経過
入退院期間一覧
はじめに
この観察報告は、退院後(「2011年12月16日(入院)-12月20日(手術)-12月29日(退院)」)の私にとって異常と感じられたことを記録するものである。
この記録は次の画像から始まる。

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R20111221
2012年01月09日(月)15:20
手術痕が気になる。
2012年01月11日(水)15:35
手術痕はきれいに回復している。が、痕辺りがずきずきと傷む、但し数分ぐらい。それと、薄い白い瘡蓋がとれたら、テカテカとした脹らみが気になる。三度目、四度目と同じなのか。それにしても再発なら早過ぎる。手術直後なのに、もう縫合箇所の皮膚の色の変化(周囲と違って薄青黒い)、そして脹らみだ。其の箇所は従前の様にぷよぷよしている。
2012年01月13日(金)15:00

201201131607

201201132331(風呂後)
2012年01月14日(土)22:36
観察中、症状が進むようなら、早めに手を上げるか。液の培養はできないか。
2012年01月15日(日)23:56
明日、病院行くことにした。確実に同じ経過をたどり始めた。

201201152356
2012年01月16日(月)12:48
11時のバスで、妻と病院。S先生。液を抜く。黄濁液でなく、殆ど血液である。次回は木曜日。
ただし、液が溜まるようなら、其の前にでも来院をと。組織を破壊するのは何にか。
18:08 テープガーゼを取る。
2012年01月17日(火)09:43
チリッ、ちくちくと縫合箇所左側辺りが痛む。縫合痕が突っ張り痛むのか。ひび割れに衣が擦れるのか。
黒ずんで進行も速い。2009年10/26(月)のPM本体の時の記録に「溜まったブヨブヨの液を抜く。Blackbloodらしい」とある。昨日のもそうなのか。
抜いても直ぐに溜まる。木曜日まで様子観ることにする。風呂の後に破けるかも知れない。
そうそう、仮定の話だが、S先生に問うてみるか。今のPM装置を左胸から取り除いた場合でも、同じ症状が出るのではないか、と。
2012年01月19日(木)18:05
妻と病院へ。培養しても何も見つからず。顕微鏡でも見つからず。黒い血を抜いてもらう。
来週(1/23(月))入院。次の日、現在のリード・チェンバーを抜き去る。一週間後に右胸に新しく植え込む。右胸は残して置きたかったが、調べても他に方法が無い。
看護師さんが病棟は私のことを皆よく知っていますよと。そうでしょうとも、2008年5月から、今度で7回目の入院、5回目の手術になるのだから。
笑いながら、取り出したPMを欲しいと言ったら、S先生、持っていても始末に負えないし、出所と犯罪との関係など疑われると。
また、抜去後には其の箇所に異物が無くなるので、感染などは起きる確率は低いとのこと。
自己脈は40以上ないと、PMは設定で無しと看做し、機能すると。恐らく、当初より悪くなっているかも知れないと。
増悪ですねと、私。先生思わず、えへっと笑う。
右胸に変更しても、患者の体質なら発症は防げない。また、オペ時の感染ならばどうかは、更に不明だ。要するに何の保証もない。(PMの)メーカー変えてみますかと、先生。返事に困るな。
左胸、再植込み時、リードは洗わず其のまま留置、ジェネレーターのみ洗浄だった。考えれば当然なのだが、PM本体の下及び周辺にリードが埋め込められているのだ、リード線も感染していると疑うべきではなかったか。外部の報告では、片方のみでは再感染し、両方共に新規植え込みでないと抑えられないようだ。今度、もし、右胸の時には、患者として強く主張すること。
……………………
手術説明・同意書
1.病名、症状:人工ペースメーカー感染
2.手術名とその内容:手術日2012/01/24 ペースメーカー除去、体外ペーシング、新規再移植時(ペースメーカー植込み術)、鎖骨の下に4-5cmの皮膚を切開し、5cm程度のポケットを作成します。その中に、心臓内に挿入したリード線1~2本と電池(ジェネレータ)を植え込みます。
3.麻酔の方法・内容:植え込む部位に局所麻酔で麻酔します。
4.手術の必要性と、手術しないときの経過予想:心停止、心不全となる可能性があります。死に直結します。
5.他の治療法との比較、そり利点と危険性:他の方法はありません。一時的に作用する薬剤はありますが、根本治療にはなりません。
6.手術自体の危険性及び考えられる合併症:気胸、血管穿孔、心穿孔、感染性心内膜炎
7.予後(経過予想)及び考えられる後遺症:数日間、患肢はうごかせません。7-10日後に抜糸し、退院となります。
8.通常は発生しないが起こり得る重大な危険性:リードの脱落、創感染、皮膚壊死、これらは再手術が必要です。きわめてまれに、リード挿入時の血管損傷、心タンポナーデ、感染性心内膜炎、血管外科医による緊急手術となることがあります。これらは起これば死亡の可能性もあります。
9.手術に伴う検査の必要性(HIVを含む感染症検査等) :感染症検査、出血傾向の検査等。安全と保守のため必要に応じて業者が立ち合う場合があります。
……………………
2012年01月22日(日)15:39
循環器科で除去するのだが、液を含んでいて脹らんでいる箇所の処置はどうするか(23日確認 循環器科で処置するとS先生)。
電池交換時には、同一箇所に植え込みなのか、今度、聞いておこう(23日確認 S先生 同一場所の予定)。
除去後のリードと本体の写真を撮ってもらうか(23日確認 OK。S先生)。
植え込みは皮膚下どの程度かも聞いておくこと(23日確認 筋組織の上。S先生)。
20日・21日、風呂に入るときには、テープで保護し、ふやけて皮膚が破れないようにした。

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2012年01月23日(月)07:07
PM除去⇒体外ペーシング(感染の有無検査で1週間寝たきり)
↓
⇒①感染有りの場合→其のままの状態が続く、薬物治療方法が無いのでどうするのか。患者は寝たきりか。
⇒②感染無しの場合→右胸に新規植え込み
ではなぜ、現状のままで感染有無の検査が可能でないのか。除去時感染の為の検査か。
①は放置不可のため植え込み必要、②は当然。結果、薬物投与の治療があるなら、現在の治療が可能の筈。ゆえに、感染の有無に関らずPM植込みが必要となる。
単に、右頚からの体外ペーシングの1週間の苦痛を患者に与えるだけだ。傷口の回復待か。ならば2日程度か或は様態・患者次第ではないか。聞いてみよう。
17:00 S先生。30分ほど説明を聞く。上記の疑問で、私の考えに特に無理はない。ただ1週間ほどなら、除去痕(ドレインを入れる)も治る確率が高い。結局、除去後の傷状況を見て判断する。植え込みは、うまくいけば木曜日に。次は火曜日と設定。体外式ペーシングで動かないのがよい。血管を破るようなことにもなる。
新規のPMは、メーカーを変える。MRI(magnetic resonance imaging=磁気共鳴映像法)対応でドイツ製とのこと(国内では駄目)。サイズは従来のものより大きいというので、皮膚に負担が掛かると、感染の原因となるのではと。感染しないことが、大切ですからと、先生。

