『海舟全集. 第10巻 琉芳遺墨其他』

  一 古今人物談

 三七六-三七七頁
 小栗上野介

 小栗上野介は、幕末の一人物だよ。あの人は、精力が人にすぐれて、計略に富み、世界の大勢にも略ぼ通じて、而も誠忠無二の徳川武士で、先祖の小栗又一によく似て居たよ。一口にいふと、あれは三河武士の長所と短所とを兩方具へて居つたのよ。然し度量の狭かつたのは、あの人のためには惜しかつた。
 小栗は、長州征伐を奇貨として、まづ長州を斃し、次に薩州を斃して、幕府の下に郡縣制度を立てやうと目論んで、仏蘭西公使レオン、ロセスの紹介で、佛國から銀六百萬兩と、年賦で軍艦數艘を借り受ける約束をしたが、これを知つて居たものは、慶喜殿外閣老を始め四五人に過ぎなかつた。
 長州征伐が六ヶしくなつたから、幕府は、おれに休戰の談判をせよと命じた。そこで、おれが江戸を立つ一日前に、小栗が窃かにおれにいふには、君が今度西上するのは、必ず長州談判に關する川向だらう。若し然らば、實は我々に斯様の計畫があるが、君も定めて同感だらう。故に、敢へて此機密を話すのだといつた。おれも此處で爭ふても益がないと思つたから、たださうかといつて置いて、大阪へ着いてから、閣老板倉に見えて、承れば斯々の御計畫がある由だが、至極御結構の事だ、然し天下の諸侯を廢して、徳川氏が獨り存するのは、これ天下に向かつて私を示すのではないか。閣下等、若し左程の御英斷があるのなら、寧ろ徳川氏をまつ゛政權を返上して、天下に模範を示し、然る上にて、郡縣の統一をしては如何、といつた處が、閣老は吃驚りしたよ。さうする内に、慶應三年の十二月に、佛國から破談の報せが來た。後で佛蘭西公使がおれに、小栗さん程の人物が僅か六百萬兩位の金の破談で腰を抜かすとは、扨ても驚き入つた事だといつたのを見ても、この時、小栗が何れ程失望したかは知れるよ。小栗は、僅か六百萬兩の爲に徳川の天下を賭け樣としたのだ。越えて明治元年の正月には、早くも伏見鳥羽の戰が開けて、三百年の徳川も瓦解した。小栗も今は仕方ないものだから、上州の領地に退去した。それを豫ねて小栗を悪んでゐた土地の博徒や、また小栗の財産を奪はうといふ考への者どもが、官軍へ讒訴したによつて、小栗は遂に無惨の最後を遂げた。然しあの男は、案外清貧であつたといふことだ。山岡鐡舟も、大久保一翁も、共に熱性で、切迫の方だつたから、可哀そうに若死にをしたよ。おれはたヾずるいから、こんなに長生きしとるのさ。

引用・参照

『海舟全集. 第10巻 琉芳遺墨其他』 勝安芳 著[他] (改造社, 1929)
(国立国会図書館デジタルコレクション)