『朝野人物評 第二編』加納 豊/編

 八十七-八十八頁
 栗本鋤雲先生

舊政府准參政外國尹安藝守閣下。幕府の末世に當り英雄豪傑の士前後輩出せり、而して今存するものの幾許かある。况や終始臣節を全ふせる先生の如き者に於てをや。夫の大義名分を唱て朝廷に歸服したるもの、事固より順なり。然れども徳川の社稷一日を永ふすれば即はち一日の忠を盡すもの、先生が如き實に徳川氏の文天祥を以て自ら居る者なり。醜名は人の厭ふ所、美名は人の欲する所、誰れか朝廷の逆臣たることを欲する者あらん。唯先生自ら求めて之に就き、頑然として前朝の遺臣を以て自ら居れり。嗟道を信ずる厚き者にあらずんば安んぞ此の如きを得ん。

余嘗て其の題陶淵明燈下讀書詩と讀み、覺へず泫然泣下せり。詩に曰く

 門巷蕭條夜色悲、鵂鶹聲在月前枝、誰憐孤帳寒檠下、白髪遺臣讀楚辭、

先生の節義此の如きは余の最も推重する所なり。而して余の推重する所此に止らず、其の學問の淵博なるに服し、其の本草藥物の學に精しきに服し、其の家少しも書籍を貯ヘずして、儒生の風を脱したるに服し、健啖健腕健脚宛も名木強い武人の如くにして、毫も都人士柔弱の態なきに服し、客あれば必ず飲み、飲めば必す高吟快語一世を不可するの氣あるに服す。抑も余や近世士氣日に優柔輕浮に流れ、復た此種特偉の人物を生せざるを歎ずる毎に、未だ曽て先生を思はざるはあらざるなり。

引用・参照・底本

『朝野人物評. 第2編』高岡種治 編 (朝野新聞社, 1890)
(国立国会図書館デジタルコレクション)