第13巻

傍聴記 2004/11/12

谷口 市長 殿
                         2004年11月9日
                            足立 巖
                         XXXXXXXXXXXXXX
                    電話/ファックス XXXX-XX-XXXX

                       E−mail:np9i-adc@asahi-net.or.jp


      公共交通試験運行等の説明会傍聴の申入書

 さて貴職は就任以来其の公約ともいうべき「行政運営に当たっては、最近の厳しい諸課題を克服するため「市民にとってより公正で公平な、スリムで効率的な行政運営」を行ない、尾張旭市の堅実な前進発展を図ります。恵まれた自然環境と整備されたインフラ設備をそなえた「真に住み良い街、尾張旭市」を実現するため、市民の皆様と「協働」で誠心誠意努力いたします。」を懐き、種々ご努力されていることは施策の中にも知ることができ、一市民としては心強く思う次第です。

 貴職が云う「協働」には、情報公開の総合的な推進や会議の公開などが必須であります。つまり、情報無くして真の協働があり得ないことはご了解いただけると存じます。

 会議の公開も開かれた市政の実現をめざして、平成16年4月1日から会議公開制度を設け、附属機関、懇談会等の会議を公開されております。このような中で、普通地方公共団体に一機関として置かれている議会も自治法115条で会議公開の原則を定められております。これは、傍聴の自由(議員以外の市民が直接会議を見聞する自由です)、報道の自由(会議を新聞・テレビ・ラジオ等の報道機関が市民に知らせる自由です)、会議録の公開(会議の記録を市民がいつでも見ることが可能な状態におかれていることです)があってこそ、公正な議会運営が行われているか、住民の意思が反映されているか等市民が知りえることができるからです。

 今回貴職名で「公共交通試験運行等の説明会」が全議員に呼びかける形で、11月10日 9時30分から第1委員会室にて開催される予定です。全議員対象で行われる説明会(質疑も想定されていると伺っています)であるなら、本会議等の手続きを省略し手っ取り早く住民代表と執行機関とで施策に関する意思・合意形成をする場、つまり擬似議会を設定するに他なりません。そこには先述の開かれた市政とは程遠いものが感ぜられます。

 議会には何らの法的根拠を持たない全員協議会(略して全協と呼ばれています)があり、執行機関も利用されています。過日この全協に関し、市情報公開条例に基づき会議録の請求いたしました。その要約会議録では、まだ詳細な分析はしておりませんが、質疑はなされてないように見受けられました。つまり、説明を一方的に受けるというに止まっているということです。この質疑されているかどうかは非常に重要なことです。単に説明会であるならこれまでして来たように全協開催を議長に申し入れることも可能なはずです。別に全協の開催は年四回と定まっている訳ではないと了解しております。しかし此の度の事はこの方法も採りませんでした。もし今回の遣り方が以後重ねて採られた場合、開かれた市政という面からも重大な危惧の念を懐かざるを得ません。

 今回の説明会は、特に市民の関心の高い政策でもあり、市民が知り得ない所で意思決定がなされるようではいけません。決定といえば議員自身が既に9月本会議で公共交通試験運行負担金の補正予算を採択しています。つまり、審議されている訳です。審議されているということは本件を理解しているということです。であるならば屋上屋を架しての全議員への説明は納得がいきません。また傍聴を受け入れずに説明するということへの不信感が一市民としては募るばかりです。当然のことながら説明会の開催をしてはいけないということを主張する積もりはありません。市政を公開の下でと願う訳です。本来市政は市民(住民)のものですので、その参加の一つの仕方が傍聴なのです。

 傍聴を受け入れない理由に、先の会議公開制度の附属機関、懇談会等の会議に該当しない旨を考えているとしたら、行政に依然として公開制度に対する根強い抵抗があるとしか考えられません。そもそもこの公開制度もミニマムを規定しているものと一市民としては考えております。会議の公開ということを常日頃考えておられるならば公開制度を楯に取り、「しない」という選択肢を選ぶことはないと思いますし、逆に付属機関でないなら、この公開制度を適用して公開しないという必要もなく、会議公開を求められている議会の構成員が対象であるからにして、むしろ積極的に公開すべきではないのでしょうか。

