『經濟倶樂部講演 第37輯 (吾國社會不安に關する一考察・徳川幕府の會計組織と勘定奉行・太平洋會議に就て)』

 徳川幕府の會計組織と勘定奉行

 (六七-六九頁)
 名勘定奉行と其の功績

 所が今まで申上げました事は大體に於て勘定奉行の惡い方面を一寸申上げたのでありましたが此の外に中々良い勘定奉行も澤山出て居るのであります。其の内で特に顯著な功績を殘したものは、八代將軍の時代の、杉岡佐渡守、細田丹波守、神谷志摩守、神尾若狹守、萩原伯耆守十代將軍の時代の川井越前守、十一代將軍家齋の時代の小笠原和泉守、村垣淡路守、肥田豊後守明樂淡路守、降って矢都駿河守、川路左衛門尉、小栗上野介等は ,幕府貮百六十五年間に於ける錚々たる勘定奉行であります、是等の人々は非常の權識と樞要な地位でありましたと見へまして加賀侯でも薩摩侯でも仙臺侯でも全く子弟とか友人附合ひと云ふやう手紙のやり取りして居ります。御三家の方々さへ之等の人々の邸を訪はれたと云ふ樣な專は一再にして留まりませんでした。從つて非常な勢力があつた樣であります。
 殊に其内でも神尾若狭守春央は八代將軍吉宗時代の財政立直しに非常に功のあつた人でありまして、神尾の遺法と稱する財政策を殘した程の名奉行で、常に自分の推薦した勘定吟味役堀江荒次郞と協力して、此疲弊し切つた財政立直しに非常の功績を顯はしたのでありました。從つて寶暦時代から所謂十一代將軍家齋時代にかけ、或はもつと先きの世までも、財政上の問題が起ると、直ちにそれは神尾の遺法通りにやらないからだ、今後は必ず神尾の遺法を遵奉せよとの命令を出す程の功績を殘したのでありました。
 それから明和時代川井越前守は五文錢、四文錢と云ふやうな小錢を出して庶民階級の貨幣流通の便宜を圖るり、小笠原和泉守長幸は、酒の醸造公許制度を拵へ、肥田豊後守は地租二割減を企た上に幕府收入の増加を計つた。又遠左衛門尉の如きは御承知の通り、後に大岡越前守に勝るとも劣らない江戸南町奉行となつた有名な人、次に川路左衛門尉は一勘定奉行の身で以て、幕府の世子問題にまで容喙して居つた程の權力を持つて居りましたが、此人は御維新の際、明治天皇の錦旗が東京に入ったと聞くと 同時に切腹して死んだ程の氣概があつた人で後に、外國奉行をも簸兼ねて居りました。

 (六九-七〇頁)
 小栗上野介の外債借款交渉

 次に小栗上野介、此人は幕末の名勘定奉行で、外國奉行を兼ねて居た有名な人でありますが、御承知の通りに最近吾々に非常な問題を提供した上州赤城山麓に於ける一億圓大判小判埋沒の主人公であります。それに付て勝海舟の一夕話の中に、上野介が其當時の佛蘭西の公使であつたレオン・ロセスに長州征伐の費用として六百萬圓の借款を申込み軍艦數隻を年賦償還の方法により購入方を申込み、之れを斷られた時の話に小栗さん程の人物が、僅に六百萬兩位の金の破談で腰を拔かすとは呆れた事だ。乍併當時は僅か六百萬兩位のもので天下を寢かすかす事も起す事も自由であつた樣に書いてありますが、然かも此六百萬兩の金がどうにもならなかつたと云ふのでありますから、此重大時期に際し何百萬兩の小判大判を赤城山の麓まで背負つて埋めに行く筈はないと思ふのであります。それから此點が私が一番初に申上ました勘定奉行が老中、若年寄を凌いで居つたと云ふ一の證據ともなるのであります。それは此時に長州 征伐の事を書いてある中に、「小栗は一擧にして長州を斃し、再擧薩州を斃さむと欲し、佛國公使レオン•ロセスを介して佛國から六百萬兩を借りようとした』とあります點から見ましても、小栗上野介は自分丈けの考へと云ふ譯ではありますまいけれども、主動的に長州も薩摩もやつ付けようと思つて居たのだと云ふことが、はつきり判るのでありますが、要するに老中、若年寄をそこのけにして此の當時小栗が活躍をして居つたのは明かであります。
 それから勘定所と云ふ所は、あの當時門地、門閥、格式と云ふやうなことが、非常にやかましかつた時に於て、此所だけは全く治外法權でありまして全く資格の低い御家人で何兩何人扶持と云ふやうなものが、腕次第で段々出世して、遂に三千石、四千石を貰ひ何の守と云ふ樣な地位まで昇れることが出來たのであります。從つて勘定所に勤めて、少し腕のあるものは皆相當に出世することが出來ました。丁度戰國時代に第一線に立つて槍一筋で立身出世したのと同じやうであつた樣であります。殊に先程申しました神尾の遺法の主人公である神尾若狹守春央に就ては仲々面白い話があります。

引用・参照・底本

『經濟倶樂部講演 第37輯 (吾國社會不安に關する一考察・徳川幕府の會計組織と勘定奉行・太平洋會議に就て)』昭和八年十一月廿六日發行

(国立国会図書館デジタルコレクション)

引用・参照

『経済倶楽部講演. 第37輯 (吾国社会上安に関する一考察・徳川幕府の会計組織と勘定奉行・太平洋会議に就て)』 (東洋経済出版部, 1933)
(国立国会図書館デジタルコレクション)