『君はトミー・ポルカを聴いたか ―小栗上野介と立石斧次郎の「幕末」』

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 おわりに

 万延元年の遣米使旅団が、政府高官や各市長たちへの贈物として運んで来た上等な美術、工芸品に優るとも劣らない数々の品初が手に入るというので、旅行者たちは夢中になっていたのだろう。イギリス公使のオールコックが『大君の都』を発表したのは、文久三年(一八六三)、攘夷の声の高まりの中で、小栗が八面六臂の活躍をしていたころのことである。オールコックは、もしも日本が開国政策をとったなら、日本人はたちまちバーミンガムやシェフィールドやマンチェスターと競争できる製品をつくり出すようになろう――と予想している。パークスと違って、オールコックはなかなかの文人であり、物質文明に関しては、日本人がすべての東洋の国民の最前列にいると評価しているのである。
 小栗たち、万延元年の使節を迎えたアメリカで、『ニューヨークータイムズ』紙が、やはり同じようなことを書いていて、様々なものが、器用な日本人によって、「そっくりまねされたり、改良されたりして、わが国に逆輸入されることになるに違いない」と予想している。
 この予想は、的中していたのでなかろうか。
 私たちは、レトロスペクティブな視線で江戸を振り返るのではなく、江戸が溜め込んでいた底力、「パックス・トクガワーナ」の文化力について思いをいたさねばならない。
 もしも、明治を偉大な時代だったというのならば、その偉大な明治をつくったのは、ほかならぬ江戸的な教養、江戸的独創性、汀戸的好奇心、江戸的緻密性なのであって、江戸には、長いこと研ぎすましてきた品恪ある理想の人間像もあった。ある意味で、こうした江戸のバッテリーが、すっかり切れてしまったところに、今日の日本の頽廃があると思うのである。
 最後にもうひとつ、別の解き口で江戸について考えておきたい。それは、ある意味で、今や、世界的な規模で、「江戸化現象」(edonization)
 が進行中だということである。
 テクノロジーの発達のため、二十一世紀に向けて、日常品や暮らしぶりの上で世界的な均質化が進行中で、ためにここに"文化的逆説″が生じて、地球的規模での新しい鎖国時代に突入したということである。すなわち、世の中は、空間レベルにおいても、心理的、風俗的レベルにおいても狭くなってきており、地球大での閉塞感がじわじわとひろがり、その閉塞感のために、世の中が一種江戸くさくなってくるということである。
 これまで江戸は、和辻背郎の『鎖国』に代表されるように、マイナス面のみが強調され論ぜられてきたけれど、考えてみれば、鎖国ゆえに、その文化開発が内へ内へと向かい、単なる必要なものを超えて、面白いもの、変わったもの、ひとひねりしたもの、ユニークなものへと向かった。その地方独自の物産か工夫されてつくり出されるようになったのも江戸時代である。
 「パックス・ブリタニカ」は、覇権主義、フロンティア開発、資源浪費型であったが、「パックス・トクガワーナ」は、人格主義、内部開発、リサイクル経済を基本とした。江戸日本は二百六十余の国(藩)にわかれていたが、城のあるところごとに、それぞれ微妙に異なった文化があり、知識人たちがいた。知識人は京や江戸にかたまっていたわけでなく、情報は多元的であった。
 今日、地球的規模での閉塞の中で二百近くの国々が、それぞれの独自性を認め、侵略しない国際条約を結び、エコーシステムを考えた自己組職化をはからねばならない。
 鎖国期の江戸文化は、一種の人工温室で、色とりどりの鮮やかな偏奇の花々を咲かせた。英泉、国芳の浮世絵、南北の芝居、馬琴の小説だけではない。裏店の隠居の朝顔自慢、俳句自慢に至るまで、生活の隅々まで都会的洗練と爛熟の匂いが滲みわたっていた。
 先にふれたように、私たちがふだん日本的だと思っているものは、そのほとんどか江戸畔代につくられている。世界的に均質化、画一化が進行している今日、私たちは、それ故にこそ、各自が個性的な内部開発、一種の面白探しをする必要があると思うのである。

引用・参照

『君はトミー・ポルカを聴いたか ―小栗上野介と立石斧次郎の「幕末」』赤塚行雄著
1999年10月29日 第1刷発行 風媒社