『夷狄の国へ 幕末遣外使節物語』尾佐竹猛 著

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 自 序

 陣笠を冠り大刀を横へてロンドン、パリーの街を闊歩したと聞いた丈けでも、その珍妙な光景が想像される。そして往々そんな寫眞の傳はつて居るのを見ては我々日本人でさへ驚くから、況んや當時始めてこれを目撃した歐米人の感想は如何であつたらう。更にその當の本人等たる人々が歐米の文物に觸接して如何に感じたかといふことは無限の興趣を唆るのである。そこでその事柄を調べて見たいと思ひ立つたのであるが、幕末に海外へ出掛けたものは相當にある。その第一は外交上の使節としてまたは特命理事官として派遣せられたる所謂公的の出張である第二は留學生として派遣せられたるもの第三は秘密に各藩から又は個人として出掛けたもので、謂はゞ國禁を犯して海外の視察、見學等の爲め決死の覺悟で渡航したもの、第四は偶然の機會に海外に漂流したもゝ四種類に大別することが出來る。そのうちで第四の分は比較的その事柄が傳はつて居り、種々漂流譚が出版せられて居るから、今更ら余輩の筆を俟つ迄も無いが第一の分は史料がありそうで、其の實備つて居ないのである。しかもいづれも國家の代表といふ緊張した氣分で出掛け、先方でも尋常一樣の觀光團として取扱つて居ないのであるから、これこそ最も必要なるにも拘はらず、その史料が乏しいのであるから、これは學會の一大缼點と謂はねばならぬ。そこで第二第三の分は暫らく後廻しとし、余輩敢て自ら揣らす第一の事柄に付き筆を染めんとしたのである。幕府から海外へ派遣した使節は萬延元年の遣米使節新見豊前守一行を始めとし、次は文久二年の遣歐使節竹内下野守一行、第三回は文久三年の遣佛使節池田筑後守一行で、その次が慶應二年の遣露使節小出大和守一行、翌三年の遣佛使節徳川民部大輔一行の五回である。猶ほその外に慶應元年に柴田日向守一行を派遣して居るが、これは特命理事官といふので外交使節ではないのである。 そこで柴田一行の分は留學生の分と共に研究するを便とし之を省き、右の五回の使節に付いて史料を蒐集したが、斷簡零墨のみで、未だ滿足に揃はないのであるが、これでも發表すればいくらか同好の士の参考にもなるべきものと思ひ不完全ながら世に發表することゝしたのであるが、このうちでも小出大和守一行の分は就中史料が乏しく發表する迄の程度に達せないからこれも除き、その他の四回分に付て、稍目鼻のついた程度に於て世に問ふといふに過ぎないのである。讀者諸子の高教を乞ふこと切なるものがある。
猶ほ是等の使節の外交上の事蹟に付ては曩に公にしたる拙著『國際法より觀たる幕末外交物語』に述べて置いたから特志の方々は御参照せられたい。

   昭和四年六月
          仙朶谿の僑居に於て
              著 者 識

引用・参照・底本

『夷狄の国へ 幕末遣外使節物語』尾佐竹猛 著 (万里閣書房, 1929)
(国立国会図書館デジタルコレクション)