『日本憲政提要』

　三六-四七頁
　第五章　皇政維新

　大政一統　政治ノ單位　朝廷職制　中央政府ト各藩　大政奉還　維新ノ大號令　御達書　國是御誓文御箇條　ゴエル及ヒローマーノ學説　維新ノ政治論　政治上ノ用語

　慶應三年十月十四日、徳川慶喜、大政ヲ奉還シ、此ニ皇政維新ノ業ヲ開ク。我大日本帝國ハ、萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス、此事ヤ、終古渝ルコトナキナリ。只我政治組織ハ時勢卜共ニ變遷シ、政治的勢カノ集中分配、亦時ト相推移ス。徳川幕府時代、我帝國ノ主權、皇室ニ在リシヤ論ナシ、只當時封建ノ規模定マリ、其根據甚タ深キモノアリ。幕府政務ヲ總攪スルヤ、京都ノ宮廷ハ虚器ヲ擁スルノ姿アリタリトモ、其徳川幕府亦漸ク實權ヲ失ヒ、諸侯割據シテ、自ラ其領土ヲ統治ス、是レ徳川氏亦虚器ヲ擁スルモノタリ。而シテ其諸侯亦腐朽弛解、四五雄藩ノ外ハ自ラ支フルノ力スラコレレ無ク、國ヲ擧ケテ無政府狀態ニ陥ル。只政治的勢力ノ單位ヲ以テ目スヘキモノハ、猶ホ諸侯ノ外ニコレ無キヲ以テ、徳川將軍大政ヲ奉還スルヤ、皇室ハ、諸侯ヲ一統シテ大政ヲ行フト云フ形ヲ成セリ。
　故ニ皇政維新當時ニアリテハ、我アリテハ、我君主専制政體ナリト雖モ、其政治的勢カノ單位ハ諸侯ナリ。藩翰諸侯ヲ合シテ、聯邦ヲ形クリ、京都ノ朝廷ハ、則チ其中央政府夕ルノ觀アり。
　慶應三年十二月九日、皇政復古ノ大號令出テ、總裁、議定、参與ノ三職ヲ置キテ、政府ノ中樞ヲ形クリ、總裁ハ皇族之ニ當リ、議定以下ハ、京都ノ公家及ヒ各藩有力者ヲ以テ之ヲ組織ス。明治元年、貢士制度ヲ設ケ、大藩三員、中藩二員、小藩一員ヲ出ス、宛モ是レ米國元老院、獨逸聯邦参事院ト、其性質ヲ同クスルモノニシテ、皇政ノ大旨ハ海内ヲ一統シ、政權ヲ集中スルニアリト雖モ、維新創業ノ始ニ當リテ、此形ヲ成スハ、亦已ヲ得サルトコロナリ。
　幕末及ヒ明治初年ニ於テ、宮廷及ヒ政府ノ公文ニ、「公議與論｣ナル語ヲ見ルモノ甚タ多ク、又「言路洞開｣等ノ語ヲ以テコレ卜相照應ス。併ナカラ、是レ只中央政府カ、各藩ノ意見ヲ取ルト云フ義ニ外ナラサルナリ。當時ハ封建時代其マゝノ社會ナリ、新聞雑誌等ノ刊行セラルゝモノナク、集會演説等ノ事アルニアラス、人民ノ選擧ヲ以テ組織スルトコロノ合議體亦存セス、而シテ猶ホ公議輿論ヲ云々ス、其意義今日卜相同シキ能ハサルヤ論ナク、其言路ヲ洞開スルト云フモ、社會公衆ノ言論ノ自由ヲ認メタルニアラスシテ、中央政府ト各藩トノ意思ヲ疎通スルノ道ヲ設クルト云フニ止ル。幕府大政奉還、及ヒ皇政復古ノ事ノ公文書ニ徴スヘキモノ次ノ如シ。
