第12巻
傍聴記 2004/06/06

 ネットで噂の100億円の確認をした。丁寧に答えて戴きました。お手数に多謝。


傍聴記 2004/06/24

 私が八歳の頃でした。その心象風景は子ども心にも何か釈然としない重苦しい感情を懐いた時のことです。まるで天上界から俯瞰するようにその場面を思い出せます。それは当時の自分がおかれていた静かな環境と比較しての違和感から生じ、しっかりと脳裏に刻まれたのでした。生きて在る今の自分にどのような重みを持たされたのかは明確ではありませんが、ひとつの大切なものとしてこころに残っています。ズシリとしたその記憶は、縫い物をしている母がぽつり、「いま戦争しているんだよ」と漏らした言葉から生まれました。その戦争とは後で知るのですが、「朝鮮戦争」のことでした。

 私たちは「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」の憲法を擁き、世界から注目され、尊敬され、手本となる地位を得て来たのです。まさに今苦境にある人々の、憩わんとする人々の辿り着く普遍の目標になっていたのです。それが今、情も理も解さず政府の行為によって再び逆方向へと捻じ曲げられているのです。

 世界中の戦争反対の声に背き、イラクへの侵略戦争を遂行したアメリカの現状追認を続け、論理の破綻も無視し、戦地に自衛隊を派遣(派兵)する現政府の状況は許し難いものです。日本国憲法の前文は誠に此の国の在るべき姿と世界に向けての普遍性に富んだ内容なのであります。「諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」とあります。戦争は政府の行為によって、詭弁によって、誤魔化しによって惹き起こされます。そして国民は真実を知らされず、例え知り叫んでも政府により無視され敵視され、そしてその戦禍だけを受けます。憲法は国民と政府との契約です。約束事なのです。日本国民は再び戦争の惨禍が政府の行為によって起こらせないことを決意したのです。此の決意の表れが戦争の放棄、第九条に結実したのです。

 政府はアメリカの侵略戦争を制止する努力どころかむしろ侵略を援助することに腐心しております。国民の平和への願いは弊履を棄てるが如くに扱い、平和の尊さあり難さの来し方を顧みることがありません。まさに軍国主義化・全体主義化に憑かれたように、多種多様に富む現代社会に圧倒されて政府自身の身の処し方を創造することなく、いつか来た道を辿ろうとしています。そしてまたあの運命の日のように、真夏の太陽が輝く下で巨大な閃光を受けることになるのでしょうか。「日本国軍隊は、完全に武装を解除せられたる後各自の家庭に復帰し、平和的且生産的の生活を営むの機会を得しめらるべし。」とポツダム宣言に書かれています。何気ない日常茶飯の笑みが尊いのです。悲しみの涙を世界に拡散するのは、私たちの憲法の向かうところではありません。

 ここで広島原爆の証言者 沼田鈴子さんの言葉を紹介します。

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 それは真実を求める知恵を一人ずつが持って欲しいということです。最高の幸せは平和なんです。でも平和は待っていて来るものではありません。命にかかわるすべてのことに目を向けていかなければなりません。すべて他人事ではない。地球上のすべてが仲間なんですから。『週刊金曜日』2000.1.14(298号29頁)
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 憲法十二条の前段、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。」とあります。沼田鈴子さんの言葉にあるように、まさに平和は待っていて来るものではないのです。私たち一人ひとりの平和への思いが試練を受けながら、維持され発展させられて行くのです。決してその思いを後戻りさせてはいけません。なぜなら、「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」からです。基本的人権の根底となる平和は無数の犠牲と多大な苦難の末に到達した人間の尊厳そのものであるからです。このことからも戦争へと歩むことは命あるものへの冒涜と観じます。

 私たちの憲法は、契約の一方の当事者である国民の上述した努力義務と相俟って、第九十九条 「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」と謳われ、もう一方の当事者に最高法規つまり契約の履行を求めています。しかしながら政府は憲法解釈を恣意的にし、十分なる説明の無いまま日本国を戦争のできる体制へと急いでいます。先の大戦後憲法に基づき平和裏に生活をして来た此の国の民を、戦争へと駆り立てさせるは何故なのでしょうか。人道復興支援と云いながら、重装備の自衛隊を派遣(派兵)しています。私たちの憲法からすれば、人道復興支援は戦闘の出来る者でなく、一般人の出番の筈です。イラクの場合は危険だからと政府は説明しますが、危険とは言葉の綾です。イラクは戦場なのです。武器を持った集団の目的は戦うことです。その集団が人道とはどういうことなのでしょう。イラクに派遣(派兵)の自衛隊は約470人〜560人です。本当は何をしているのでしょうか。人道復興支援に携わる要員はほんの僅かなのではないでしょうか。もしこの僅かの人道復興支援要員を警護するためだとしたら、なんと非効率で無駄遣いなのでしょう。例えば戦闘部隊として考えられる警備中隊(約140人)は何をしているのでしょうか。人道復興支援活動は国民を欺くカモフラージュなのでしょうか。現地からの詳しい情報は皆無です。