 前述したように特に会議公開を定められている議決機関の議員に一定の日時に一定の場所へ集合させるような行為は招集にも似ています。今回の説明会は招集権限を持つ市長名で議員各位に呼びかけられております。むしろこのような手段を採る執行機関に対しては市民の代表である議会人としては、議会軽視、市民(住民)軽視にも繋がることであるからと、拒否して欲しいくらいです。

 この説明会は議事録を作成することも予定しておりません。何が行われた(説明された)か市民としては知る術もありません。今回私が説明会の方法を知りえたのは別件で議会事務局に伺った時(11月8日午前中)です。急遽、主管元企画課のご担当に傍聴の口頭申し入れをしたのですが、納得のいくご返事がいただけませんでしたので、貴職に傍聴をできるように申し入れる次第です。

 新潟県中越地震災害の例でも、如何に情報の公開(伝達)が大切かご理解いただけると思います。其の上での住民、自治体、NPO等の「協働」が行われます。日頃からどのように市民等に情報を公開するかを学んでいなければ、緊急事態の時には間に合いません。自治体の対応が遅すぎるという批判が新潟県中越地震災害でも聞こえています。
 なお本申入書は議会にも一部お渡しします。
                        以上


11月10日 公共交通試験運行等の説明会 AM 9:30〜 第1委員会室で傍聴が可能になった。
説明会終了後説明資料一式を入手した。説明事項:1 公共交通試験運行について 2 (仮称)新池地区公園について
説明会だから質疑は無しという建前の下では無理がある。会議の公開を積極的に進め、市民の前で侃々諤々と質疑をすべきである。
傍聴者が来ているが、議事録を作成し公開はするかの趣旨の議員発言あり。議事メモ程度であるが公開は可能との回答あり。発言議員に会終了後、疑義あるところを尋ねたら、全員協議会も含めて公開にすべであると、言っていた。
議員への市政情報の先取特権的扱いは行政側も廃止すべきである。例えていうならば、インサイダー取引にも匹敵する。
市政の目指すところは住民そのものである。情報(事実)は万人に速やかに知られることを望むものである。
申込書を読んだ担当元は「信用していない」ことに不満を漏らしていた。反論・反駁は望むところである、と伝えた。


傍聴記 2004/12/12

 2005年度以降にかかる防衛計画の大綱(以下、大綱と呼称いう)について読みました。結論から云って何が言いたいのか判然としません。また同件に関する内閣官房長官談話(12月10日 以下談話という)も読みましたが、恐らく新聞発表の全文の要約かと思います。これらの説明を以って防衛関係費の総額を平成16年度価格でおおむね24兆2,400億円程度使いたいから、国民の理解と協力を切に希望する次第と云われても、はい どうぞ、と言える幸せな状況に国民はおかれておりません。むしろ将来の不安が増大するばかりです。

 9・11テロ以降の米国の対応は世界を益々不安定にしています。大綱U1の見方のように、米国は世界の平和と安定に大きな役割を果しているとは云えません。その如実な例が現在進行中のイラクへの侵略戦争なのです。日本においてもテロの脅威が存在すると訴えるなら、それはテロを呼び込む政策的判断をした政府に責任があると考えます。再び戦禍を国内だけでなく、世界のあらゆる所で起さない、起させない為に、政策の舵をとるのが唯一の国益と考えます。先の大戦の反省から得た平和憲法を持って努力して来た日本は、世界の目標となれる資格を得たのですからその資格を持ち続け、世界に貢献すべきです。我が国の安全は偏に話し合いによる平和外交しか選択肢はありません。