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2012年01月24日(火)07:07
さて今日は除去、そして体外式ペーシングの取り付け、二度目である。只今回は除去後の経過を見るためである。
2012年01月26日(木)18:57
手書きでメモしておいた内容をパソコンで整理する。今、ベッドの上は配線だらけだ。ちょっと油断すると絡まりあってしまう。

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手術用の体外式ペーシング(MEDTRONIC5375
DEMAND PULSE GENERATOR) が、35 PPMに設定されている。

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自己脈はほぼ42前後で安定している。この配線が右頚から静脈を経て心臓に当てられている。
それと、テレメトリー式心電送信機(心電・呼吸送信機)の三本線が、身体に貼り付けられている。ナースセンターで四六時中監視しているのだ。まぁ、ペースメーカー植え込んだ時点で自分もコンピュータ化されてしまった。

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(01/24) 朝、ナースセンターを偶々覗いたら、S先生が生あくびをしながら書類を見ていた。先生も疲れている様子だ。
看護師さんが笑って云う“セクシーパンツ”の登場だ。

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折角なので妻に穿いた姿を前から後ろからと、撮ってもらった。前垂れの無いフンドシである。暫くの間、最初にPMを植え込んだ時に貰ったものを取って置いたが、いつのまにか無くなった。
看護師さんが今日の予定を伝えに来た。
01/24手術当日
第5回目となる手術だ。痛み、勿論、局部麻酔はされているのだが、徹頭徹尾、「痛い、ウッ!」である。痛いですね、大変ですねとT先生。「生きるためですから」と負け惜しみでなく、其の言葉が肉太の文字のように自然に出る。生きる、ということが神仏を超えて吾が生き様の本領として溢れるのだ。仮に、手術する先生が“生きる”意味を問うたら、滔滔と、合の手の痛い、ウッ!を縫ってまくしたてる積もりだ。其の時間はたっぷりあった(2時の予定が15:09分に病室を出て、手術室を出たのは、18:51分である)。
S先生からT先生にも来て貰っていると告げられた。若い先生が、右頚の静脈を探すのに10分ほど掛けている。体外式ペーシングの設定のためだ。S先生が、術後、首が短く皮膚が厚いのでやりずらいと。猪頸ですかと、私。瘦身の高齢者の方が見つけ易いとのこと。
手術では何かしら隘路が待ち受けている。当初の植え込み時には、G先生、「どうしよう」と、困った様子だった。当時は病室を16時少し回って手術室へ、戻った時は20時を過ぎた。妻は其の時も1人通路で待つ。
麻酔を打つ、切開く、切り除く、押す、引っ張る、縫う、其れに合わせて患者も、イタッ、ウッ、よし、うーっと腰を上げて踏ん張る(これが、腰痛の原因となる)。その間、シートの下で、緊張の汗と暑さでの汗が左肩を血と共にだらっと流れる。麻酔注射、刺さされるとなぜか釣針かJ状のもので引っ掛けられている感覚だ。麻酔されて受ける感覚と手術の実態とは違うと以前に聞いた。
(14:46)14:00の予定が遅れている。その間、妻に駄洒落の新作を披露する。病院で、“手術台の患者、手術の失敗を知り、救急車を呼んでくれ!”これが妻に大受けだ。あなた、思い出し笑いしないでね、と念を押された。
妻が持ってくる新聞でインフルの流行を知る。寒い中毎日来院する妻が心配である。嗽と手洗いを子供に言うように話す。妻も素直に聞く。妻の話では、近所のMさんのお母さんがこの病棟にインフルで今日入院したと。
それから1月の退院時に知り合ったSさんのご主人が同様に入院との事。
第5回目となる手術は、リード(2本)の除去、ジェネレーター(PM)の除去、入院前に腫脹した箇所の切除となる。
PMはどうやら取り出せた。次にリードであるが、スクリューイン(先端がキルクをあける時のツール状)されている。S先生が1,2,3,・・・と数えながらそれぞれを回し始める。モニターでは分解性能のせいか、抜け切れたのか、不明のようだ。其の時の痛みは全く無い。リードの抜けた部分を切る。静脈に挿入する手前の各リードにストッパー状のもの(リードを固定するためにかしめる物で其の上を糸で縛る)が取り付けてあるようだ。これを見つけないと残余のリードを取り出せない。困難に打ち当たる。剣ヶ峰だ。
オペ開始後2時間ほど経っただろうか。其の時、T先生が、「S先生に椅子を」と叫ぶ。体調を崩したようだ。「S先生、だいじょうですか」と、私。“まずい”と思った。今回はS先生がオペしている。このまま見つからなかったら、留置されたままになる。術後、回復したS先生に聞くと、見つからなかったら、各リードに蓋をし、留置と。間一髪だ。
カバーされている患者としては聞くことで状況判断するしかない。どうも疲れから軽い失神(めまい)を起こしたのではないかと判断した。救急車呼を呼ばずとも此処は病院、医師も居る。が、笑えない状況だ。
駈け付けた別の先生が、“これは(あと)1時間以上かかるぞ”と。どうやら少し離れた場所の椅子に座り、引き継いだ先生と外科のT先生の問いに指示を出している。辛うじて1本は見つかった。が、もう一本に窮している。もっと先かな、と切り開き抉る。ウッ、痛い、う~ん。T先生、手前じゃないかと少し戻って切除。あった! 2本ともスムーズに引き出せた。2008年05月20日以来3年8ヵ月か。
術後、回復したらしいS先生、心配掛けました。自信なくしましたと。妻に持たせてあったカメラで、先生にペースメーカー、リード線を撮影してもらう。妻に“大変な拘り様ですね”と、先生。妻に後で聞く。

