北斗と南斗
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おはなし
●三国時代
 むかしむかしの中国でのお話です。その頃の中国は三国時代と呼ばれ、 中国が3つの国に分かれて覇権(はけん)を争っていた時代です。

 その三国の1つ、魏(ぎ)の国(221-261年)でのお話です。日本では卑弥呼がこの魏の国へ使いを送り 銅鏡などを貰っています。

●管輅(かんろ)
 魏の国の実質的な支配者「曹操(そうそう)」は偏頭痛(へんずつう)に悩まされておりました。 色々な治療などをしてみましたがどうも良くなりません。そこで一度占ってもらおうと 太史丞(天文・暦の係)の許芝(きょし)を都に呼び出して、占い師は誰が良いか聞きました。

 許芝は神卜管輅(しんぼくかんろ)の名前はご存知ですかと魏王:曹操に尋ねました。 曹操は「占(卜)って神のごとしか、今までどのような話しがあるのか」と尋ねました。  許芝はその尋ねに答え幾つか話をした時の最後のお話です。 それでは、その「北斗と南斗」のお話を致しましょう。


北斗と南斗
●若者
 管輅(かんろ)が南陽県(なんようけん)を通りかかった時のことです。 管輅は田で作業している若者の顔がふと気になり、しばらくその若者の顔を見ていた後で その若者に尋ねました。

管輅:「君の名前と年は?」

 すると若者が
若者:「名は趙顔(ちょうがん)と言いまして年は十九歳です。そういう貴方様は?」

 甘露は気の毒そうな顔をして
管輅:「私は管輅と言う者だ。君の眉間(みけん)には死相が現れている。 あと三日の内に死ぬ事になるだろう。美男の君だが惜しい事だ。」

 これを聞いた若者:趙顔(ちょうがん)は急ぎ家に戻り父親にあとわずかの命らしい事を 話しました。父親は驚き、父子ともども急いで管輅のあとを追いかけました。

●秘策
 父子は管輅(かんろ)に追いつく事が出来て、地面に拝伏しながら「なんとか助けてください」 と何度もお願いしましたが、管輅は「私は占いはするが、これは天命で私にはどうにもならないのだ」 と断られてしまいました。

 趙顔(ちょうがん)父子は、管輅の袖をつかみ「どうしてもお願いします」と泣いて頼みました。 管輅も気の毒に思っていたのである策を授けてあげる事にしました。

 では良いか。「上等の清酒一樽(たる)」と「鹿の肉の干物を一塊(かたまり)を用意して、 明日南の山に行きなさい。そこには大きな桑の木があって、その木の下にある磐石(ばんじゃく)で 碁(ご)を打っている二人がいると思う。

 一人は南見向きに座っていて白い着物を着ていて怖(こわ)い顔をしている。 もう一人は北向きに座っていて赤い着物を着ていて優しい顔をしている。

 貴方がた親子は、その二人が碁を夢中で打っている間に、黙って酒と肉をすすめなさい。 何を言われてもただお辞儀(じぎ)をしていれば良い。 そして碁が終わったら「寿命を延ばして欲しいと必死に頼んでみなさい」

 但し、この事を私から教わったとは決して言わないようにな。

●帳面
 さて父子は管輅には自分の家に来てもらって、 酒と鹿肉と盃盤(はいばん)まで用意して、次の朝南の山まで行きました。

 南の山には管輅が話していた通りに大きな木がありました。 その大きな木の下に行くと二人の仙人らしき人が夢中で碁を打っていました。 そこで親子は何も言わず酒と肉をすすめました。

 碁を打っている二人は、知らん顔をして酒を飲み、肉を食べています。 やがて夕方になり、北側に座っていた仙人が親子をじっろっとにらみ

北側の仙人:「お前達、こんなところで何をしている。あっちへいけ!」

 と怒鳴りました。親子はただただ、お辞儀を繰り返していました。

南側の仙人:「おいおい、さんざ飲み食いしておいて、どなるもんじゃない。 勝手に飲み食いしたのだから、なんとかしてやらねばなるまいよ。」

北側の仙人:「この若者の命は生まれる前から決まっているんだ。どうにもならんよ」

南側の仙人:「これは管輅のおせっかいだな。とにかく、ちょっと調べて見よう」

 こう言いながら南側の仙人は懐(ふところ)から汚らしい帳面を取り出しました。 そしてその帳面からやっと若者の趙顔(ちょうがん)と言う名前を見つけると、 なるほど「寿命十九歳」と書いてありました。

●九の字
 南側の仙人は、それではと筆を取りだして「十九」の上に「九」を書き加えてくれました。 そしてその帳面を親子に見せて

南側の仙人:「さて[十九]の上に[九]の字を加えて[九十九歳]じゃ。これで良いな。

 と言うかと思うと、にわかに厳しい顔になり

南側の仙人:「お前らに、わしらの事を教えたのは管輅(かんろ)じゃな。 今後決して天機(天の秘密)をもらさぬよう、もらせば汝(なんじ)に天のお咎(とが)めがあるであろう。 と、管輅に伝えておけ。」

 すると折からの風に乗り香しい香りが漂ったかと思うと、碁を打っていた二人は 鶴になり空高く飛んで行ってしまいました。

 さて親子は家にたどり着くと、管輅に事の次第を話しました。

管輅:そうか、やはりおみとおしであったか。実はあの二人はな。 北側の方が北斗七星の精で死を司り、南側の方が南斗六星の精で生を司るんだ。 まあ、ともかく良かったな」

 これよりのち、管輅は軽軽しく占いをすることを止めたそうです。

●その後は「三国志」で(^^;
 さて、この話しを聞いて魏王:曹操(そうそう)は、すっかり管輅の事が気に入ってしまい。 さっそく都へ呼び寄せる事にしました。その後召し出された管輅はクーデターなどを 占うわけですが、そのお話は三国志の本を読んでね(^^;

北枕
●きたまくら
 この「北斗と南斗」のお話でもわかりますように、北斗は死を司り、南斗は生を司ります。 それゆえに死者は北に頭を向けて寝かせる「北枕」になるわけですね。

 昔の中国や朝鮮半島などでの死者の埋葬方法は、 北枕にして、北の方角に北斗七星を描いたり、七星板(チルソングバン)と言うものを 棺の頭側の下に置くなどの方法が使われました。

 日本にはこれらの習慣が伝わり北枕となっているのですね。


二十八宿
●北斗七星
 北斗七星はおおぐま座の腰から尻尾にかけての星です。

北の斗(ひしゃく)の七(の)星の意味で、ヒシャクの先にあるα星とβ星を結ぶ方向に、 α星とβ星の間隔で7つ先の延ばすと、そこには星の運行の中心となる北極星があります。

 北を指し示す星であり、古来より様々なお話があります。 同じ三国志ではこの北斗七星に願をかける場面が大きく2つ出てきます。 赤壁の戦いで「東南の風をよぶ時」と「軍師孔明の寿命を延ばす儀式の時」ですね。


●南斗六星
 南斗六星はいて座の手の部分にありまして、北斗七星よりも小ぶりな大きさですが、 六星でやはりヒシャクの形を思い起こしまして、北斗七星に対し南斗六星として知られています。

 南斗六星は中国の星座「二十八宿」の1つで「斗」と呼ばれます。中心となる距星はいて座(Sgr)φで、 該当星はSgrμ,Sgrλ,Sgrφ,Sgrσ,Sgrτ,Sgrζの6つの星から成ります。



参考文献

●星の神話伝説集:草下英明著:教養文庫1071 D604
●三国志演義:立間洋介訳

●完訳三国志三:村上知行訳:教養文庫1033 D213


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