 大綱V3で、日米両国間の緊密な協力関係は、テロや弾道ミサイル等の新たな脅威や多様な事態の予防や対応のための国際的取組を効果的に進める上で重要な役割を果していると断じています。が、各国が平和的な協力関係を築いて行くことが大切なことであって、経済大国と軍事大国の日米同盟関係は世界の不安定要因をさらに増加させるものと思われます。日本が主体的に原因を作るというより、米国の戦略の中に取込まれて駒として世界に在ることがです。恐らく近い将来には日本も世界の嫌われ者としてその頭角を現し、国民もその厄介を引き受けざるを得なくなるでしょう。テロはどうして起きるのかを、一度立ち止まりよく考えなければなりません。私は米国のこれまでの他国に対する在り様が多くのテロを惹起していると考えます。つまり、比喩的ですが、ミサイルの横っ腹に「民主主義」と書いてあることをよく理解し、米国の戦略の本質を見抜かなければ、大綱V1に云う専守防衛に徹し、他国に脅威を与えるような軍事大国にならない云々は画餅に等しいでしょう。

 一国民としてのお願いですが、一度国民の選択肢として、日米安全保障体制を外した防衛大綱を作成しては貰いないでしょうか。「新日本防衛大綱構想」等と称してです。勿論コストも含めてです。世界の国々と日本の関係がすっきりしたものになり、財政的観点からも、前途が明るいものになるかもしれません。大綱V1に云う米国の核抑止力下にあって、同時に核兵器のない世界を目指すという論理矛盾も引き起こさないですみます。当然そのような防衛大綱を考えるに際しては、平和のあり方や平和そのものを国民に問い掛けて、それこそ国家100年の計の策定です。

 ミサイルの脅威が述べられていますが、はっはり云いまして、日本の主要な箇所の何処かに、一発でも核ミサイルが飛来し破裂した時の惨状を想像してみてください。これは絶対に在ってはならないことだということが理解できます。北朝鮮・中国のことが述べられています。しかし、報道によれば小泉首相は中国については核を持っていても脅威と思っていないみたいです(毎日新聞12月11日ウェブ記事)。米国が現在は日本に核ミサイルを撃ち込むとは想像できないと同様にです。このことは如何に対話の外交政策が必要かの証左であります。弾道ミサイル防衛システムはその効果の程は不明ですが、国民の生命財産を真剣に考えたら、莫大な予算を使い不完全な防衛システムに守られるより、仮想敵国視している国の人々の笑顔が見える外交政策を選択して欲しいものです。それこそ真の防衛に繋がります。

 大綱U2で、北朝鮮は大量破壊兵器や弾道ミサイルの開発、配備、拡散等を行うとともに、大規模な特殊部隊を保持している、としています。これは国民にとって、只今現在の脅威であり、戦々恐々としたことなのに、如何にもその防衛対応は遅々とした様に見えます。弾道ミサイルの開発、配備と段取りよく説明されていますが、北朝鮮とて、これらを一朝にして作り上げた訳では無い筈なのに、弾道ミサイル防衛システムそれも正確さや実効性に欠けるといわれるシステムをこれから開発というのは、北朝鮮を我が国に対する直接の脅威と捉えていないのではないかと考えます。とすると、すべては米国追随の為の大綱でしかないのではと疑義を挟みたくなります。米国戦略の道連れということでしょうか。大綱W1アに云うように、我が国に対する核兵器の脅威については、米国の核抑止力によって対応するようになっています。このことは、いざという時、米国本土から核ミサイルをぶっ放すということは無いと思いますし(もしそうだとしたら、誤って日本に落とされる危険もある)、ましてや日本国内である訳も無いですから、日頃から日本近海をウロウロしている原潜からだと推量します。もし仮に近隣のK国で米国の核ミサイルが爆発したら、やはり我が国は只ではすまないと覚悟しなければなりません。これらから判断すると、大綱V4に云う、中東から東アジアに至る周辺で、憲法を骨抜きにし米国と共に、世界の平和と安定を求めてではなく、本音は石油を求めてなのかも知れないと思う訳です。大綱に新防衛と冠したのはこの辺の事情があるのではと思う。