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手術後は毎回そうであるが、あまり痛まず5時間ほどで、じ~んとする感じも消える。ただドレインの箇所がぴりりっと痛む時があるだけだ。
私の希望を言えば、右頚の体外式ペーシングをぶら下げたままの1週間は患者にとって苦痛であるから、可能ならば、木曜日(26日)右胸に新規植え込みしたいと思った。が、実際には私自身の気力が落ちていることと、S先生の様子も心配になった。
術後の病室で先生に、心配しましたよ、と私。ご心配掛けまして、傷つきましたと。素直な先生である。
あっ、そうそう、練習の甲斐あって、安楽尿器でやれた。其のタイミングはS先生の様態に異変が生じた直後、看護師さんに尿器を差し入れてもらったのだ。
遅くなった妻にはタクシーで帰ってもらった。妻は、あたふたした様子の手術室への出入りを、1人情報も無く、長時間辛抱強く待ったのだ。私が“生きる”とゴシック体で意思を表現できるのは妻のお陰であり、そして何よりも妻のために生き抜きたいからだ。へこたれる訳にはいかないのだ。
血圧が200以上だったと、後で看護師さんだろうか、聞いたら教えてくれた。血圧下げるために力を抜くなど、手術台の上で、自分なりに工夫はしている。が、感想は終わってしまえば、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」だ。
次の25日、私も気力が落ち込み、食欲も無くなった。理由のひとつに、誤解があった。手術中に、自己脈が38~42あったと。そこに別の選択肢があるとS先生が言い、体外式ペーシングのレートを60から35RATE/PPMに下げたのだ。つまり、自己脈活用かと。自分で腕時計を見ながら、10秒間の脈を数え、6倍すると出る。おおよそ42の脈拍数。
ところが更に、車椅子でのトイレ後に、ナースセンターの中で、モニターで見ると、動いたからか、68とか78とかを打っている。もし本当なら、洞結節の機能も、房室結節の機能も、心室筋も回復し、刺激伝道系が復活したのだ。完全房室ブロックよ、PMよ、さようならなのだ。
その様な例は聞かんぞ、と冷静に判断はする。が、万が一にもと藁にも縋る儚いことを思うのだ。傷痕は左胸に残るも、左のものはすべて除去されている。いまだ右胸は無傷だ。またとない機会であると。
が現実は、理由も無く徐脈になったことが、訳も無く完治するなど無く、分かっていることは、其の現象に対して唯一の対処手段がPMということだ。
点滴はもうしないのでと、看護師さんが樹脂針を抜いてくれた。跡がかなり気触れているし、痒い。ゾンデロンを持ってくればよかった。
2012年01月27日(金)06:20
K看護師さん、熱と酸素と血圧測定。右頚の線をテープで再固定してもらう。
少なくはなったが、ピンク色した液が昨日交換したガーゼを染めている。昨日の交換時、S先生、ドレイン取りましょうかと言うので、えっ、と私。まだ不安ですかと、先生。蓋をすると腫脹することを三度体験している。「羹に懲りて膾を吹」いている。
8:00 朝食 18:00 夕食が決まりだ。
朝食で、ご飯に味噌汁、焼き海苔、昆布との煮豆を一緒くたに入れて食べてみた。これが、不味い! 訳の分からんものとなった。もしかして、添えられている飲むヨーグルトを流し込んだらと思うが、止めにする。
トイレに行ったついでに“姫音”を確かめてみた。水を流す音がザーッするだけだ。殿である私は普段使用しないが、姫にとっても無意味ではと思った。車椅子を押す看護師さん、聞いたことある、と興味ない返事。
10:00 S先生。ドレインを抜き去った痕、長さ1cm、幅3mmほどをテープで塞ぐ。
点滴をやめ飲み薬にする。胸部の写真を撮って貰う。

201201271004.JPG(ドレイン抜去前、ピンの箇所)

2012012402PM
麻酔針は通常の形状、Jの感覚は体内で麻酔を撹拌するためか。
G先生が中々静脈を探せなかったことを話す。造影剤で見るのだが、個人の身体状況にもより、中々見つからないこともあるのだと。早いところ頼みますと、私。
31日の右鎖骨下の植え込み作業は、PMの切開箇所からリードを先に進める。其の後にPM押し込む。
PMの記録では自己脈は数パーセントしか働いていないようだ。殆どが40以下ということ。
S先生が言うには、2回目のPM(乳首の下深く再植え込んだ)の上部、感染と特定はできないが、やはり、(洗浄できない)部分が残っていたのだろうと。感染とは断定できないのが残念であると。リードと離れた箇所の深い場所から最初腫脹が起き滲出したのだ。

