傍聴記 2004/12/12
2005年度以降にかかる防衛計画の大綱(以下、大綱と呼称いう)について読みました。結論から云って何が言いたいのか判然としません。また同件に関する内閣官房長官談話(12月10日 以下談話という)も読みましたが、恐らく新聞発表の全文の要約かと思います。これらの説明を以って防衛関係費の総額を平成16年度価格でおおむね24兆2,400億円程度使いたいから、国民の理解と協力を切に希望する次第と云われても、はい どうぞ、と言える幸せな状況に国民はおかれておりません。むしろ将来の不安が増大するばかりです。
9・11テロ以降の米国の対応は世界を益々不安定にしています。大綱U1の見方のように、米国は世界の平和と安定に大きな役割を果しているとは云えません。その如実な例が現在進行中のイラクへの侵略戦争なのです。日本においてもテロの脅威が存在すると訴えるなら、それはテロを呼び込む政策的判断をした政府に責任があると考えます。再び戦禍を国内だけでなく、世界のあらゆる所で起さない、起させない為に、政策の舵をとるのが唯一の国益と考えます。先の大戦の反省から得た平和憲法を持って努力して来た日本は、世界の目標となれる資格を得たのですからその資格を持ち続け、世界に貢献すべきです。我が国の安全は偏に話し合いによる平和外交しか選択肢はありません。
大綱V3で、日米両国間の緊密な協力関係は、テロや弾道ミサイル等の新たな脅威や多様な事態の予防や対応のための国際的取組を効果的に進める上で重要な役割を果していると断じています。が、各国が平和的な協力関係を築いて行くことが大切なことであって、経済大国と軍事大国の日米同盟関係は世界の不安定要因をさらに増加させるものと思われます。日本が主体的に原因を作るというより、米国の戦略の中に取込まれて駒として世界に在ることがです。恐らく近い将来には日本も世界の嫌われ者としてその頭角を現し、国民もその厄介を引き受けざるを得なくなるでしょう。テロはどうして起きるのかを、一度立ち止まりよく考えなければなりません。私は米国のこれまでの他国に対する在り様が多くのテロを惹起していると考えます。つまり、比喩的ですが、ミサイルの横っ腹に「民主主義」と書いてあることをよく理解し、米国の戦略の本質を見抜かなければ、大綱V1に云う専守防衛に徹し、他国に脅威を与えるような軍事大国にならない云々は画餅に等しいでしょう。
一国民としてのお願いですが、一度国民の選択肢として、日米安全保障体制を外した防衛大綱を作成しては貰いないでしょうか。「新日本防衛大綱構想」等と称してです。勿論コストも含めてです。世界の国々と日本の関係がすっきりしたものになり、財政的観点からも、前途が明るいものになるかもしれません。大綱V1に云う米国の核抑止力下にあって、同時に核兵器のない世界を目指すという論理矛盾も引き起こさないですみます。当然そのような防衛大綱を考えるに際しては、平和のあり方や平和そのものを国民に問い掛けて、それこそ国家100年の計の策定です。
ミサイルの脅威が述べられていますが、はっはり云いまして、日本の主要な箇所の何処かに、一発でも核ミサイルが飛来し破裂した時の惨状を想像してみてください。これは絶対に在ってはならないことだということが理解できます。北朝鮮・中国のことが述べられています。しかし、報道によれば小泉首相は中国については核を持っていても脅威と思っていないみたいです(毎日新聞12月11日ウェブ記事)。米国が現在は日本に核ミサイルを撃ち込むとは想像できないと同様にです。このことは如何に対話の外交政策が必要かの証左であります。弾道ミサイル防衛システムはその効果の程は不明ですが、国民の生命財産を真剣に考えたら、莫大な予算を使い不完全な防衛システムに守られるより、仮想敵国視している国の人々の笑顔が見える外交政策を選択して欲しいものです。それこそ真の防衛に繋がります。