 安全保障環境という言葉が使用されています。この言葉が大綱U以下に、談話では2以下に見えます。どういう意味で使用されているのか理解できません。つまり、戦争方法の多様化を意味しているか、兵器の拡充・強化を意味しているのか、不安全な保障しかできない環境という意味なのか、いずれにしても国民に言葉の定義をしていただかないと漠たる理解や上述のようにそれぞれの文脈の中で迷う次第となります。大綱W1(2)の本格的な侵略事態への備えにあるように、見通し得る将来において、本格的な侵略事態生起の可能性は低下していると判断していてながら、続いて、防衛力の本来の役割は本格的な侵略事態への対処であり、と説き起こしています。つまり、ここでも「本格的な侵略事態」の言葉の定義漏れが生じたまま、装備等の質的変換を計っています。大綱W1(1)イ〜オはこれまでの「本格的な侵略事態」に備えた長物を縮減、再編成しても間に合うでしょうし、取り立てて文言を連ねる程もないと思います。新たな脅威や多様な事態の「本格的な侵略事態」に備えるということは、自分が蒔いた種を刈り取るという様に思われます。

 弾道ミサイル防衛システムやサイバー攻撃に対処し得る高度な指揮通信システムや情報通信ネットワークが完成し、さぁどうぞ、というまで北朝鮮は核ミサイルを発射することを待って呉れるのでしょうか。不思議な新防衛大綱です。十年後までを念頭においた防衛力の在り方と云っていますが、今現在、日米安全保障体制があっても、ミサイルの件もサイバー攻撃等も仮想敵国より劣っているという認識なのでしょうか。要するに、何処に照準を合わした防衛要綱なのでしょうか。

 とにかく読めば読むほどに、考えれば考えるほどに、判然としない大綱です。国民は本当に守られているのか、もしかしてただ税金を無駄遣いされているだけではないか、この大綱も予算分捕り用の説明資料かなど次から次へと疑念が湧いて来ます。一体に日本国民を何処に連れ出そうとしているのでしょうか。


首相官邸ホームページ上で、「2005年度以降にかかる防衛計画の大綱」について意見書を出した。2,000字以内の制約があるため、本文を編集して出した。2004年12月12日
「2005年度以降にかかる防衛計画の大綱」(2004年12月11日 中日新聞 朝刊)
「平成17年度以降にかかる防衛計画の大綱について」 内閣官房長官談話(平成16年12月10日)
官邸から


傍聴記 2004/12/15

 拉致被害者家族の方の発言で「戦争は出来ないから経済制裁」とか「(北朝鮮は)降伏したらいい」とかの物騒な発言もテレビで見聞きしました。自民党では安倍晋三幹事長代理が強硬な発言を繰り返しています。

 しかしながら、これまで拉致に関して長い間放置してきたのは、歴代の政府であることを忘れてはなりません。小泉内閣になってからは、かなりの勢いで進展してきましたのはご承知の通りです。それは曲がりなりにも対話を続けてきたからです。ここにきて、被害者の家族から煽られるような形で、経済制裁を叫ぶのは何故なのでしょうか。策が尽きたからでしょうか。制裁を実施しては、北朝鮮に残るだろうとされる拉致被害者の方にも影響を及ぼします。また危険な賭けに等しい経済制裁は、相手の強硬な態度を引き出すだけで良い結果を期待することはできません。安倍晋三幹事長代理の発言には理があるように見えますが、国家経綸に与る政治家としては児戯に等しい考えです。もう少し理性的に振る舞って欲しいと思います。これまでの小泉内閣の成果が台無しになります。

 安倍晋三幹事長代理は制裁賛成の国民及び自制の国民も含めて、何処まで国民全体のことを考えて種々の言葉を撒き散らしているのだろうか。つまり、最悪の事態が勃発することまで考えてのことなのだろうか。発言するのは自由ですが、幅広い思考と想像の範囲を膨らましてからの後に、国民に意見を聞かさせて貰いたいものです。ただ時流を捉えての言動は、扇動にも等しく危なっかしい思いがします。

 あくまでも穏やかに話し合いの場で解決を探るべきです。拉致被害者の方に、あなた方が示すのは調子の良い言動ではなく、解決への道筋であり、被害者家族を救うことなのです。ぶち壊しの方策ではありません。長い間対応が遅れて、今日やっと糸口が掴め、後一歩、もう少しというところで、自棄を起してはそれこそ台無しです。