【穴の写真】
リード線から離れた箇所で深い穴のできた理由が分かったような気がする。この件については、S先生にも以前に疑問を出しておいた。なぜリード線と離れた箇所で其れも深い処から腫脹が起きたのかを。先生は其の時は分かりませんと。
今度右胸に起きた場合、リードとPM両方とも新しいものに替えてもらいたいと話す。次の次の場合にですねと。
例えば、「Staphylococcucs schleiferiによるペースメーカー感染の一例」から引用すると、「治療については、Ceardらが報告した4例において、一期的にジェネレーターとペースメーカーリードの両方を除去した1例では、もとの部位に再度植え込みを行っても、再発を認めなかったが、ジェネレーターを交換しただけで、ペースメーカーリードを交換しなかった4例中2例では、後に再度ジェネレーターとペースメーカーリード両方の交換が必要となっている]、「ペースメーカー感染の治療には、ブドウ球菌に感受性を示す抗菌薬を投与するだけでは治療させることは困難であり、ペースメーカーリードも含めてペーシングシステムごとに交換することが必要であるとしている」と。
10:45 看護師さんが抗生剤の飲み薬を持ってきた。朝・昼・晩と各1錠5日分。
妻が来た。ゾンデロンを頼んだ。それと本を一冊買うように頼んだ。
15:10頃5Fに入院しているSさんの奥さんが病室に訪ねてきた。前回入院時に一緒のバスで妻が知り合ったのだ。30分のバスで戻る間、おしゃべり。
18:50頃 H先生病室へ。10分ほどおしゃべりをする。まだ研修中とのこと。
21:08頃 Aさん!という呼掛けと共に、看護師さんが通路を走る音。Aさんは近所の方だ。高齢の女性で、インフルで昨日に入院して来た。Mさんのお母さんだ。日中トイレに車椅子で行った時、入院した時と別の病室に移されていた。其の時Mさん夫妻がドアの所に居たのを見掛けた。
2012年01月28日(土)07:49
昨夜は音楽を聴きながら寝る。
今朝、6:00に看護師さんが歯を磨くための容器と水、それに蒸しタオルを1枚もってきてくれた。
別の看護師さんが、4時頃から起きる頃まで、体外式ペーシング(35に設定)が働いていたと。脈を測っていたら、ウン、ウンと言っていたから意識はしっかりしていたと。そう言われれば、薄暗闇の中の看護師さんを、うっすらと思い出した。
新たに脈を診ると、今は42ほどだ。
入院後に始まった左ひざの痛みが、昨夜は9時ごろからズキンズキンと強く痛み出した。ボルタレンテープを貼る。今朝も曲げると痛い。ロキソニン・ムコスタが家にあるので、妻に持ってきて貰うことにする。
24日 手術室から19時ごろ病室に戻った。
ストレッチャーから私をベッドに移すため、ベッドの上に1人の看護師さん、残る2人の看護師さんがストレッチャー側で持ち上げる。其の過程で掛け声、そして多少の踏ん張る音、他の患者との仕切りカーテンが看護師さんの身体に触れて少し開く、この間僅か二三分。この状況で、罵声が飛んだ。
私のベッドの列、窓際の高齢の患者だ。“ドスン、ドスンとこっちは病人なんだ、何処の看護婦だ”と、同様の言葉を再三投げつける。看護師さんは呆気にとられて、無言。
“すいません、手術終わって戻ったものですから、少し堪えてもらいませんか”と、私。“お宅が謝る必要はないんだよ”と、其の患者。
大部屋に居ると、患者の容体など問わずとも洩れ知れる。その患者の性格などもだ。其の患者、病室替えを申し出たようだ。看護師さんが、ちょうどよかった、今度は糖尿病で2階に部屋を移って貰うと。大部屋にいると、いろいろな人生の来し方行く末が入れ替り立ち替りで、まるでカットバックを観ているようだ。
体外式ペーシングのため、トイレは車椅子のお世話になっており、都度申し出て看護師さんにトイレまで押して行ってもらう。其の往復では、ペーシングと心電・呼吸送信機の入った生理食塩液の空き箱をカタカタ鳴らし、“ラッコ”のように抱えて行く。“ラッコのトイレ”か。
11:10分頃 看護師さんが痛み止めのロキソニンを飲んでもいいと。以前にも傷の痛みではない服用で許可を貰った。
妻が持ってきてくれた痛み止め(ロキソニン・ムコスタ)を飲んだので、膝の痛みが和らぐ。15:38のバスで妻は戻る。
時々、左胸手術痕周辺でピクピクする。
PMの資料に、薬が原因の徐脈症状が書かれているが、具体的には何の薬なのだろうか。長い間服用しているものでは高脂血症治療薬のリピトールしか思い当たらないが。該当する薬があるのなら積極的に公開してもらいたいと思う。薬の服用を止めることが可能なら不要な植え込みをしなくて済むのだ。
昨夜、H先生が31日13:00時に手術予定が入っていることを確認してくれた。
さて、S先生、なぜ体外式ペーシングのRATE/PPMを60から35に設定し直したのだろうか。確かに、42程度あれば車椅子でのトイレの行き来にはめまいもふらつきもない。理由は不明。なお、長時間体外式を取り付けていると“感染”の原因にもなると言っていたが。1週間はどうなのか。一概に時間の問題でもないとも思うが、疑問に思うと次から次へとだ。
20:00 先程来乾いた様子のひどい咳をしている患者がいる。どうも女性のようだ。同室の患者は大丈夫なのか。確か、見舞いの客の場合はご遠慮(或はマスク着用)して下さいとの張り紙を見たと記憶する。K看護師さんに聞くと、普通のカゼとの事。対処済みのようだ。早く治るように。
20:04 妻に電話し、念のため、明日来院する時マスクをして来るようにと伝えた。
最初の植え込み時、「左肘(静脈)に押し付けるような酷く重い疲れ」が出た原因は、造影剤注射のせいか。今、分かった。暢気な話だ。すると今度は右か。
さて、膀胱カテーテルはどうするか。手術の所要時間は3~4時間、是が普通だと体験者としては思うのだが。1~2時間とする資料もある。が、簡単を売り物にしていないか。今回は全体で、3週間ほどの入院になるのか。
入院時にこれまで左膝が痛くなる記録は、当院の整形外科での薬を貰うのも含めて3回目だ。家でも数カ月おきに左膝などを痛め、ロキソニンで治している。膝の痛みと関係ないか。関節液検査してもらうか。
2012年01月29日(日)08:16
昨夜は左膝が痛く動かすことができなかった。06:00頃 血圧・体温測定に看護師さんが来られた時に目が覚めた。
膀胱が急に張り、尿意が盛り上がり我慢できなくなった。出た、800ccの容器に丁度700cc。つまり、これが我慢の限界。
患者として気の付いたことを記録しておくと、資料を読んだ時に符合し納得することがある。あの時の痛みはあれが原因かとか、理屈が後から付いて来るのだ。
抗生剤での保存的治療はPMリードの感染の場合には困難であり、PM全システムの除去が治療の基本ではあるといわれる。が、それでも再発は続く場合がある。
体外式ペーシングのリードを支えるのに貼ってあるテープの下が痒い。長さ2cm幅3mm程の赤みができている。

