さなぼり

 この地も田植えは機械を使用し、殆ど総てを一人でこなしている。昔懐かしい田植え風景は見られない。真新しい絣の野良着に赤の襷をかけて、一斉に腰をかがめての田植えの景色はもうない。
 母親が田植え作業を一足早く上がり、手伝いの人たちに振舞う馳走を作るために、家に戻る。煮物をしたり、つるべ井戸に冷やして置いた鰹をさばいたり、酒の肴等用意する。「さなぼり」だ。私の故郷ではそう呼んだ。迂闊なことに、私はいままでこの言葉が私の故郷の地域でしか用いないとばかり思っていたのです。広辞苑を見ましたら、記載されていました。「さのぼり」ともいい、田植えがすんだ祝いとあります。
 私はなぜか清清しい気持ちと共に、このさなぼりの風習を、生きいきとした実感をもって、今でもこころに蘇りさせるのです。それは田植えの後に吹き渡る風に、今植えたばかりの苗が、弱々し中にも健気に立ち向かい揺れるように、生きているものへの賛歌ともとれるからです。
 今はもうこのような四季折々の農事は無くなり、平板な時が総てに流れて、人はただ時を経るようにみえます。朝の散歩に見る田んぼはそれでも、私が思い描く頃の爽やかな風だけは受けていました。

2000-07-07