやられました。生き残っているものも殆どが負傷
    してます。魏延殿、このまま攻撃をかければ自殺にい
    くようなものですな。」
 魏延「確かに。じわじわ包囲され、全滅の憂き目にあうであ
    ろうな。」
 高翔「ここは列柳城に引き返したほうが良くはございません
    か。」
 王平「丞相の言われたとおり、ここが破られ糸がほぐれた様
    に我が軍は崩壊しましたな。」
 魏延「我らの役目は魏軍を打ち破ることではない。兵糧道を
    確保する事だ。この街亭を完全に奪われれば蜀軍は
    命綱を断たれることになる。・・・
    よし。列柳城に引き返かえそう。」

    ・・・ハイ。もう馬謖君は相手にされてません(^^;

 ところが列柳城に退き返すところで意外な敵に遭遇しました。
 曹真が精鋭5万を率いていたのですが・・・手柄を司馬懿に
 全部とられてしまうのを恐れて、孔明に対峙させておいた
 郭淮に命じ兵を街亭に向けていたのですが・・・
 その郭淮軍とバッタリ遭遇してしまったのです。

 魏延「むむ・・・」
 高翔「突っ込みますか?」
 王平「魏延将軍。我が軍は負傷者ばかり、ここでまた新手と
    戦っては自殺行為です。ここで我らが全滅すれば、
    陽平関も危うくなります。さすれば蜀軍は漢中にも
    いられなくなります。」
 魏延「ここは無念だが陽平関に退こう」

 さて魏の陣営。
 張合「敵は陽平関に逃げ込みました。負傷兵ばかりで関を
    落とすのは簡単であると思いますが。」
 司馬懿「これこれ。おぬしたち。それがいかんのじゃ!」
 諸将「はあ〜?!」
 司馬懿「孔明の事だ。体制を立てなおすために我が軍の
     背後に回るだろう。そうすれば我が軍は危機に
     陥る。それに今直接都を狙われたらがら空きなの
     だぞ!」
 諸将「まさに!恐れ入りました。」 
 司馬懿「それでじゃ。そなたには、山路を通り箕谷(きこく)
     に行ってもらう。・・・ここは三郡に渡る食料の
     補給基地じゃ。ここをとれば蜀軍は総退却する
     ほかあるまい。」

 でへ(^^;
 端折りますが。孔明が「空城の計」を使うのはこの時でし
 た。なんで司馬懿が孔明の琴を弾いている姿を見て逃げ
 出したかは・・・まえに空城を使って魏軍をケチャミソに
 やっつけたことがあるので司馬懿は、それを避けたのです
 ね。(前の空城の時は孔明の初陣と言っても良いですね。)

 時は戻って・・・
 王平の絵図面が孔明のもとに届いた所から
 ・・・つづく(^^;


天の岩戸について 投稿者:秋山 彩香(あやか)  投稿日: 9月27日(水)04時03分59秒

 初めまして、アポロンさん。秋山 彩香(あやか)と申します。_(._.)_

【私見】は、邪馬台(やまたい・やまと)国=「福岡県京都郡香春町」です。
      天の岩戸=香春岳、です。女王(君臨者)は台与(→豊)。
(『魏志倭人伝(通称)』の邪馬壹(いち)国の都=鹿児島県姶良郡隼人町姫木。
 加治木 義博説を支持)
★邪馬壹国(女王卑弥呼の別名は壹与→伊予)=物部系。隼人町以前は伊都国。
 吉野ヶ里は対中国(魏・呉・蜀の紛争への)軍事拠点。難升米は統治者。
★邪馬台国(奴国)=蘇我系。
 いずれも邪馬人(やまと)で、邪馬壹国は北上東征し、四国宇和島へ。
 やがて邪馬壹国→イ妥 国(だいこく)と邪馬台国は合併し、大倭国に。
 宇佐神宮は両国の神を祀っている。

 確か西暦248年前後に香春町付近を通過した日蝕があったように思います。
ご存じでしょうか?お解りになられたらお教え頂ければ幸いです。
年月日、時間、食の様子 など。<(_ _)>


卑弥呼の日蝕 投稿者:秋山 彩香(あやか)  投稿日: 9月27日(水)04時10分30秒

として載っていました。(^_^;)

【私見】に該当するのがあるでしょうか?


馬謖のお話し10 投稿者:Apollon  投稿日: 9月30日(土)02時21分29秒

 蜀の本営に「王平の絵図」が届いたところ。

 孔明「なんと!馬謖は山頂に陣取っているではないか!」
 使者「はい。王平将軍は随分と反対なされましたが、馬謖
    将軍は山から駆け下りた方が敵を殲滅しやすいと・・」
 孔明「馬謖のバカ者め! 蜀の命運は尽きた。これより
    全軍撤退だ。」
 諸将「丞相。なにをそんなに嘆かれます?」
 孔明「この絵図を見よ。切り立った狭い山道に陣取れば
    大軍と言えども前線に出られるのはほんのわずかな
    兵でしかない。つまりいかに大軍で押し寄せようと
    簡単には落ちない。
    ところが馬謖は山頂に陣取った。水を断たれれば
    それまでではないか。若くして学問に秀で将来を
    買っていたのだが、このような生半可な兵法しか
    身についていなかったか・・・
    街亭をとられれば全ての方面で兵糧攻めにあうこと
    になる」
  将「それでは私が行って直ぐに陣だてを変えさせます」
 孔明「相手は司馬懿だ。間に合うまい。」
  将「兎に角、昼夜なく走りつづけます。」
 孔明「うむ。手を咥えているよりは・・・よし頼む。
    全ては馬謖にかかっている」