 船舶入港禁止とかの強硬策は愚策です。こんな対応を直ぐに思いつかれては相手側にすれば、「持ち札(あればですが)を全部曝け出してしまっては、今後どうなるか判らない」という思いになるでしょう。折衝(殆どが相手との手の探りあいで、粘り強く妥協点を見つけていく話し合いの過程)事を、安倍晋三幹事長代理は殴り合いの場にしようとしているからです。相手の生命線に触れることは、最後通牒にも等しいのです。その点を理解できないのでは政治家として未熟と云わざるを得ません。このような人物が将来首相にでもなろうものなら、辛抱強さを必要とされる複雑な国際関係での交渉ごとを処することができず、それこそ国家利益を失することになるでしょう。国益の最たるものは国民が安寧に暮らせることです。相手はこちらを馬鹿にしているのではなく、必死なのです。なんの為にそうしているのかを熟考してかかるべきです。制裁をと叫ぶのは、叫ぶ側が強者であると考えているからです。当然相手は弱者であろうと高を括っているのです。このような考えが根底にあるのでは、国際間の平和を保つ思考からは程遠いでしょう。少なくとも国民の一人として、近隣諸国との争いごとは絶対に避けて頂きたいと願います。現代の国家間の折衝は新しい価値が生まれるように在って欲しいと願うものです。

 余計なことかも知れませんが、安倍晋三幹事長代理がそのように大きな態度に出られるは、別にあなたの力だけでなく、営々と戦後働いてきた国民一人ひとりが今日の日本を形成してきたお蔭なのです。それを灰燼に帰するような空威張りの言動は、止めていただきたいと思います。むしろ少数者の意見をじっくりと聞く態度を養って頂きたいと願うものです。

 最後なりますが、若しどうしてもというなら、経済制裁の目的とその成果をはっきりとさせて頂きますか。そしてその制裁の結果、予期に反した場合にはどうなさるお積もりですか。その時はその時で考えるというのでは、直接的には拉致被害者及び家族の方達にも大変なご迷惑が掛かると思いますが。いくら拉致被害者の家族の方が望んだとしてもです。経済制裁というのは何も政府だけの事でなく、国民にもその影響が及ぶことになるのです。政府の仕種は国民へツケが回るのです。


自民党ホームページ「自民党に物申す」に出した意見書の内容である。2004年12月15日
「北朝鮮の嫌がる制裁を(新聞見出し)」(2004年12月15日 中日新聞 朝刊 〔3〕)
「自民党の北朝鮮拉致問題対策本部の決議」(2004年12月15日 中日新聞 朝刊〔3〕)
横田めぐみさんの「遺骨」とされた骨が偽物だったことを受け、北朝鮮に対する約12.5万トンの食糧支援の即時凍結を政府に求めている。さらに、期限内に遺骨の鑑定結果、国際手配されている辛光洙(シン・ガンス)容疑者ら3人の拉致実行犯の引渡しについて納得いく回答が無い場合、政府は経済制裁の発動を決断すべきだとしている。
自民党の対北朝鮮経済制裁実施プラン
第1段階 人道支援の凍結・延期
第2段階 送金、資本取引、役務取引報告 業務の厳格化 輸出届け義務の厳格化
第3段階 特定品目の貿易停止 特定の送金、輸出、資本取引、役務取引の禁止
第4段階 特定船舶の入港禁止 貿易、送金、輸出、資本取引、役務取引の全面禁止
第5段階 船舶の全面入港禁止
安倍晋三幹事長代理は十五日、民法のテレビ番組に出演し、北朝鮮への対応について「日本の経済制裁が北朝鮮を大きく変える、レジームチェンジ(体制転換)につながっていく第一撃になる可能性が高い」(2004年12月16日 中日新聞 朝刊 〔2〕)


