『米国の対東外交』

   第六章 日本の變遷

 216-217頁
 ハーリス條約の調印に伴ひて、吉兆を呈すべき一事件こそ起りたれ、條約の批准はワシントンに於て交換すべきことに決したるが、日本政府は交換を機として特使をワシントンに派遣すべきことを提議し、忠實なるハーリスは之を遂行せしめたり、當時閣老は曰へらく、合衆國は日本と條約を訂結せし最初の國なれば、我日本より派遣せらるべき使節は必ず先づ該國に至らしめざるべからずと、ワシントン政府は大に之を歡迎し合衆國の軍艦を以て使節を迎ふることに決定せり、然るに當時帝國の域外に赴くものは死に處すべき法律の規定ありしを以て、其例外の規定を作成するの必要ありて、為に出發の期を遷延したり。施設の一行は官吏從者を併せて總員七十一人より成り、一八六〇年(役者曰く、萬延元年)二月、日本を出發せり、此期を定めたるはハーリスの慎重なる考案に出でたるものにして、斯くして氣候温和なる五月を以て本國首府の觀光をなさしめんと欲せしに由るなり。
 一行の桑港に着するや、懇切なる歡迎を受け、パナマに於て他の軍艦に轉乘しワシントンに至りき。一行は國賓として、大統領より公式の迎接を受け、國務長官の饗宴に招待せられたり、大西洋沿岸の各都市は競ひて一行を歡迎し、敬意優遇及ばざらんことを之恐れたり。一行は一般の注意を惹き、到る處深厚なる賛辭を得たり。其威儀は殊に注意を喚起し、新聞紙は皆評して曰へらく、品格、知慮、修養は何れの國何れの時に比するも遜色なしと、日本人も亦大に歡迎を喜び、見聞する所一として驚嘆せざるはなかりき。一行中の筆頭新見は熱誠ある言辭を以て歡待の狀を記し、之を本國に致したり。其意に曰く、未だ首都を見ざれども、見聞せし所積んで山をなし、充ちて海の如し、然れども、この中四分の三は我邦に取りては悲しまざるべからざるものたりと、一行は來時と同一の路次方法に依りて歸國せり。

<戻る>

引用・参照

『米国の対東外交』(大日本文明協会刊行書 ; 第50編) / ジョン・ダブリュー・フォスター 著[他] (大日本文明協会, 1912)
(国立国会図書館デジタルコレクション)