『幕府衰亡論』

  第十八章 攘夷敕使及將軍上洛

        京都再ひ過激黨の勢力に歸す
        攘夷決定布告の要求
        幕閣に一定の政畧なき事情
        將軍家御上洛の輕擧


 百八十八-百八十九頁
 幕末の賢吏小栗上野介は曾て幕閣を評して曰く一言以て國を亡ほすべきものありやどうか成らうと云ふ一言是なり幕府が滅亡したるは此一言なりと云ひたる事あり又岩瀬肥後守は幕府の評議には可成丈字を嚴禁すべし幕府の失政は實に此三字に胚胎するぞと云ひたる事ありき此二格言余が親しく其人に聞たる所なりしが當時年少未だ其意を解するを能はざりしに今にして顧想すれば實に然り幕閣が恃める所はどうか成らふと云ふに在りて其行ふ所は可成丈云々するに在りき而して將軍家上洛に當りて一大問題たる攘夷に付て幕府の定見を確立せざりしも亦これに因したるのみ。斯の如きが故に將軍家の上洛は幕府衰亡の上洛なりけるに幕府の輩は猶これを察せずして徃時慶長元和寛永年間に家康秀忠家光の三將軍か゜上洛ありしに比しだしきは寛永の上洛に同じき結果を望める輩もありき彼の寛永の上洛は日本の政權を徳川家に掌握し朝廷をして之を認可せしめたる憲法制定の上洛なり諸侯は皆將軍の臣下たる實を天下に示したる勝利示威の上洛なりしに二百餘年を過ぎたる文久三年の上洛は將軍は主權者なれども最上主權は朝廷に在りと云ふ事を顯せるはせる降朊の上洛なり外交の國是に關しては幕府は京都(寧浮浪)の意に反尊するを得ざるの實を示したる示弱の上洛なり徃時は上洛を以て幕府の吊實を益々鞏固ならしめ今日は上洛を以て其名實を併せ失ふに至れるも亦宣なる哉

引用・参照

『幕府衰亡論』福地源一郎 著 (民友社, 1883)
(国立国会図書館デジタルコレクション)