『続再夢紀事. 第一』

  小栗豊後守の俗論會津侯の憤激

 九十一⁻九十二頁
 〇廿日例刻登營暮時歸館さらる此日西湖間に於て條約を廢し決戰の覺悟を定む云ゝの可否を諸有司に議せしめられしに小栗豊後守異議を唱へ政權を幕府に委任せらるゝは鎌倉以來の定制なり然るに近時は京都より種ゝの御差綺ひあるのみならず諸大名よりも様ゞの事を申立る事となり夫か爲已定の政務に變更を要する事あるに至れるは以の外なる政府の失躰なり此上赫然權威を振はれさらは終に諸大名に使役せらるゝにも至るへしと申しゝは肥後守殿大に憤激せられ京都の御差綺ひを拒みては尊王の大義に悖り外夷の屈辱を受けては國威を墜すへししか大義に悖り國威を墜さは幕府の權威何れの所にか振ふを得へきと申され公も公共の天理に依らすして只管幕府の權威をのみ振はんとするは一己の私なり故に己を忘れて議せさるへからすと申されけれと諸有司(芙蓉の間)何れも朊せす終に決議に至らさりき(参政内狀)
 〇同日夜に入り長藩小幡彦七來る中根靫負面會して近日營中に於て發議せられし意見の次第を物語りさて開戰も一旦は必要なるへけれと後來どこ迄も鎖國にては富強の實を擧くるに難かるへし此議は如何と尋ねしに小幡一旦勅旨を奉せられし上は勿論我より開國に及ふへきなりと答へたりき(参政内狀)

引用・参照

『続再夢紀事. 第一』 (日本史籍協会叢書) / 中根雪江 著 (日本史籍協会, 1922)
(国立国会図書館デジタルコレクション)