『改訂 肥後藩國事史料 巻八』

 二八九頁

三月十三日東海道先鋒總督府参謀木梨清一郎は英國公使と横濱に會し徳川慶喜の處置につき談判す
〔王政復古帳〕
 (三月廿日参謀安塲一平の報告書に添付せしもの)
 横濱情實

去る十三日木梨清一郎横濱ニ参り英之公使ニ面會いたし公使曰此節慶喜粗暴ニ附而御追討ハ御尤之事なり然ル處慶喜彌恭順相愼候上ハ死ニ入レ候道理ハ無之助命有之度江戸城明ケ渡し 朝廷御請取ニ相成候ヘハ 朝廷之御趣意ハ相立可申西洋各國ニおゐてハ假令暴惡之人と(註)雖一度大權を取り候人を死ニ入レ候例無之萬國公法之道理如斯既ニ佛之先ナポレヲン其道を失ひ候へとも放逐迄ニ而死一等を赦し有之候と申候右之通之事ニ而木梨茂尤之事ニ思大總督府ニ駈歸談判相濟候而木梨ハ直ニ猶又横濱へ参り申候而同意之返答いたし居候大總督府ハ全躰英公使之言を待たす其前より助命之内議ハ起り居爲申處幸公使之一言を以彌夫ニ決定ニ相成申候模樣ニ相聞此儀別紙ニ相認置候西郷吉之助品川より上京之節木梨も駿府に而咄合候事故京師え茂相達申事と相考申候
三月十四日天皇祖宗の祭典を宮中に行ひ神明に誓ひて廟謨を定め五條の誓文並に宸翰を下し給ふ翌日之を發布せられる

「参考:七、外交上より觀たる江戸城明渡」

(註)文字不明のため、文脈から[と]と表記。


引用・参照・底本

『改訂 肥後藩國事史料 巻八』
(国立国会図書館デジタルコレクション)