傍聴記 2004/12/29

 私たちは能く能く考えるべきである。何をか。政府の行為によって、再び戦争の惨禍が起こることのないように、決意したことを。今この政府は再び戦争への道を走り出した。それを引き止めるのは私たち国民しかいないのだ。政府の独走を批判するマス・メディアの力は萎えた上、むしろ対岸の火災のように扱い、それを煽りさえしている始末だ。

 拉致被害者の家族が北朝鮮への経済制裁を叫び、それに呼応して国会議員が騒ぎ、地方議会の議員が制裁の意見書を採択する。北朝鮮は、「経済制裁が発動されれば宣戦布告と見なす」と云う。新聞は制裁と発射(ミサイル防衛)の文字を大書する。そして「股を割きて腹に啖う」の経済界。イラクへは自衛隊を派遣し、隣国とは一戦を交える寸前である。既にわが国は戦時体制下の様相。諌める者在っても聞く耳持たずで、エスカレートして行く。

 沢国の江山 戦図に入る
 生民何の計あってか樵蘇を楽しまん
 君によって話すこと莫れ 封侯の事
 一将功成って万骨枯る

 詩人の歌声が風に乗って千余年の時の彼方から聞こえて来る。国民はあの八月の運命の日を迎えたことを忘れ、胸に刻んだはずの悲しみも薄れ去り、お調子に乗って再び踏み出してしまう。身近なものが受けるかもしれない悲惨さへの想像力も欠如し、ただ付和雷同し、祭りの気分で一大事を処してしまうこの国民性。

 警鐘を鳴らす使命を忘れたマス・メディアは政府発表を垂れ流すことに忙しい。事実の伝達だけでは政府の広報係に過ぎない。誰が立ち止まり今の事態を冷静に判断するのだ。都合の悪い過去は忘却の川に捨て去り、今が時宜に適う批判の時であることを見失い、ただ非日常下を日常の瑣事の如くに扱い鋭い論評を避ける。権力とはただ政府の仕業ばかりを云うのではない。戦争への大きなうねりとなる人々の思潮そのものも指す。国民保護法制の技術的な面に囚われるのでなく、その本を正すのだ。戦争は自然災害ではない。戦争による惨禍は人為的原因によって起こされるのである。その惨状の因ってくるところ、それは政府であり、政府の所業が災いを招くのである。その政府を動かすのも政府に動かされているのも人々なのだ。マス・メディアは権力の行く先を見届けるのでなく、その方向に警告を発するためにある。マス・メディアは、社会の木鐸たることを自覚して欲しい。流れを敏感に察知しその瀬に棹をさし声をあげねばならい。「一鶏鳴けば万鶏歌う」に同調しては危うい。

 「備えあれば憂いなし」で、法整備が進んでいる。しかし考えて欲しいものだ。用意することは本当に国民保護に繋がるのか。「備えあれば」ということは、備えなければならない事の因って来たるところを分かっていなければ備えにならず、「憂いなし」ということにもならない。備える事が分かっているならば、その憂いの原因が認識されていることであるから、粘り強い外交手段を以って解決する努力をすればよい。その答えがこの「備え」であると云うならば、患いから抜け出す道は無く、安寧から遠く離れた嘆きの道を歩まねばならない。其の到達点は「野には青草なし」か、あるいはソ連崩壊の例を見るのか。「備え」は崖っぷちへ向かわせる危険なレースを国民に強いることになる。「備えあれば憂いなし」からは、軍拡競争が惹起されるだけである。「喪なくしていためば、憂い必ずあたる」と『左伝』にある。