201201291124
11:10頃 妻がマスクして登場。通路挟んでの病室から咳き込みが聞こえる。が、快方に向かっている咳だ。
Sさんが病室を覘く。娘さんの車に乗っていかないかと、妻を誘う。今日妻はタクシーで来ていて、帰宅もタクシーだ。もう少し留まりたいので、気持ちだけを受け取る。
先に挙げた資料て、S.schleiferiは、「分離頻度が低く、また病原性も弱いと考えられているので、臨床では単にその他のStaphylococcucs 属として扱われていると考えられる」、「人工物使用時のコロニゼーションおよびその起炎性についても検討していく必要がある」と。
2012年01月30日(月)07:16
看護師さんに車椅子を押されてトイレに行く。昨夜は3時半ごろ目が覚めた。高齢の女性が「覚えて…、覚えて…、おぼえて…」と同じフレーズを同じ抑揚で繰り返す。夜半である、はっきりと大きく聞こえるのだ。次に気づいたのが、6時50分頃である。その間、件の女性、続けていたのだろうか。“覚えていない”。
膝関節痛の来歴
2007年04月02日 T整形外科
2008年04月30日 1年後に再度左膝の痛み
05月01日 注射・飲み薬
2009年02月23日 近くのB整形外科へ
其の後は、ロキソン・ムコスタをKWクリニックで貰い
痛み出したときに服用。
午前中、同室の患者が退院。90歳近いと思われる両親が、60台後半の病気の息子に代わって、退院します、と挨拶に来られた。4人部屋に1人となった。と思いきや、午後に入るといきなりドヤドヤと二人の患者が入院。其の喧しさ、その大声、本当に心臓が悪いのかと、妻と顔を見合わす。病院はコンビニに似ている。否、コンビニより元気かも。然う言えば、店じまいしたスーパーの跡に近々コンビニがオープンすると、妻が言っていた。
HPの修正をする。アップロードは退院後だ。
15:20 妻が帰る。
16:00頃 S先生。自己脈については、PM設定でどの位出ているのかが消されてしまうので、自己脈測定をする。今のところ、36(38)~42位で推移している。後に60に戻しても問題はないと。選択肢として、傷口回復(明日半抜糸)を待って、植え込み手術は木曜日ではどうかと。体外式ペーシングも思ったほど負担にならないので、木曜日を了承。PMはドイツのBIOTRONIK製で、MRIも可能のようだ。それと自宅からのモニターリングも可能との事。仕様は業者が説明するとのこと。当病院でも実績あり。最新のものだと。
また、関節痛の話もしておいた。
昨夜から、横になるとドキンドキンとするような感じがする。また、顔面が熱るような、浮腫んでくるような、或は内部から圧力がかかるような感覚もある。自己脈が36近辺のせいか。それとも薬か。ロキソニン・ムコスタ、抗生剤、リピトールを飲む。
傷口あたりがチクチクと痛む。
2012年01月31日(火)07:37
高周波を用いた抜去システム(Electrosurgical Dissection System:EDS,PERFECTACOOK社製)
タクシーを呼ぶ様にナースコールで車椅子を頼み、トイレに直行。安静を保って7日目。自分でやれないことはないが、先生の指示。08:40 看護師さん、低い状態で安定しているが、気を失うような時ナースコールするようにと。本当に駄目な時は其れもできないが、自己脈が弱ってきていると、自己測定では思っている。今は、37,8か。一応、体外式ペーシングは35でセンシングしている。
左膝の痛みが中々とれない。ボルタレンテープ(経皮鎮痛消炎)も貼っている。
Mさんのお父さんが亡くなったと、妻が伝える。近所の高齢の方で、昨年、当病院を退院後、他市の施設に居たのだ。娘さんが、入院中の奥さんに最後の別れをさせるため外出させたと。
16:00頃 S先生。半抜糸。穴の開いた箇所は完全に傷口が塞がっていない。液も少し出ていると。
15:09 まだ日没ではない。日が伸びたか。
2012年02月01日(水)09:53
車椅子で移動中に、知り合いの方と通路で擦れ違った。話したくとも安静の身の上、ふらふら出歩くことは禁止。ところが、先ほど其の方が、退院の挨拶に見えた。何と、隣のベッドだっだ。心臓血管の目詰まりでステント入れていると。点検入院だそうだ。毎日薬を服用しているとのこと。まあ、一病息災とも云うではないか。
11:08 今朝10時ごろ二人退院したと思ったら、もう新手が一人加わった。
13:20頃 S先生。残り抜糸。穴の箇所、液が少し出ている。明日、13:30頃から植え込み術。明朝採血。膀胱カテーテル無し。組織片の検査結果は特に分離された菌はないとのこと。何かに感染したことは間違いないのだが。
風呂には雑菌がうようよいるので、半年くらいシャワーにしてみると。そんなにですか、と先生。異物が無いから穴の箇所は内部の肉が盛り上がるまでと思うが、と私。
ペーシングが働いている、限度かな、自己脈がここ数日堕ちていますと、私。看護師さん、瞬間だが、昼間25の時あったと。先生に連絡したと。ペーシングが35に設定されているので、センスしたか。
16:00 看護師さんに明日以降の「入院診療計画書(詳細)(ペースメーカー植え込み術)」の説明を受ける。抗生剤の5日分は飲みきりで終わり。
20:00 トイレ(大・小) 01:30 (小)
2012年02月02日(木)06:30
薄っすらと雪化粧だ。雪が降り続く。
採血、血圧、体温測定済み。午後一番に手術予定。明日の朝までバストバンドで固定される。パソコンを片付けておこう。
雪がかなり降っている。この地方でも、大雪になると報じている。
2012年02月04日(土)06:59
4日目、「病棟内フリー」になった。早速、6時頃トイレに一人で行く。干渉を受けずに誰かの支援を得ずに為すことができるのは素晴しい事だ。が、仕儀により、自由を縛られる。其の様な環境でも、新たな自由を獲得する、それが生きることだ。
08:15分頃 H先生が診に来た。触診。
02月02日13:28分 4Fから1Fの手術室へ、そして16:45分に病室に戻る。
先週(1/23)に続き、第6回目の右胸への新規植え込み術だ。
ペースメーカーは、BIOTRONIK社製、エヴィア(Evia DR-T電池寿命14年)に替わった。ホームモニターリングをし、ドイツにあるセンターへPMのロギングデータを夜中に毎日送る。MRIにも耐えるということだが、日本では承認されていない。
今回の手術はM先生だ。23日の手術の時、ハップニングに駈け付けて担当し,“後一時間ほど掛かるな”とぶっきらぼうに言い放った。初めての先生だ。
手術が始まると、“運もあるんだよな”と先生。是までの経緯を当然承知した言葉だろう。私は、運がいいとか悪いとかに微動だにしない性質である。特に、苦しい時の神頼みなどは絶対にしない。感覚で捉え論理的思考を以って解き、決断し、対処する。常に強い意志が働く。したがって、先生の言葉は聞き流す。
が、M先生、始まると手際がまるで外科医の如くだ。患者はシートの下でも安心して工程を追い続けられる。手術中は無口らしい、患者も合わせる。先生方も夫々のリズムがあるのだ。心室用リードのスクリューイン、そして心房用リードの陽極スクリューインの最適場所を二度三度と当たる。
いきなり、バッカン(ドッキン)、バッカン、バッカン。
“止めて、やめて、駄目だ(なぜか漢字で叫ぶ)!”バッカン、バッカンと心臓が大きく膨らみ今にも破裂するかと思われるほどだ。呼応して体もシートの下で跳ね上がるようだ。
が、先生一言も発せず、恐らく計器を見ているのだろうと、ふと思った。患者は初めての経験を伝えるべくもなく、万事休すかと。脈数からして、5秒から6秒程の出来事か。
心房リードもカウントしながらスクリューイン。結果としては、安心感が一々の手際から伝わる手術だった。
“悔いの無いように”と先生、縫合前に何度か消毒する、と書いている時(11:15)、左胸に冷たく流れる感触。下着が液で染まる。溜まっていた液が透明テープの皺の隙間から洩れたのだ。患部を湿潤に保つのが近頃の医療判断なのだ。漏れた後もたっぷりではないが液が少し残っている。看護師さんに連絡。テープでというから、替わりにガーゼを当ててもらった。テープは気触れる。
冗談のようなテープもある、カブレス、だ。デジカメ(Panasonic DMC-TZ7 16GBSDHC)で撮る。

