『書窓雜記』徳富猪一郎 著

 海舟全集

 八一-八二頁
 一 幕末の一偉人

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 誰が何と申すも、海舟先生は、幕末の偉人である。このごろは世間に往々反海舟熱を煽り、特に小栗上野介などを持ち出して、かれこれ對照する人もある。されど勝は勝であり、小栗は小栗である。小栗が偉いにせよ、偉からざるにせよ、勝その人の價値に何も關係はない。牛肉がうまきがゆゑに、鯛はうまからずといふが如き論法は、世の中に有り得ベく樣がない。

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 本文の記者は、海舟先生の門下などいふは、餘りに嗚滸至りであるが、然も先生の晩年には、屡々その眷愛を忝なくして、その誨を受けた一人である。記者は年少ながらも、必ずしも英雄崇拝の酒に酔うたものではない。先生の時事論などには、聊か感服し難き筋もあり、また人物論なども、如何にややと頭を傾くる節もあつた。されど大づかみにいへば、先生は實に幕末の偉人だ。如何に割引しても、いわゆる旗下八滿騎中、先生の右に出づる者はなかつたと思ふ。

引用・参照

『書窓雑記』徳富猪一郎 著 (民友社, 1930)
(国立国会図書館デジタルコレクション)