　慶應三年十月十四日、徳川慶喜、朝廷ニ上ルノ書ニ曰ク
　臣慶喜、．謹而皇國時運ノ沿革ヲ考候ニ、昔王綱紐ヲ解キ、相家權ヲ執リ、保平ノ亂、政權武門ニ移テヨリ、祖宗ニ至リ、更ニ寵眷ヲ蒙リ、二百餘年、子孫相承、臣其職ヲ奉スト雖、政刑當ヲ失フコ卜上少、今日ノ形勢ニ至侯モ、畢竟薄徳之所致、上堪慙愧候、況ヤ當今命外國之交際、日ニ盛ナルニヨリ、愈政權一途ニ出上申候者、綱紀難立侯間、從來之舊習ヲ改メ、政權ヲ朝廷ニ奉歸、廣ク天下ノ公議ヲ盡シ、聖斷ヲ仰キ、同心協力、共ニ皇國ヲ保護仕候得ハ、必ス海外萬國ト可並立候．臣慶喜國家ニ所盡上過之卜奉存候、乍去、猶見込之義モ有之侯得者、可申開旨諸藩ヘ相達置侯、依之此段謹テ奏聞仕候以上、
　既ニシテ、慶應三年十二月九日ノ大命アリ、曰ク
　徳川内府從前御委任大政返上、將軍職辭退之兩條、今般斷然被聞食候、抑癸丑以來未曾有ノ國難、先帝頻年被腦震襟候御次第、衆庶之所知ニ候、依之被決　叡慮、王政復古國威挽回之御基被爲立度候間、自今攝關幕府等癈絶、即今先假リニ、總裁議定参與之三職ヲ置レ、萬機可被爲行．諸事神武創業ノ始ニ原キ、縉紳武辨、堂上地下ノ別ナク、至當ノ公議フ竭シ、天下ト休戚ヲ同ク可被遊　叡念ニ付、各勉勵、舊來驕惰ノ汚習洗ヒ、盡忠報國之誠ヲ以、可致奉公候事、
　此時、總裁ハ有栖川宮、議定ハ、仁和寺山階兩宮、中山正親町、三條、中御門Ξ公家及ヒ尾越藝土薩五藩主ナリ。参與亦公家五人、見越藝土薩五藩各々三人ヲ出セリ。
　是等任命卜同時ニ發セラレタル御達書、
　一、大政官始．追々可被爲興侯間、其旨可心得居候事、
　一、朝廷禮式、追々改正可被爲在候得共、先攝簶門流之義、被止候事、
　一．舊弊御一洗ニ付、言論之道被洞開候間、見込有之向者、上拘貴賤、無忌憚可致獻言、且人材登庸第一之御急務ニ侯故、心當之仁有之候ハ、早々可有言上侯事、
　二、近年物價格別騰貴、如何卜モスヘカラサル勢、富者ハ益々富ヲ累ネ、貧者ハ益宭急ニ至リ候趣、畢竟政令上正ヨリ所致、民ハ王者之大寶、百事御一新之折柄、旁被腦宸裏候、智謀遠識、救弊之義有之侯者、無誰彼可申出候事、(和宮御方云々一項畧ス)
トアルカ如キハ歴史家ノ最モ注意スヘキ文字ニシテ、第三項ハ皇政維新ニ際シテ、廣ク意見ヲ求メ、人物ヲ擧クルノ要ヲ示シ、第四項ハ即チ社會政策ノ要道ヲ明カニスルモノタリ。
　明治元年三月十四日、聖上紫宸殿ニ出御、諸有司及諸侯ヲ日率キテ、天神地祗ヲ祭リ、國是五箇條ヲ發表シタマフ、所謂五箇條ノ御誓文ナノモノ、即チ是レナリ。
　一、廣く會議ヲ興シ、萬機公論ニ決すみませんヘシ、
　一、上下心ヲ一ニシ、盛ニ經綸ヲ行フヘシ、
