もてぎオープン7時間耐久ロードレース

〜文:丸山 浩選手(原文のまま)〜

参加台数184台 出走台数66台

3年目!もて耐への準備

今年のMOTEGIオープン7時間耐久ロードレースはウィズミー・プロフェッショナル・レーシングにとって3年目のチャレンジ。鈴鹿8時間耐久へのチャレンジとは違い、あくまでも草レースの延長としてWITH MEは、より多くのストリートライダーがレース参戦できるよう、もて耐参戦の話題を提供し続けました。
そして今年の7時間耐久も、月刊ヤングマシン誌での連載「もっとモテ耐、ファイヤーチャレンジ2000」という形でもて耐参戦のおもしろさ、参戦方法などをシーズン当初から解説し、多くのライダーを交えてもてぎに乗り込んできました。


決勝前


勝算!!

しかし出場するからには成績を残したい!初年度参戦の7位から、2年目においては転倒およびマシントラブルにより思ったように成績を残せなかったWITH ME。今年万全の体制を組んでもて耐への参戦を進め、新たにニューマシンCBR900RRファルコン号を製作。そのセットアップのため、3月より行われたMOTEGIオープンクラスへチャレンジ。3戦中ポールポジション3回。そして2勝をあげるなどマシンの仕上がりは十分。
しかし今年のもて耐レギュレーションにより、予選アタッカーは国内ライセンスライダーに限ることが決定。そこでWITH MEは初年度ブルーファイティング号で丸山とともに決勝を走り7位獲得しているWITH MEのチーム員、中村道一を起用。そしてかねてよりヤングマシン誌にて、もて耐国内ライダー募集の噂を聞きつけ、昨年チーム国光よりもて耐にエントリーしていた4輪ドライバー飯田章選手との話が進み、手を組むことになった。
むろん昨年の走りではCBR600Fを駆り2分9秒台で走るなど、練習次第では十分にMOTEGIの予選を通過させられる実力を持つセンスが伺える。そして今年のレギュレーション上、予選タイム対象外となる国際ライセンスの丸山を含む3人のライダーで決勝に挑むことになった。


予選でのアクシデント!

決勝進出への予選タイムは6秒後半から7秒台とふんでいた丸山。
中村のタイムは初年度、重量的ハンデを負っていたCBR1100XXで6秒台。予選を通過させるには新型のCBR900RRになれること。中村は2ヶ月前よりテストに入り、多くの練習を重ねて体調は順調。
しかしアクシデントは予選で起こった。初年度は丸山がタイムアタックを行い、中村への負担がなかったものの、今年はすべてが中村へのプレッシャーとしてかかってしまった。
少しでも前の順位をねらい、トップクラスで走るライダーをマークし予選を出ていく。1週目トップで出ていくライダーたちに離れずついていく中村。マシンはすこぶる調子がいい。このままついていければと思っていたが、ここで赤旗中断となり、予選再スタートが切られる。再び予選をトップで出ていく中村はさらに自分自身のレベルをあげるため、早いライダーに食らいついていく。しかし3周目「まさかの転倒!」今年の中村へのプレッシャーは相当きつかったのだろうか?
中村はWITH MEで4年走るが、今まで転倒は一度もない。肝心のところでミスを犯した中村の精神的ダメージは大きかった。
そしてすべてを託された飯田章選手。ファースト、セカンドともに各ライダーの予選アタックは1回のみ。中村のタイムは2分10秒833で、これでは予選を通過させることができない。マシンになれない飯田章選手にすべてを託すことになってしまった。


4輪プロドライバー、2輪ライダーとしての闘志

飯田選手は公式練習中、より多くのテスト時間を中村に与えるべく、自分の乗る時間を短くし中村への走りを優先していただけに、ファルコン号でもてぎを走れたのは十数周だけであった。それでも2〜3周乗っただけで、中村のタイムに肉薄するタイムを出してくるのはさすが、トップドライバーのセンス。この予選ではフルに25分間、飯田選手が走れるため少なからずベストタイムを期待できる。
最初のタイムアタックですでに自己ベストとなる7秒後半に入れ一度ピットイン。再度ピットアウト後のアタックでは7秒フラットを叩き出す。みんなが6秒台への突入を確信していたが、その後のタイムアタックはスローペースのライダーに絡んでしまい、結局その後タイムを伸ばせずに終わってしまう。
結果的には予選不通過を余儀なくされるが、それまでのMOTEGI7時間耐久3年間の活動に対して主催者が、推薦枠の5台を考慮し,、66台中ウィズミー・プロフェッショナル・レーシングチームは62番手のグリッドを与えられることになった。


決勝でのアクシデント再び!!