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2012020201PM(植込み中のため、体外式ペーシング利リードもある)

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さて戻る。膀胱カテーテルを用いず手術台に乗る、二度目である。“コーヒータイム”時には、頼むね、と看護師さんに冗談を言う。S先生も傍で笑っている。術後、手術台の上で、“やっと地球人に会えた”とジョークを飛ばす。ブルーシートの下での思いだ。
“コーヒータイム”だ。溢れるといけないので、途中で止めると、そんな技術持っているんですか、と愉快な看護師さん。尿器は800ccの容量、我慢できる限界は、私の場合、700ccまでだ。時間にして5時間半(点滴などの条件にもよる)くらいか。いずれにしろ、4時間半は持つ。
術後、病室で心電図測定。メーカーによるホームモニターリング説明他。19:30頃 S先生。二つ程聞く。なぜか左胸端側まで、挿入が迂回したような感覚が走ったがと。まぁ、その様に感じただけか。次に、バッカンの件。どうも横隔膜の神経に電極がふれたのか、実際は心臓でなく、横隔膜が脈拍と同期したため、大きく感じたのか。滅多に起こるものではないと、先生。珍事発生か。
技術者にも後で聞くと、操作上は何もしていないので神経に触れたのではと。が、患者は驚天動地。もし心臓だったら、自己脈がショックで復活しないか。或はその前に破裂するかではないか。
看護師さんが、術後、部屋に戻った時、やり終えたという顔をしている、と評す。が、本心は、新しい悩みに向かって踏み出したとの思いである。ひとつは、左胸の傷、特に穴の開いた箇所が同様のことを繰り返すのか、それは血流の過程で右胸を侵さないのか。次に、右胸、新規のペースメーカー植え込み後の感染の憂慮だ。が、不確かの中、一々を決定しながら生きる道程と、割り切って考えてもいた。
02月03日 尿器使用 00:15 オシッコ500cc 05:00 オシッコ500cc 09:40 S先生。左は本来菌がないはずだが、まだ液が出ていると。
昨夜は、排尿後に、腰痛が酷くなり寝られず、バストバンドで寝返りもできず、看護師さんにクッションを当てて貰うも痛みは解消せず、足をベッドの柵に上げるなど、悶々と眠れず。翌朝は風邪気味となる。体温は37.xx度である。
妻が帰った後、カーデガンとマフラーで暖かくし、15:20分~17:15分2時間ほどぐっすり。寒気は取れた。ロキソニンは2日以降多少の痛みが右ひざに残るも服用していない。
21::00過ぎ、顔・首筋が汗ばむ。もしかして、手術後の創傷からでと考え、抗生剤点滴中でもあったので、看護師さんに体温を測ってもらったら、36.4度であった。暖かくし過ぎていた。少し調整してみてはと、看護師さん。其の通りにしたら、さっぱりとした。
16:00 看護師さんが朝・昼・夕用の飲み薬、「オーグメンチン配合錠250RS」を明日の朝から飲むようにと、5日分持って来た。今夜で抗生剤の点滴が終了する。
さて、夕飯まで少し寝るか。妻がいなり寿しと海苔巻き寿しを作って持って来た。それと本物の豆もだ。そういえば病院では昨日、昼食に節分の豆の代わりに赤ちゃんが食べるタマゴボーロが付いてきた。立春過ぎても厳しい寒さが来週も待っていると。
両方の手術箇所が夫々の痛みを発する。先ず左は穴の辺りがチクチクと。右胸は擦れるようなちょっと重い痛み。看護師さんが言うには。ポケットを創り、ペースメーカーを入れるため抉った時の傷が痛むのではと。妙に納得。0から5の段階に分けての顔表示で、痛みを示す。どれ位かと、1の段階の顔表示を選ぶ。
是までの入院でもそうであったが、病院でパジャマ姿で居るのを好まない。で、スウェット‐シャツ(トレーナー)を着用。本当なら、迷彩服でのトレーナーの方がよりよいかも知れない。今度探してみよう。パジャマだと、無様に転がっているだけで、能動的な姿勢には見えない。何よりも意欲喪失と思うからだ。温泉での羽織・浴衣姿も性に合わない。
先祖は武士と、母が言っていた。その魂の片鱗を遺伝子に受け継いだのか。何せ源頼朝以来だから、もしかして、合戦で刀傷を負っているのかもしれないな。是を見よ、とか云いながら胸を広げて自慢したのではないか。
21時頃のニュースで、この地の市長が辞職したことを伝えていた。癌で1月末に再入院。迷惑をかけられないと辞職を提出。
この市長が初めて立候補した時、公開討論会を主催した。討論会はこの地では初めての試みであり、主催者への中傷誹謗も飛ばされたが、討論会は大成功でメディアも開催前後の報道だけでなく、年末の特集でも取り上げてくれた。
2012年02月05日(日)06:54
昨夜で抗生剤の点滴は終わり、今朝から錠剤を服用なのだが、留置針が先生の指示がカルテに無いため、取り除かず。先生も、点滴は明日で終わると言っていた。看護師さんは先生の指示を守るのは当然だ。其のことで更に先生も責任を果たすことになる。
09:02 妻から携帯に連絡あり。髪が伸びたので美容院に行くがいいかと、病院には行けないかもと。了解。妻も毎日では疲れる。子も休みだ、ゆっくりしたのがよい。
で、コーヒーが飲みたくなった。担当の看護師さんが言う、PMチェックが済んでいないので、階下へは禁止と。いつもは妻が自販機から買ってきてくれる。看護師さんが、薬局に行く序に、買って来てくれることになった。
10:50頃 看護師さんがコーヒーを買って来てくれた。飲みながら、パソコンに向かう。
病院に居ても家での生活の主要な場面が保たれている。パソコンでの文章作りは、持ち前の悪筆に気をとらわれることなく、考え事に集中できるので嬉しい。
11:30 担当の看護師さんが、留置針の件、電話で先生に確認が取れたので抜くと。トイレの帰り、ナースセンター前で声を掛けられた。先生を休ませてやってよ、と私。