大綱U2で、北朝鮮は大量破壊兵器や弾道ミサイルの開発、配備、拡散等を行うとともに、大規模な特殊部隊を保持している、としています。これは国民にとって、只今現在の脅威であり、戦々恐々としたことなのに、如何にもその防衛対応は遅々とした様に見えます。弾道ミサイルの開発、配備と段取りよく説明されていますが、北朝鮮とて、これらを一朝にして作り上げた訳では無い筈なのに、弾道ミサイル防衛システムそれも正確さや実効性に欠けるといわれるシステムをこれから開発というのは、北朝鮮を我が国に対する直接の脅威と捉えていないのではないかと考えます。とすると、すべては米国追随の為の大綱でしかないのではと疑義を挟みたくなります。米国戦略の道連れということでしょうか。大綱W1アに云うように、我が国に対する核兵器の脅威については、米国の核抑止力によって対応するようになっています。このことは、いざという時、米国本土から核ミサイルをぶっ放すということは無いと思いますし(もしそうだとしたら、誤って日本に落とされる危険もある)、ましてや日本国内である訳も無いですから、日頃から日本近海をウロウロしている原潜からだと推量します。もし仮に近隣のK国で米国の核ミサイルが爆発したら、やはり我が国は只ではすまないと覚悟しなければなりません。これらから判断すると、大綱V4に云う、中東から東アジアに至る周辺で、憲法を骨抜きにし米国と共に、世界の平和と安定を求めてではなく、本音は石油を求めてなのかも知れないと思う訳です。大綱に新防衛と冠したのはこの辺の事情があるのではと思う。
安全保障環境という言葉が使用されています。この言葉が大綱U以下に、談話では2以下に見えます。どういう意味で使用されているのか理解できません。つまり、戦争方法の多様化を意味しているか、兵器の拡充・強化を意味しているのか、不安全な保障しかできない環境という意味なのか、いずれにしても国民に言葉の定義をしていただかないと漠たる理解や上述のようにそれぞれの文脈の中で迷う次第となります。大綱W1(2)の本格的な侵略事態への備えにあるように、見通し得る将来において、本格的な侵略事態生起の可能性は低下していると判断していてながら、続いて、防衛力の本来の役割は本格的な侵略事態への対処であり、と説き起こしています。つまり、ここでも「本格的な侵略事態」の言葉の定義漏れが生じたまま、装備等の質的変換を計っています。大綱W1(1)イ〜オはこれまでの「本格的な侵略事態」に備えた長物を縮減、再編成しても間に合うでしょうし、取り立てて文言を連ねる程もないと思います。新たな脅威や多様な事態の「本格的な侵略事態」に備えるということは、自分が蒔いた種を刈り取るという様に思われます。
弾道ミサイル防衛システムやサイバー攻撃に対処し得る高度な指揮通信システムや情報通信ネットワークが完成し、さぁどうぞ、というまで北朝鮮は核ミサイルを発射することを待って呉れるのでしょうか。不思議な新防衛大綱です。十年後までを念頭においた防衛力の在り方と云っていますが、今現在、日米安全保障体制があっても、ミサイルの件もサイバー攻撃等も仮想敵国より劣っているという認識なのでしょうか。要するに、何処に照準を合わした防衛要綱なのでしょうか。
とにかく読めば読むほどに、考えれば考えるほどに、判然としない大綱です。国民は本当に守られているのか、もしかしてただ税金を無駄遣いされているだけではないか、この大綱も予算分捕り用の説明資料かなど次から次へと疑念が湧いて来ます。一体に日本国民を何処に連れ出そうとしているのでしょうか。
首相官邸ホームページ上で、「2005年度以降にかかる防衛計画の大綱」について意見書を出した。2,000字以内の制約があるため、本文を編集して出した。2004年12月12日
「2005年度以降にかかる防衛計画の大綱」(2004年12月11日 中日新聞 朝刊)
「平成17年度以降にかかる防衛計画の大綱について」 内閣官房長官談話(平成16年12月10日)
官邸から
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