本戦のねらいはズバリ6位以内入賞。
丸山のペースは2分3秒台。飯田、中村両選手は2分7秒〜8秒台で周回と計算。総合的なトラブルがなければ十分に入賞圏内をねらえるはず。そしてチームとしてはマシントラブル、およびピットインでのタイムロスをなくすため、多くの準備作業を進めてきた。
丸山が行ってきた10年に及ぶ8時間耐久レースの経験を生かし、消耗しそうなパーツ類の交換、およびゆるみそうなネジ類、ブレーキパッド等もテストを重ねたもの、ブレーキローターもタイヤ交換毎に焼き入れを行った新品ローターへチェンジしていくといった施しよう。プライベートチームとしても、必要最小限の中でノントラブルに対する準備が進められていた。

スタート直後の飯田選手は1周目62番手で通過。そして2周目53番手。
すべてのスタートライダーは予選で飯田選手よりも速い6秒台前半で走るライダーばかり。その中ですでに10人を抜いてくるペースを作り出している飯田選手。本戦ともなれば前に前に出ようとする精神は4輪全日本で鍛え上げられたもの。しかし今年は単なる4輪ドライバーとしての参加ではなく、ライダーとして闘志をも見せていく飯田選手。
決勝で常に前を行くライダーをとらえていく中で、精神的な勝因はあっても不慣れなマシンに対応しきれなかったのだろうか。スタート後4周目、まさかの転倒。飯田選手自身のペースがあがってきた4周目のV字コーナーでフロントからスリップダウン。すぐさまマシンを起こしピットに戻す飯田選手。修復はシートカウル、アッパー、アンダーカウル、スクリーンと外装はすべて交換。ガソリンタンクも変形してしまったが、スペアを使わずそのまま使用。そのほかにマフラー、右ステップ周りの交換を行い、6分ほどの修復後ライダーを丸山に交代し、再スタートを切る。
・・・がそのとき、マシンパーツの一部が欠損し使用できなくなってしまっていた。その部品は一般市販車の盗難防止用につけられたイモビライザーという装置。
本来レース仕様には要らないものだが、新型のCBR900RRにはレース用部品が存在せず、イモビライザーも生かして製作となっていた。この装置はそのマシンについているコンピューターと整合をとられたイグニッションキーにより成り立っているが、どちらがかけても、二度と点火しないようにコンピューターに指令を与えるというHONDAの最新盗難防止装置。再びピットインしエンジンを切ってしまった後は、なにをやっても火が飛ばなくなってしまった。
スペアで持ち込んだイモビライザーを用いない輸出用電気ユニットに変えてみるが、これもまた正常に作動せず。その後、他チームに走りCBR用のコンピューター、配線、イモビライザー、イグニッションキー一式を借りて交換してみるがやはりエンジンがかからない。時間は1時間…2時間とすぎてしまう。
原因がほかにあるのかと、イモビライザー以外のところを探し始めるががどうにもマシンは復活しない。やはりイモビライザーを疑い、今一度借りてきたマシンに装着し、試してみると、どうやらそのマシンもレース用配線を行う中、すでにイモビライザーが作動していたようなのだ。
もう他のチームでもCBR900RRのイモビライザーユニットを持つところはなく、時間もすでに4時間半を超し、ライダー一人最低限1時間走行の義務づけが達成できなくなってしまった。丸山はやむなくピットにマシンを運び、今年の7時間耐久レースをリタイヤとなってしまう。


決勝 4周後転倒。その後イモビライザー差動、イモビライザー解除のための整合部品が揃わずリタイヤ。


ライダーコメント


飯田 章選手

「今年は昨年の「参戦してみる」という体制から「勝ちをねらえる体制」になり、やる気も充分だったなか、決勝で転倒してしまい、ご迷惑をかけてしまいました。ただ自分の中のチャレンジとして、2輪レースのもて耐は今後も続けていきたいと思っています。来年も是非参加したいと思っていますので、応援をよろしくお願いします。」


中村 道一選手

「予選での転倒で結果を残せず、応援していただいたみなさんスポンサーのみなさん、本当に申し訳ありませんでした。今までほとんど転倒したことがなかっただけに、この転倒により大きく自分を見直すことができました。来年に向けて、猛練習に励みたいと思います。」


丸山 浩選手

「今年の国際ライダーはほとんど脇役なので、僕自身はチーム運営として力を注いできました。その中でまず確実に予選を通すこと。うちの中村は一昨年すでに6秒台をマークし、今年のニューマシンでは4〜5秒の走りをすることを想定し、またほとんど転倒しない安定したライダーであることも考慮していました。さらに飯田選手にとっては不慣れなマシンであっても、確実に乗りこなすセンスが昨年のレースで伺えたので、ある意味飯田選手も予選通過タイムを越えられるとも思っていました。
そして早い時期から戦闘力のあるマシンを仕上げておくこと。 今年の準備期間はシーズン当初から計画し、マシンは同じサーキットの、同じレギュレーションで戦うオープンクラスに参戦させ、すでに2勝、3回のポールポジションで充分に熟成を重ねてきたつもりでした。転倒などのアクシデントがなければ、細かなトラブルを起こさぬよう、消耗品、スペアパーツ、ピットワークなど、一発の速さがなくとも安定した走りと、ミスのないレース展開により、充分に入賞圏内をねらっていけると考えていました。しかし、結果的には中村の予選での転倒、飯田選手の決勝での転倒と、各ライダーの闘志の高潮を本番に持っていってしまったのはチーム運営である僕の責任かと思います。
たくさんの応援をしていただいている中で、本当に呆気ない幕切れでみなさんにご迷惑をおかけしました。今後もライダーであるとともに、レース界を引っ張っていけるようなチームを目指していきたいと思っていますので応援をよろしくお願いいたします。