 フリージャーナリスト等よる文字通り命をかけた現地報告も、先の憲法を無視した政府関係者の個人叩きにより、自由な活動・事実に迫る報告を消し去ろうと躍起になっています。政府の施策が個人の活動の足枷になり、真実を知る権利から国民を引き離すことは、情報を政府が統制することであり、畢竟、政府・国民ともども判断を誤ることになり先の大戦の大本営発表と同じになってしまいます。人道復興支援活動なら堂々と国民の前に有り体をさらけ出したらどうなのでしょうか。それが何故出来ないのでしょうか。真実を覆い隠すことでは国民の理解は得られません。戦争は、つまりその体制は常に真実を覆い隠し、調子良い、耳に心地よい、大衆を煽る都合の良いプロパガンダを垂れ流します。そうしておいて国民を次第に奈落の底へと導きます。国民が自己自身に降りかかる事と気づいた時にはもう後の祭りなのです。

 アメリカは世界が反戦を訴える中、イラク侵略に突入した時、そして私たちの政府がそれに呼応した時、理性を失った剥き出しの抑制のきかない暴力以外の何ものでない怪物の出現を見た思いがしました。欲望丸出しの、憎悪に満ちた、普段彼らが口にする神聖なる存在をも冒涜した、血に飢えた者の存在として世界に牙を向けたからです。それも残虐の限りを尽くす手段を持って、次から次へと嘘の旗印を掲げて、殺戮をしまくっているのです。営々と築いてきたものを一瞬のうちに破壊し去ったのです。私たちの政府も何ら恥じることもなくアメリカ政府の言いなりで、言いなりどころか進んで阿諛追従し、国民を窮地に陥れたうえ国民の富である財貨をもって援助し、事実を糊塗しています。今では国会も報道機関も前後の脈絡を捉えて追求もしないため、「テロには屈しない」などというフレーズに乗っけられて論理能力が麻痺したままになっています。あれほど世界がテロを失くすには戦争行為をもってしては不可能と論じていたことには一考も与えず、武力で解決を計り、今ではテロをさらに拡大している始末です。そして私たちの政府は抜けぬけと自衛隊をまたもや「人道復興支援」の名の下に、多国籍軍に参加させると表明しています。政府は、国会での論議も十分に尽くさず、国民に十分なる説明もせず事を遂行し、憲法の枠組みを食み出し、主権が国民に存することを忘却し、最早独裁国家に近い状況です。つまり憲法を蹂躙することに他なりません。平和憲法を無視し暴挙することを看過するわけにはいきません。

 さて現憲法が時代に合わないという意見も見られます。何処が時代に「合わなくなっている」のだろうか。そもそも憲法を合わせようとしている「時代」とは誰がどのように認識しているのだろうか。また現憲法は真に「古い」のだろうか。私は憲法を読むと、この憲法の趣旨が世界に普及し人々が平和裏に日々を過ごせそして生命を全うできるようになればと願う気持ちになります。仮想敵国を拵え、テロに屈服しないと旺盛な心構えを見せる政府にはテロの因ってきたところを測ることもなく、人道復興支援と言い募り自衛隊を海外に派遣(派兵)し、なぜ人道復興支援に向かわなければならなくなったのかの原因を穿つ心も無く、また人道復興支援するには如何なる方法が最適なのかの国民的合意も無く、狭隘な考えをもって、捏造(でっち上げ)の大義名分を立ててただ軍備組織を動員することは、決して私たちの憲法の許容するところではありません。

 国民一人一人はもとより、この憲法を尊重し擁護する義務を負う政府は、この憲法の謳う人類普遍の原理を世界に広めることを義務としているのではないかと考えます。殺戮からは荒廃と絶望そして憎しみか生まれません。日本が此の憲法の趣旨を体して平和外交に転ずるなら武器を携えての自衛隊海外派遣(派兵)は選択肢には入らないはずです。自国のみの利益を考えてそれこそ他国を無視してはならないのです。私たちに今出来ることは世界の中で一国でも多く武器を見限る国が増えることを願い、この宇宙に浮かぶ青く輝く星に住む命あるものの安寧秩序を守ることなのです。

 暗黒の宇宙に青く輝く星、地球。それは私たちが共に生きる喜びの星ではないのでしょうか。もし空間を遥か旅して来た者がたどり着こうとする時、そこを殺戮の阿鼻叫喚の星とは思わないでしょう。雲白く浮かぶ処、緑陰深き処、風かおる処、水清く流れる処、花咲く処、生きて在るものの楽しむ処、何よりも目指す憩いの星と思うのではないでしょうか。

 恒久の平和を念願し、憲法前文末尾にもあるように、「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を 達成することを誓ふ。」ことなのです。これ以上の誇りと使命があるでしょうか。

