『匏菴十種』

 横須賀造船所經營の事

 (前略)
 20-21頁
 外各國皆我か師なれと餘國は傑傲上遜にて我を恐嚇し其上馴を欺き飽迄利を貪らんとするのみなれど(此時亜公使ブラーインの井上信濃守を罔し莫大の前金を受取りて富士山艦を造るの姦情既に粗ほ我に泄聞せしか如き)唯佛國は巽順にして佗に比すれは其説も稊や信するに足れは矢張佛國に委託する樣爲す可しと予猶其巨費の如何を憚りたれは仔細商量あられよ今に於ては爲も爲さるも我に在り既に託せし後は復た如何す可からず云へは上野笑て當時の經濟は眞に所謂遣り繰り身上にて假令此事を起さヾるも其財を移して他に供するが如きにあらず故に無かる可からざるのドツク修船所を取立ると成らば却て他の冗費を節する口實を得るの益あり又愈々出來の上は旗號に熨斗をを染出すも猶ほ土蔵附賣家の榮譽を殘す可し(上野か此語は一時の諧謔にあらす實に憐む可き者あり中心久しく既に時事の復た奈何する能はさるを知ると雖も我か事ふる所の存せん限りは一日も政府の任を盡さゝる可からさるに注意せし者にて熟友唔言の間常に此口氣を離れさりき)夫より佐賀献紊器械の長崎に残り在る分も盡く横濱に取寄せシンソライの取調を經て錆腐の分手入磨き立一通り組立て試みし上同港太田川緣沼地を埋立て建築するに至り予か部下にては杉浦精介(今赤城と改吊)軍艦方よりは誰なりしや吊を記せず通詞は北村元四郎(今吊村泰藏)等を掛り役となし佛人シンソライ、同ドロートル、同エーデの輩其餘と共に横濱小製鐵所の建築に從事せしめ又一方は閣老和泉水野守参政酒井飛驒守等命を奉して佛公使同水師提督と議し其推撰を以て同國蒸氣學士ウエルニーを上海より召寄せ追々談判を遂けるの末同人を惣裁とし相州横須賀灣に於て
(後略)

引用・参照

『匏菴十種』栗本鋤雲 著(報知社, 1892)
(国立国会図書館デジタルコレクション)