 国民保護法は国民を如何に保護できないかを明らかにする法である。法ができれば一安心という訳にはいかない。大きな自然災害が多発する現今その対応さえ儘ならないのに、屋上屋を架すの武力攻撃事態の想定である。弾道ミサイル、其の弾頭は強力な通常爆弾なのか、大量破壊兵器としての生物・化学兵器なのか、核爆弾なのか、定かでない。一か八かの攻撃に北朝鮮が通常弾頭のミサイルを日本に打ち込むとは考えにくい。もっともこれも持ち駒の数百発を連続して原子力発電所や都市に落とせば、日本は終末を迎える。いや東アジア一帯が戻ることない甚大な被害を受ける。浜岡原発3号機で原子炉格納容器が破壊されるような大事故が起きた場合、60数万人が急性障害で死亡、放射線の影響から700万人以上がガンで死亡するとの悲惨なシミュレーションの数字が出ている。わが国には現在、北海道から九州まで満遍なく原発が行き渡っている。その数52基で、建設中・計画中を含めれば63基で米国に次で世界第二位である。別に殊更他国からの脅威に訴えなくても、地震の巣の上にいるので、原発事故からの自滅もある。これらから検討しても国民保護法は絵空事で「国民の保護に関する基本指針要旨(概要)」の第2章 武力攻撃事態の想定に関する事項など、子供の頃にやった「戦争将棋」遊びのようである。国民保護をいうなら、真っ先に原発を全て撤去しなければならない。先程の基本指針3(4)で、「国は、脅威の程度、内容等を判断し、原子力事業者に対し原子炉の運転停止命令。原子力事業者は、特に緊急を要する場合は、国の運転停止命令を待たず、自らの判断により原子炉の運転を停止」とある。中距離弾道弾(テポドン1・2)で、マッハ6以上で弾頭が突っ込んでくるのだ。発射から着弾までに要する時間は10分程度。基本指針第2章Bでは「発射後極めて短時間で着弾」としている。シミュレーション・ゲームではリセットすれば何度でも試すことは可能だが、現実となると一度限りである。核ミサイル下の戦争は万骨の枯れるのを嘆く者さえ見当たらないかも知れない。想像力を逞しくすべきである。

 さてここまで書いてきて、国民の保護の名の下に何を企んでいるのか、と思う。これは目眩まし、猫騙し、スピンの類か。だとしたら本命は何か。日本が攻撃されている時に、隣国の韓国は何をしているのだろうか。傘を差してくれている御仁は何をしているのだろうか。また中国はどう動くのか。台湾はどう身構えるのか。ミサイル防衛システムを突破する多弾頭搭載可能なミサイル配備のロシアはどう出るのか。下手すると核大戦勃発である。それも日本がメインステージで。如何にブッシュでも「No way !」と叫ぶ筈である。とすると、ミサイル防衛システムに伴う経済援助が本命か。財政と経常収支の赤字いわゆる「双子の赤字」を抱える米国、其の赤字国の国債をしこたま抱え込んでいる日本。そのような状況下で、内実は落ち込んでいる経済大国と軍事大国が互いに傷を舐め合いながら、北朝鮮を悪者呼ばわりして、拉致問題では嘘つき呼ばわりして、国民の耳目を家計に圧し掛かる負担から逸らし、ミサイル防衛(MD)関連に1,198億円(内訳:海上配備型迎撃ミサイルSM3整備のためのイージス艦改修に 307億円 地対空誘導ミサイルPAC3高射部隊整備に647億円)、政府自ら作り上げた「新たな脅威」に302億円、核・生物・化学兵器による攻撃に対応する新たな偵察車の開発に13億円を計上する。自衛隊イラク派遣の関連経費は146億円である。ミサイル防衛システムには今後どれ程税金を投入するのか。米国のいい鴨になっている。