15:04 5Fに入院中のSさんの奥さんが来た。病院バス・市のバスが運休なので、妻を息子さんの運転する車に同乗と誘いに来てくれたのだ。すっかり、妻と友達になったようだ。
14:00過ぎ看護師さんが、点滴用留置針を抜去してくれた。血圧、体温、酸素飽和度(パルスオキシメーター 正常値は95%以上)をチェック。
18:17 うっかり、薬(オーグメンチン配合錠)を飲むのを忘れていた。朝・昼と服用せず。夜からだ。う~ん、留置針のせいにしておこう。看護師(S)さんがナースセンターにいたので連絡しておく。夜の看護師さんと相談すると。19:08
夜の担当看護師さん、S先生にまた電話で確認。飲み忘れたのは仕方ないので、そのまま指示通りの服用続行。時間を戻して、忘れた2回分一緒に飲むことはできないな。S先生、おちおち休んでいられないな。すみません。
2012年02月06日(月)09:24
病室は月曜日になり、二泊三日ほどの検査入院患者で満室となった。其のうちの一人の患者の奥さんが、丁度、丸裸で妻に蒸しタオルで拭いてもらっている最中に、ティッシュ箱を持って挨拶に来た。オッと。妻が被ってくれた。
18:50 H先生。ペースメーカーのチェックの件。明日もPM植え込みの術があるので、其の後、メーカーがチェックに来る予定と伝えてくれた。10分程おしゃべりをする。
20:25 S先生。傷口を診る。PMチェックの件を告げる。H先生から聞きましたと。今のところ液が出ていない。左は先生の中縫いが効きましたかね、と。
昨日(02/05)朝起きたら、右足のくるぶし内側付近に痛みが出ている。今(02/06:10:40)は同じくるぶしを内側から見て踝を円と見ると、四時の方向の一点を押すと、痛い。左膝は痛みが取れている。くるぶしにボルタレンテープを昨日から貼っている。歩くには特に問題はない。PMを右側にしたと関係するのかは不明。が、左膝と同様に丁度曲がる箇所(関節)であったら歩行は痛くて無理だ。左膝と同様の症状である。特に腫れはない。レントゲン撮影ではこれまでも異常は見つかっていない。何か運動上の問題でもなく、痛みの原因は不明で、ロキソニンで対症している。病因を見つけてやる。
2012年02月07日(火)05:44
右くるぶしの痛みで目が覚める。トイレに行くのに少し脚を庇う。ロキソニンとムコスタを服用、ボルタレンテープを張り替える(05:40)。整形外科に診てもらうことにするか。以前にも左膝であったが、今回は痛みが強い。S先生に伝えて貰えるよう、看護師さんに病状を話す(06:10)。
朝食。病院の味噌汁が塩辛いと感ずる。昔は、醤油ジャブジャブ派だった。妻が言う、塩辛い干物にまで醤油を掛けて食べていたと。ところが今は家で私は醤油を一切使用しない。代わりに高知県馬路村から取り寄せている「ゆず酢」を用いている。舌は肥えてくるなど、味覚が一変した。食材其の物の味が分かるようになったのだ。が、大方は病院での薄味に嫌気を差している。或る患者など別途調味料を備えていた。
08:55 S先生。右くるぶしを診る。尿酸値や変形(ひび割れ、子供の頃)の疑いも、専門家に診てもらえるよう、手紙を書いておくと。尿酸値か、いつも8.0以上で指摘されていることを忘れていた。
窓際に移った患者が今日退院するようだ。医師と患者の声が筒抜けであるからして、傍目八目で病状が判る。“妊娠しているように腹が脹れている”と患者。
父を肝臓がんで亡くした記憶が蘇る。仕事(事業)第一で酒を飲んでも事業のことを苛立ちも交えて愚痴っていた。楽しい酒の飲み方で無いと、子供心にも思ったものだ。
父は、肝臓の硬化縮小、つまり、肝硬変が進行し腹水の貯留で腹が異様に脹れ殆ど意識不明の状態で、ただウンウンと呻いていた。当時の町立病院で、コバルト照射で肝臓癌の治療をしていたと、数度の危篤の知らせの都度、車で東京から茨城まで駈け付けた折に、聞いた。
何の為か忘れたが、父の口に指を入れて舌に張り付いたものを掻き出してあげたこともある。苦しむ父を見ていて、死の訪れの早からんことを正直に言えば願った。
“普段の生活してればいいですか”と件の患者。“肝硬変は治らない、これ以上進まないようにしないと”と、医師。各種の検査でも顕著な変化(進行)の所見ではないようだ。しかし、この患者の“普段の生活”を患者自身も詳細にしないし、医師も聞かない。私の父のようなのかどうかも不明。
「がんワクチン」をテレビで報じていた。ある種のガンは消失するのだ。余命を幾ばくも無いと言われて、ワクチンで元通りげんきになり、美味く酒が飲めると喜ぶ被験者。
病院といっても、一般病床(救急患者の治療など)と療養病床とに分類されるが、ほぼ2週間で“治った”と看做され退院(患者からすればその位で退院希望)である。乱暴に言えば、完治かしたかどうかでなく、入院時の主訴が長引くもの(療養)か、短期決戦(2週間程度)のものかの判断なのだろう。退院でも、めでたしめでたしもあれば、釈然とせずに後日改めて入院となるかだ。だから、退院すなわち完治ではない。其の辺の事情を患者も理解する必要がある。
この国の医療の仕組みなのだ。入院患者の平均在院日数が19日を超えると評価が下がり入院基本料が減額されるのだ。加算額は15日目から減額となる。
この患者、就寝中に気になる咳き込みを度々していた。一度など、妻が家の寝室で咳き込んでいる夢を見て夜中に目を覚まし、一二秒掛って病院の仕切りカーテンを認識、あっ、夢かと。咳は暫し続いていた。
奥さんが迎えに来たが、起き上がるにもウンウンと辛そうである。が、この窓際に移った患者、看護師さんの前では元気そうに振舞う。
退院して行った。お大事に。一言も交わすことの無かった同室人同士。
トイレに行く。通路で同姓の看護師さんと短い会話で笑いを誘う。
02月07日に記した市長が膵臓がんのため死去、67歳。03月18告示、日03月25日投開票
14:20 整形外科より戻る。尿検査・血液検査、尿酸値8.1。足首のレントゲン写真をCD-ROMで貰う(情報公開)。

