『海舟先生』

 56-57頁
 (三十九)先生と小栗上野介

 當時閣老には、水野和泉守、板倉周防守、小笠原壹岐守(前の)等があつて、尤も小笠原氏の實力があつたやうである。また勘定奉行(今の大藏大臣)小栗上野介の如きは、識見もあり、技倆もある人であつた、小栗氏は先に歐米を巡見し、略ぼ世界の大勢にも通じて居つたが、もと高祿の幕臣であるのみならず、徳川氏が三河勃興以來の旗本の士であり、最も徳川氏に盡す心厚く、先生とは意見が合わず、互に苦手であつたらしい。小栗氏等の意見は、外資輸入をして、外國政府から軍艦を借り入れて、先づ長州を征朊し、次に薩州を討ち、薩長二州を討平した上で、幕政の大改革をなし、或は王政維新を幕府の手で成し遂げやうとするにあつたといふ説もある。先生はまた外國から金銭兵器を借り入るゝことには、大上賛成で、時の閣老と痛論したとのことである。畢竟先生は日本の國家を第一とし、第二に徳川氏の爲めに謀つたものであるが、小栗氏等は日本の國家と共に、徳川氏をも第一位に置いて謀つた故、二人の間、互に意見の相違を來したものであらう。

引用・参照

『海舟先生』戸川残花 著 (成功雑誌社, 1910)
(国立国会図書館デジタルコレクション)