　一、官武一途ニ庶民ニ至ル迄、各其志ヲ遂ケ、人心ヲシテ倦マサラシメン事ヲ要ス、
　一、舊來ノ陋習ヲ破リ、天地ノ公道ニ基クヘシ、
　一、智識ヲ世界ニ求メ、皇基ヲ振起スヘシ、
　我國未曾有ノ變革ヲ爲サントシ、朕躬ラヲ以テ衆ニ先ンシ、天地神明ニ誓ヒ大ニ斯國ヲ定メ、萬民保全ノ道ヲ立テントス、衆亦此旨趣ニ基キ、協心努セヨ、
　此御誓文卜同時ニ、國内ニ宣布アラセラレタル宸翰アリ、天皇統治權ヲ総攬シ、億兆ヲ安撫シ、四方ヲ經營スルノ大旨ヲ明カニシタマフ。世人之ヲ指シテ維噺ノ宏謨ト爲シ．帝國憲政ノ根源此ニアリト爲ス。
　世間史實ヲ求ムルモノ、此誓文カ、何人ノ手ニ依リテ起草セラレタルカヲ尋ヌルニ努ム。蓋シ最初ノ起草者ハ、由利公正福岡孝悌ナルヘシ。由利ハ越前ニ在リテ、横井平四郎等ノ影響ヲ受ケ、頗ル新思想ニ富ミ、福岡ハ、土佐ノ人、嘗テ坂本龍馬カ、薩長連合ヲ策シテ奔走セル際、後藤象次郎ト相謀リテ起草セル覺書アリ、福岡ノ言ヲ以テスレハ、「廣ク會議ヲ興シ｣ナル語ハ、當時諸矦承會議ヲ開クノ意ニテ起草シタリト云フ。
　然リト雖モ、強テ其起草者ヲ詮索スルマテモナク、是レ實ニ當時ノ要義ヲ表示スルモノト見ルカ當然ナリ。蓋シ徳川氏其紀綱ヲ失フヤ、天下其歸適スルトコロヲ知ルナク、人々皆本能的ニ皇政復古ヲ云フト同時ニ、海外立憲國ノ思潮亦此ニ加リ來リテ、君主政體ノ下ニ自由政治ヲ行フ卜云フ理想ヲ生出シタリ。Joseph von gürresカ一國家内ニハ、民政的分子卜、君主専制的分子ト並ヒ存シ、國家大變革ニ際シテハ此二主義ノ調和ヲ圖リ國民ハ君主ノ統治ノ下ニ於テ、其自由ヲ全クスルノ外ニ取ルヘキノ道ナシト云ヘル。Rohmer兄弟カ、幼穉ニシテ極端ナル人民ハ、自由ヨリモ寧ロ平等ヲ喜フノ傾アリ、從テ貴族政治其他階級的政體ヨリハ、寧ロ君主獨裁政治ノ下ニ立ツコトヲ以テ満足スルト云へルハ、皆以テ幕末及ヒ明治初年ノ政治ヲ解説スルノ論理卜爲スヲ得ヘシ。當時幕府卜各藩ヲ問ハス、皆皇政復古ト公議輿論ニ依ルノ政治トヲ理想トセサルナク、將軍家茂大阪城ニ薨シ、慶喜其職ニ就クヤ、越前候松平春嶽ハ、其ノ將軍職ヲ辭シ、天下ノ公論ヲ以テ政事ヲ定ムヘキコトヲ慫慂シ、慶喜直チニ之ヲ容ル。又慶應三年六月、薩藩大久保利通土藩後藤象次郎ノ盟約書ナルモノ成ル、其要ハ「制度一新、政權朝ニ歸シ、諸侯會議人民共和｣ニアリ、其列擧セル條件中、「一、天下ノ大政ヲ議定スル全權ハ朝廷ニ在リ、我皇國ノ制度法則一切ノ萬機京師ノ議事堂ヨリ出ルヲ要ス、一、議事院上下ヲ分チ、議事官ハ上公卿ヨリ、下倊臣庶民ニ至ルマテ、正義純粹ノ者ヲ選擧シ、尚且諸侯モ、自ラ其職掌ニ因テ、上院ノ任ニ充ツ、云々｣ノ文字アリ。