 そこに急使が到着
 急使「街亭及び列柳城敵に奪われてございます」 
 孔明「うむ・・・これで全てが終わった・・・
    いかに損害を少なく総退却するかだ。関興・張包
    こちらへ・・・」と矢継ぎ早に指示が・・・

 さて孔明の撤退策と趙雲の働きで、これ以上の大きな損害
 はなく総退却に成功します。(攻めるより退くのが難しい)

 「しんがり」を引き受け最後に戻ってきた趙雲に
 孔明「趙雲殿、この度は真にご苦労であった。XXとXXを
    戦功として贈ります」
 趙雲「いや軍師殿。この度の戦いでは寸土も得られては
    おりません。私が戦功をねぎらわれるいわれは    
    御座いません。これはこれから冬になり何かと
    物が入用な季節、将兵皆に少しずつでも分けてあ
    げて下さい。」
 孔明「将軍がそう言われるなら」
 この時、孔明は先帝「劉備」が、趙雲を厚遇していたの
 を今更ながら思いだし、馬謖の処分はゆるがせに出来ない
 と決意を固めたのですね。

 で、
 馬謖のような、有能な人材を殺してしまうのは敵を利する
 だけだと、助命する人も現れたのですが、勝手に山頂に陣
 取る軍律違反を許していては、これからの作戦に重大な
 障害が出る。そして勝手な考えで多くの将兵を死なせてし
 まった罪はまのがれないと、馬謖を斬るのですね。
 (この部分の詳細はカットね^^;)西暦228年でした。


馬謖のお話し11 投稿者:Apollon  投稿日: 9月30日(土)02時23分33秒

 ●街亭の重要性。

            下手な図ですいません(^^;
            このように街亭を中心に
            細い道と河があり、ここを拠点 
     --街亭----  兵糧を運べば色々な所に    
      /|\    送れるので、作戦範囲が
     / / \   大変広がります。

      ===河===========
           ★長安  ★洛陽

    漢中       また街亭付近は麦の産地で
             屯田し兵糧を確保する事が
             可能になります。

    蜀

 ●漢中より直接長安を何故しないのが
   ま〜これが歴史の謎ですね。魏延はこのルートで
   攻撃した方が良いと最初から最後までいっている
   のですが・・・
   皆が孔明に何故ですか?と聞く場面があるのです
   がそれは本で読んでね(^^;
   簡単にお話しすると大軍同士戦うのに良い地形だ
   と言うことなのでけれど・・・それは本で読んでね(^^;

 ●姜維
   孔明の亡き後、姜維が三軍の指揮をとります。
   孔明より遠征の数は多いのですが、魏には恐れら
   れていませんでした。
   何故・・・
   魏にはカクショウと言う武将がいたのですが、
   いつもチャント「まず街亭を確保」してしまったの
   で、結局蜀軍は兵糧がなくなり、引き上げるのが 
   分かっていたからですね。

 ●三国志演義
   そんで、三国史は国の正式な記録
   ま〜魏の「倭人伝」と言えば分かりやすいですかね。

   お話しの方は「三国志演義」と言うのですが、これ
   実は馬謖の孫が書いてます。

 ●漢中
  この漢中には「五斗米道」と言う宗教国家があったの
  です。今で言う「社会福祉国家」ですね。
  倭人伝の記述で「卑弥呼は鬼道で衆をまどわした」と
  あるのですが「鬼道」は、この「五斗米道」ではない
  かと言う説があります。段々振り向けよっと(^^;

 ●ゲーム
  で、仕事機で「馬騰君」でやっているんですが、
  「五斗米道」の教祖「張魯」が8万の軍勢で駐屯してい
  るので・・・長安攻略ができない(^^;
  
  あ!「馬騰君」死んじゃった(^^;
  後継者を「馬超」にしたら「関羽」の忠誠度が下がっ
  た。あとは大丈夫だった。

  軍師級は「孔明・司馬懿・陳羣・荀攸・
  関羽(教育したの^^;)・曹真(教育したの^^;)」
  配下の武将は約40人。ただ・・・西涼の人口の少ない
  ところなので・・・兵力が(^^;
  張魯君に攻撃されないだけ集めるのが精一杯(^^; 


景初4年 投稿者:Apollon  投稿日: 9月30日(土)23時39分57秒

 卑弥呼の銅鏡とされる中に、景初4年と刻銘されているものが
 ありますが「景初3年」までしかないんですね(^^;)

 前のお話と重ねてみますね。
 200 官渡の戦い
    曹操7万と袁紹70万との戦いで曹操が勝つ。
    この時、袁紹陣営に張合がいるんですが、
    味方の讒言にあい、帰って殺されるならと
    曹操に降伏。
 220 曹操死亡
 226 二代目「曹ヒ」死亡、三代目「曹叡」即位
 228 街亭の戦い(泣いて馬謖を斬る)
 234 孔明が五丈原で陣没
 239 三代目「曹叡」死亡
    この年が「景初3年」で四代目「曹芳」即位で
    改元してしまうので「景初4年」はないのですね。
 240-248 この辺りで卑弥呼没。


◆掲示板メインページへ 】 【 ◆はみ出しコーナー目次へ 】 【 ■ホームページヘ