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17:20 PMのメーカーチェック 問題なし。ただし、設定を3.5V→AUTOに設定しなおす。電池は14年ほど保つと。手術中にリード線が細いように感じたので、メーカーの方に確認したら、やはり細いと。リードのトラブルはこれまで無いと。これまでもそうだが、PMチェックで心拍数を下げられると、1時間ほど何かドキドキ感が残る漢字がのど下から胸の中心に掛けて起きる。
院内可になるが、右踝が腫れまくって痺れるような痛さだ。が、整形外科からの薬は届かない。探したら、家から持参のものが残っていた。14:30頃服用。今は楽になった。
2012年02月08日(水)06:45
橙色のグラデーション、雲はあるが朝焼けに照らされて映える小道具のようで、先ず先ずの天気の始まりだ。
昨夜はくるぶしの痛みに襲われっぱなしだ。今は小康状態を保っている。整形外科から薬が届く前に、激痛が正調なったパルスに合わせ走り出したのだ。持参した薬を服用した。で、服用タイミングがずれてしまい、薬効が切れても、時間外に新たな服用(決め事がある)の踏ん切りがつかない看護師さんと相談し、尿器を用意してもらう。22:15
、00:12 、02:30、06:00と夫々600ccほどの尿量。其の都度、妻が用意してくれた水を補給し、ボルタレンテープを貼りかえる。
08:45 S先生。左右の胸、半抜糸。左は良いようだ。右は未だ付きが少し弱い。炎症を抑えるからロキソニンは飲んでも良いと。院内可ですと。と言われても右踝が痛むのだ。心電図用送信機も外す。テープを剥がした跡、皮膚が細かくヒビ割れを起こしているので、ぴりぴりする。後から、看護師さん、コーヒーもいいです、と言っていましたと。
ロキソニン・ムコスタを飲む。
妻から電話(10:35)で、ホームモニターリングが届いたと連絡あり。
4人部屋、今朝二人退院し、一人で使用だ。「病室22時」で書いたようなことも起こらない。が、ほんの一時ことで、午後から亦埋まるか。
ペースメーカーを右胸に植え込みした。是までの左を右が庇っていた動作を逆にする必要がある。例えば、右手だけでノコギリを用い庭木を剪定などしていたが、今度は左手だ。車のハンドル操作も右腕を主に大きく回し、左腕は副える程度だった。パソコンのマウス操作は左右どちらでも自在にできるので問題はない。
さて、トイレは家でも、ウォッシュレットを使用するが、やはり、利き腕の使用は欠かせない。で、入院中に訓練することにした。要点はすぐ呑み込めた。上半身のヒネリを利かすことだ。右利きではスムーズでも最初はこのヒネリ具合がぎごちないのだ。今のところ訓練の成果は90点の出来だ。退院までには100点にする。
午後から二人入院して来た。
19:45 看護師さんに連絡し、ロキソニンとムコスタを服用。やはり、痛みはそうでもないが、腫れが引かない。それと左足も心配である。
2012年02月09日(木)05:15
09:30 1Fにコーヒーを買いに行く。
15:10 S先生。左胸のガーゼ取る。傷口は塞がっているが、右胸は残りの部分の抜糸を明日まで待ってみる。最後の縫合、H先生なので、少し締め付けが甘かったかな。明日はレントゲンと血液検査してもらって退院か。S先生も、そんなにいてもしようがないでしょ、と冗談。しかし、しっかり塞いでおきたい。
妻を送って1Fへ。部屋に戻って、同室の患者と20分ほど、おしゃべり。
看護師さん、1Fへ降りたら、うがいと手洗いをして下さいいねと。素直に言うことに従う。
18:15 看護師さん、明日午後からレントゲン撮影。血液検査はしないようだ。
18:30 ロキソニン・ムコスタ服用。
21:15

201202091405 (画面左側 テープ気触れ)

201202092101.JPG(半抜糸の状態)

201202092110 以上三点自分で撮影。
2012年02月10日(金)08:23
近所の高齢の方も、元気に食事をしている。私のことも見分けがついている。
昨夕に飲んだロキソニンが今頃効いてきたのか、4時頃、本を読もうとしたら睡魔が襲ってきた。6時に再び目が覚めたが、やはり、眠い。
08:30 今日の担当看護師さんが来たので、退院の話をS先生に聞いてもらった。ナースセンターに先生が居たようで、午前の残り抜糸の状況次第との事と、伝えて来た。
09:20 コーヒーを買い行く。09:40頃 S先生。抜糸。月曜外来の予定。午後の予定を早めてくれたようで、レントゲン撮影に1F。午後に退院することを妻に電話。

20120210114501

20120210114502

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20120210114602
退院時1F通路で、昨年、左胸を外科で治療していた時にお世話になった看護師さんに声を掛けられる。レントゲンの待合で見かけたのでと。経緯を簡単に話し御礼を述べる。
2012年02月14日(火)17:35
昨日15時の病院バスで妻と外来。S先生にテープを剥がしてもらった。傷口は付いている。ホームモニターリングの件、異常ある時にはメーカーから病院に連絡されると。

201202132330(右胸PM植込み後)

201202132331 (左胸PM抜去後)
2012年02月26日(日)12:35
左胸の穴の開いた箇所、術後の瘡蓋が剥れぶら下っている。よく見ると中縫いの白い糸が5ミリほど出ていて、其の糸に瘡蓋が引っ付いている。思った通りだ。毛抜きで抜こうにも抜けない。5月のPMチェック迄、様子見るか。
あとがき
日記は入院中に考えたことや疑問の点を率直に書いたもので、病院や先生方、看護師さんに対する誹謗中傷の意図は一切ありません。むしろ多忙の中、疑問にも率直にお答えいただき、感謝致しております。
それに手術中(局部麻酔)の会話の端々等から、後日の記憶で書いているものでもあり、誤解の点も多々あるかも知れません。まして医学上の正確性を有するものでもありません。
念のため。
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