此盟約書ハ、阪本龍馬カ、後藤ヲ説キテ、起草セルモノニシテ、其後十月、後藤等カ將軍慶喜ニ建議書ヲ致シテ大政奉還ヲ説キタルハ、一ニ此盟約ニ基キタリト云フ。而シテ同年十一月ニ及ヒテ、大久保利通ハ、政體變更ノ事ヲ、外國ニ宣布スルノ必要アリト爲シ、佛國人伯爵モンブランヲシテ其案ヲ起サシメ、寺島宗則等之ヲ修正シテ、朝廷ニ提出シタリ。其前文ニ、「朕ハ大日本天皇ニシテ、同盟列藩ノ主タリ云々｣ノ語アリ、其第二項ニ「大日本ノ總政治ハ、内外之事務共ニ皆同盟列藩ノ會議ヲ經テ後、公司ノ奏スル所ヲ以テ、朕之ヲ決スヘシ云々｣ノ文字アリ。偶〻徳川慶喜亦十二月十六日ヲ以テ、各國公使ヲ大阪城ニ引見シテ、其口演書ヲ傳フ、其文中「天下ノ諸侯ヲ聚ノ、公議ヲ盡シ、輿論ヲ取リ、余カ國政府ノ建法變革ヲ定メント、信約ヲ以テ朝廷ニ寄セタリ｣云々其他「公議輿論｣「全國ノ衆論｣等ノ累々頻發スルヲ見ル。是レ會議制及ヒ公議與論ナル語カ、當時、最モ普汎的ニ使用セラレツゝアリシヲ知ルへキナリ。然リト雖、當時ノ政治勢力ノ單位ハ各藩ニシテ、個人ニアラサルナリ、人民ニアラサルナリ、徳川氏大政ヲ返上シタルヲ以テ、君主政體ノ下ニ、諸侯ヲ連ネタル聯邦政治ヲ行ハントスルモノニ過キサルナリ、是レ其用語卜、其事實ト、常ニ相齟齬スル所以ナリ。且明治元年冬、松平容保、伊達慶邦、其他諸藩主、降朊スルヤ、十二月七日詔書ニ「賞罰ハ天下之大典朕一人之私スへキニ非ス、宜シク天下之衆議ヲ集メ、至正公平毫釐モ誤リ無キニ決スヘシ｣等ノ文宇アリ。而シテ當時東北諸藩ノ處分ハ、廟議ヲ以テ、時ヲ移サスシテ定リタリ。故ニ今日是等ノ文字ヲ見ルモノハ、皆其意味ヲ解スルニ苦ムへキナリ。何トナレハ、賞罰ノ大權ハ、當然主権者ニ在リ、且司法事件ニ付キ今天下之衆議ヲ集ムルト云フカ如キハ、有リ得へカラサルノ事ナレハナリ。併ナカラ、當時ノ政治上ノ外形ハ、宛然タル聯邦ナリ。中央集權ノ基礎未タ確立セスシテ、各藩皆政治上ノ單位タリ。此ニ天下之衆議卜イフ、亦藩翰一般ノ意思ニ求ムルト云フニ外ナラス。夫レ徳川事府大政奉還シ、大藩小翰．無能無力、爲スナシ、百事倥偬．總テ之ヲ廟議ニ待ツ、正ニ是レ専制政治ノ絶尊的ニ行ハルゝノ時ナリ。只其レ絶尊的専制政治ナリ、其ノ臺閣ノ用語ハ則チ之ヲ歐米諸聯邦、又ハ立憲國ニ假ルモノ多キヲ以テ、往々ニシテ極端ニ馳セ、實際ト相適ハサルモノアルコトヲ知ラサルヘカラス。

引用・参照

『日本憲政提要』(政治学叢書 ; 第5編) / 稲田周之助 著 (稲田周之助, 1913)
(国立国会図書館デジタルコレクション)