 以上縷々述べてきましたが、私は国民の一人として、憲法九十九条に定める憲法を尊重し擁護する義務を負う側から憲法が踏み躙られることは、主権者である一国民としての尊厳を無視されたことと同然であり、屈辱感や恐怖に伴う精神的苦痛を受けています。しかしながらこのまま法秩序の破壊を座視して、政府の為すが儘に放置することは、当事者である私としてはできません。さらにまた将来に亘る不安感を払拭するためにも、本「自衛隊イラク派兵差止訴訟」に加わった次第です。


「自衛隊イラク派兵差止訴訟」原告の一人として、「思い」を整理したものです。
自衛隊イラク派兵差止訴訟第1回口頭弁論は2004年(平成16年)6月18日午後1:30分から名古屋地方裁判所民事第6部で開廷された。


傍聴記 2004/09/13

 彼らの利益に適わなければ彼らの冷酷な判断には、あれほど親密な関係だったのにと懐古しても、あれほどご機嫌をとったのにと愚痴っても何の意味も持たず、此の国は手厳しい仕打ちを受ける日が来るだろう。
 世界が不安定であることを望み、戦争の種を蒔き、正義(民主主義)を隠れ蓑とし、法を超越し謀略の限りを尽くす彼の国の政府は、世界を欺きながら自己の利益を追求する。他社の存在を虐殺や略奪の対象としか見ず必要以上の富を求めて殺戮を繰り返す。自家撞着的に存在する彼の国の政府は、この地球を破壊尽くし、自己の喉元にナイフが突き刺さるまで続けるのかもしれない。
 涙を無視し、命を哀れむ事などに一考も与えず、ひたすら欲望を満たすために姦計をもって他者を混乱に陥れる。平和を希求する者のことなど眼中に無く、自らを省みる知性を持たず、弱者を餌食にすることを古くからの習いとするかの国の政府の本性。
 他に追随を許さない破壊兵器を驕り人類の理想をなぎ倒し、全生命に対し恐怖と脅威を与え、人々の明日への望みを凍らせる。今やこの地球の残虐非道の暴君者たる彼の国の政府。常に獲物を狙う血に飢えた殺人鬼の如く振る舞う彼の国の政府。言葉の通わぬ彼の国の政府。死者の上で宴を催す彼の国の政府。
 2001年9月11日(September11, 2001 Terrorist Attacks)以来急速に世界を血の海とし、未だ真相の解明もなされないままに、事の本質を見極めもせずに、捏ち上げた大儀を持ってただ殺し合い続けている。何のためにか。ただ必要以上の欲のためにだ。混乱こそ秩序の破れることこそ彼の国の政府の思う壺なのだ。安定な他国には爆弾を投げつけ揺さぶった上で、因縁を付け強引に押し入り、企みを為す。破綻した自己正当化の上に他国を巻き込み徒党を組む。「民主主義」という幾多の血で染め抜いた軍旗を掲げて何処にでも容喙する。人はただ安らかに笑顔の中で明日に望みを託して生きたいだけなのに。
 空は青くいつものように澄んでいても、燎原の火の如くの狂気が世界を被い、瞋恚の炎を新たにし、掛け替えの無い生命・環境を焼き尽くしている。まさに狂気としか言いようが無い。
 此の国の政府も彼の国の政府に従う。悲惨な血をあれほど流したことなど省みず付き従う。此の国も「政府の行為によつて再び戦争の惨禍」が起きつつある。少しくとどまり考えれば分かることなのに、無慈悲で愚かしい道をさも正しきことのように彼の国の政府に唆されて突き進んでしまう卑屈な此の国の政府。隷従する此の国の政府。生命を軽んじる彼の国の政府と此の国の政府。いつの日か共食いの運命に置かれている彼の国の政府と此の国の政府。定めの扉は徐々に開かれて行く。
 彼らの云う国家利益など私企業の設け話に過ぎないのだ。
 此の国の民に逃げ場所は無い。怒りを忘れた民の行く末には阿鼻叫喚の巷が待ち受けている。


「What I’ve learned about U.S.FOREIGN POLICY:The War Against the Third World」邦題:「テロリストは誰?」日本語版企画・製作・グローバルピースキャンペーン

政府武器輸出3原則の部分解禁検討 2004年9月12日中日新聞

武器輸出三原則:1967年時の佐藤内閣は外国貿易管理法と輸出貿易管理令に関する運用方針として、@共産圏、A国連決議で武器禁輸になっている国、B国際紛争の当事国とその恐れがある国、への武器輸出を認めない三原則を表明した。76年に三木内閣が@三原則対象地域への武器輸出を認めない、A三原則対象地域以外の地域にも、憲法、外国為替及び外国貿易管理法の精神に即し、武器輸出を慎む、B武器製造関連設備の輸出は武器に準ずる、との新三原則を示した。資料:imidas’99 注)1998年外国為替及び外国貿易法 (新改正外為法)に改正された。

『週刊金曜日』2004 NO.523 9|10 58頁 日本の「「メダカ社会」はヒツジ型遺伝子からか」本多勝一