 このミサイル防衛システム、米国が開発したもので軍事機密のため当然米国の防衛システムに組み込まれる筈である。万が一にでも他国からミサイル発射の兆候が確認された段階で、「撃ったら迎え撃つぞ」と相手に警告し、その時点で「撃て」の指示はシビリアンコントロールから離れて部隊指揮官に権限委譲してしまう予定である。その後、部隊指揮官は迎撃の指示を北朝鮮のミサイル発射を監視している北米航空宇宙防衛司令部(NORAD)から来るのを待つのか。日本は米国防衛システムの最前線で防人を果すのである。日本まで10分程度、米国まで30分程度、この時間差と日米何れの地に撃ち込まれようが、日本のイージス艦からSM3を撃たせる。弾の費用は日本の自己負担(一発約20億円 2004年度予算で181億円だから9発購入できる)である。米国を狙ったミサイルでも、日本の弾で撃つ。無くなったら米国から購入する。命中しなかったら高射部隊がPAC3(パトリオット)をぶっ放す。一発約5億円(2004年度予算64億円で12発〜13発)。約マッハ6以上で突っ込んで来るのを狙うのだから外れる可能性が大。数撃つヒマもない。もっとも全部撃っても今は13発であるが。私が住む町は先ずMD防衛の傘からは洟も引っかけてもらえない。それよりも精度の悪い弾道ミサイルのことだから、流れ弾に中るのが心配である。PAC3も掻い潜ったら、その時初めて、パソコンゲームで無かったことを理解するでしょう。責任者が生きていればだが。多分米国も「2001年9月11日」が米国の主張通りだとしたら、防衛能力はお粗末であるから、同じ目に遭う確率が高い。ただ30分程の時間差だが準備に余裕でき、数も多く持っているから、下手なミサイルも数撃てば中る可能性はわが国より大であろう。

 現憲法はわが国の進む道を指し示している。それは「恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」のである。しかしながら、この国の政府は「自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて」の文言を歪曲し、戦争の可能な体制と急ぐ。国民はまたしても一部の支配階級に、生き様を翻弄されようとしている。この従順な民よ。怒ることを忘れた民よ。仕方ないと耐えて死するか。


「拉致問題 制裁示唆、北朝鮮に抗議」「24都道県議会「制裁を」意見書採択
「発射兆候で閣議、警告」「ミサイル防衛政府が運用案 指揮官に権限委譲」[1]
「ミサイル察知 市町村に即時警報 政府方針 防災無線を直接起動」[2] 中日新聞 朝刊 2004年12月26日
「平時の備え住民啓発を 自治体が作成 国民保護計画 ガイドライン決定」[3] 中日新聞 朝刊 2004年12月25日
「股を割きて腹に啖う」【自分の利益を得ようとして自ら滅びること】 『実用ことわざ』(三興出版)
「己亥歳」曹松 『NHK漢詩をよむ』(昭和60年10月1日)
「一鶏鳴けば万鶏歌う」【一犬影に吠ゆれば百犬声に吠ゆ=誰かがいい加減なことを言ったのを、確かめもせず世間の人が広めてしまう】 『実用ことわざ』(三興出版)
「備えあれば患い無し」左伝襄公十二年「書に曰く、安きに居りて危うきを思う、と。思えば則ち備え有り、備えあれば患い無し」 『実用ことわざ』(三興出版)
「室は県けいの如く、野には青草なし」【国家の破れてさびれている姿である】左伝 『中国古典名言事典』諸橋轍次著(講談社)
「喪なくしていためば、憂い必ずあたる」【その心配に相当する憂いが自然に起こること】左伝 『中国古典名言事典』諸橋轍次著(講談社)
「日本の原子力発電」中日新聞 中日サンデー版2002年11月3日
「浜岡原発3号機…」での数字は「2001年東海地震は今 20」「根拠を欠く「想定外」」破局的事故の試算 静岡新聞(「2001年東海地震」取材班)
http://www3.shizushin.com/jisin/jisin010426.html
「国民の保護に関する基本指針要旨(概要)」首相官邸HP「パプリックコメント等」
「戦争将棋」 子供の頃遊んだことがあり、駒の色が黄色く染めてあり、タンクとか砲兵とかある。「行軍将棋」、「いくさ将棋」、「軍人将棋」とか呼ばれている。
「点検 新防衛大綱 4」中日新聞 朝刊 2004年12月18日
「増す痛み家計に寒風」中日新聞 朝刊[7] 2004年12月21日
『現代用語の基礎知識 2000』自由国民社
「MDの傘に穴」中日新聞 朝刊 2004年12月24日
「ミサイル迎撃実験失敗米、地上配備型発射せず」 東京新聞HP 2004年12月16日
「ロシア、改造ICBM来月配備 大規模演習計画も承認」東京新聞HP 2004年12月25日