『維新正観 秘められた日本史・明治編』

 第三篇

 五、小栗上野介とその死

 246-248頁
 小栗を斬った輩の素姓を洗う

 小栗上野介を、無惨にもその手で斬った原保太郎は、丹波篠山の撃剣家である。破は京都に出て岩倉具視の部下となり、具定、八千丸の岩倉兄弟が総督、副総督となった官軍に付随し、東山道を進撃してきた。すでに下諏訪における相楽総三の一隊斬殺にも関係し、各地において、数多くの殺人行為を犯した人であった。
 この東山道総督軍なるものは、総督が奸物岩倉の子であり、参謀に、強盗頭西郷の臣僕のごとき板垣退助がいた関係から、上法な官軍の中にあっても、最も上法悪虐な兇徒の集団であったのである。原や大音の如きは、それら朝廷派の策士たちの、最も残虐なる輩下であったにすぎない。彼等は、西郷や岩倉の立てた陰謀に従い、罪もなき小栗一家の絶滅を企て、その悪事を煙滅するために、事実無根の罪状書を作成し、それを世上に公布し宣伝したのである。
 これら殺人暴虐以外に能のない、一介の壮士ですらも、後年に至って、いわゆる「椎新の偉業」を建設した「功力者」であるとせられ、当時旧大吊に比肩される重要な地位とされていた知事に、任ぜられたのであった。大音は、岩鼻県(群馬県)の初代知事となり、麦一升を盗んだ者が斬罪となるほどの苛酷な悪政を行い、後西南戦争の際、謀叛人西郷に加担して、逃亡した。原は、岩倉に従って外遊し、大津事件の際、滋賀県知事としてその無能を曝露し、さらに貴族院議員となり、赤十字社常議員となり、八十九歳の生涯を、気楽に送ったのであった。明治時代の功労者とは、要するにかくの如き賤劣悪逆な人間共であったのである。

 小栗斬殺事件の後日物語

 小栗が原保太郎自身の手で斬られたという事実は、永い間、小栗夫人の一家や私たちの一家には、知られていなかった。官軍側は、それを厳重に秘していたのである。私がその事実を知ったのは、大正八年(一九一九年)の秋のことであった。
 私は、第一次世界大戦の末期近く、当時の日本赤十字社長石黒忠直氏から、連合国赤十字の訪問を委嘱せられ、英米仏伊白の赤十字関係者、大本営、皇帝等を歴訪した。一九一八年十一月休戦となったが、私は、引きつづき日本赤十字の代表を委嘱され、仏瑞の都で行われた五大国赤十字会議に出席し、向後の赤十字を如何にすべきかを、外国人と論議した。そして、私の意見に基づき、一九一九年五月五日、巴里において、終に赤十字社世界連盟と称する一大国際機構が成立したのであるが、この事業が終って後、私は、一先ず日本に帰ることになった。その時に、日本赤十字社で、私のために歓迎会が開かれたのであった。同年十月のことであった。
 その歓迎会の席上で、賢明の老人石黒社長は、小声で、
 「蜷川さん、今常議員の原保太郎に、今日の主賓の蜷川博士は、小栗上野の義理の甥にあたる人だと語ってやった。原は、非常に吃驚して居ったよ」と云われた。私は、そのとき、初めて義叔父の殺害者が判り、小栗の業績を書くためには、まことに好都合であると心密かに悦んだものである。
 当日原とは直接に会い、その人となりを窺い知ったのであるが、凡庸な人物であることを確認したのであった。その後、私は原に書面を送り、面会を申入れたが、なかなか面会の時日を答えてこなかった。度々申入れて、終に彼と面会することになったのである。

 殺人犯人自身の斬首口供調書

 原は、殺人犯らしき用心深い態度をもって、私に対した。私は、今さらその罪を叫弾しようとするものでもなく、また叔父の仇を報じようとするものでもないと断った。
 私は、幕府の要路にあった一代の吊政治家斬殺の状況を、その下手人の口から、詳しく聞くことができた。私は又、何故に、小栗を斬殺したのか、その理由を訊ねてみた。それにたいし、原は、「板垣参謀から、厳重に処分せよと命ぜられ。その命令に従って、斬ったのである」と答えた。
 更に彼は、「長州征伐の張本人であり、又仏国から軍艦と資金とを得て、長州藩を倒滅しようと企てたことが、小栗上野斬殺の理由であった」と私に話ったのであった。
 その説明によれば、小栗が、反逆人ではないことは、原自身も充分承知していたのである。それであるのに、原は、小栗斬殺の直後に、村内に立札をたて、「此者朝廷に対し、反逆を企て云々」と書き記し、村民にむかって、欺瞞の宜伝を行ったのである。
 それは、原一人の考えではなく、岩倉及び板垣の方策、否朝廷方の総智力を絞っての悪事であることは、云うまでもないことである。当時の官軍とは、このような悪辣残虐の徒輩の集団であったのである。彼等は、その私怨を報ずる為に、何等の理由もなく小栗を斬殺し、小栗一家の絶滅を企て、小栗家の財物を一物をも余さず略奪し、更に小栗にたいする虚偽の宣伝を世上に行い、日本民族の為に専心した小栗の偉大な業績を史上から煙滅しようとしたのであった。いわゆる「回天の偉業」とか「維新の元勲」などというものの正体は、かくの如きものであったのである。今後の日本人は、維新の歴史を正観すべきである。それは、即ち日本民族史を清浄することであるのである。

引用・参照

『維新正観 秘められた日本史・明治編』
2015年4月25日 初版第1刷発行 著者 蜷川 新 注記・解説者 礫川全次
発行所 批評社