第11巻

傍聴記 2003/08/18

 イラク人のジャナン・ハッサン医師(バスラ母子病院)とジャワード・アル・アリ医師(バスラ教育病院)の講演を聴いた。
 湾岸戦争(1991年1月17日)に使用された劣化ウラン弾(DU:Depleted Uranium Bullets)によると考えられる(アメリカはその因果関係を認めていないが、米英の従軍兵に発生した疾患「湾岸戦争症候群」との因果関係が問題となる)、癌・白血病・奇形の多発である(写真資料)。米軍はこの戦争でイラク戦車隊に大量にDUを使用した。さらに今回のイラク戦争でも使用したのである。
 今や人は現在の生命を閉ざすだけでなく、生きるもののすべての未来をも先取りして閉ざしてしまった。未来の殺戮である。未来を過去のものにしたのである。何のために誰が。必要以上の欲をかいた愚か者が為したことなのだ、それは。そして深い絶望だけを墓標として残したのである。
 未来永劫に亘って劣化ウラン弾による微粒子は漂う、大気中に、地上に、地中に、すべてのものに付着して。この世に産み落とされた不運を怨み嘆くが如くに。この亡霊は、宇宙に輝くブルーの球体が経た年月よりもさらに長きにわたりさまよい続けるのだ。総てのものを破滅に向かわせるただそれだけのために。浄化の術も無く解き放たれたのだ。
 その地に日本国の自衛隊は向かうとしている(イラク復興支援特別措置法が2003年7月成立)。既に彼の地では戦争を仕掛けた側のsoldiersにも異変が起きていると伝えられている。自衛隊は何のために出国するのか。彷徨うものと一戦を交えるためにか。ああ、君死にたまうことなかれ。  


「Save the Iraq Children ふたりのイラク人医師が語るイラクの今とこれから」 7月31日(木)18:00会場 18:30開会 名古屋市女性会館ホール 主催者 セイブ・イラクチルドレン・名古屋 代表 小野田万里子

写真撮影およびインターネット掲載については会場受付にて係員(男性)を通じて主催者側に了承を得ました。なお終演後、資料の提供(パソコン処理されていたので)を小野田万里子代表に求めたが、学会発表前だからとのことでこれについては婉曲に断られた。

説明の写真には名前・年齢等が記載されていたが、サイズ等の処理のため割愛し掲載した。なお医師自身が各地で公表をしていることから他はそのままにした。また掲載した資料が講演の総ての資料ではない。

講演の部分(1)
講演の部分(2)



傍聴記 2003/11/29

 貧相でそしてこの下卑た様子はどうしたことなのだろうか。脈絡の無いその場逃れの空虚な言葉を繰り返し、虚勢を張る。自席に戻っては両手を広げてヒラヒラさせ、大げさな表情を作り質問者を小ばかにしたように振舞う。カメラはその瞬間を待っていましたとばかりに捉え視聴者に映像を送る。如何にも幼児性の抜けきれない、耐えて思慮するという試練の欠如した、実力の無いただの見栄坊でつまらぬ人間が輪をかけた茶番を見せ付ける。かりそめにも選ばれた使命の重さを較量することのできる者なら、このような不真面目な態度はとるまい。このような者が経綸を語る資格があるのだろうか。だが、選ぶ者があるゆえに国会に現れることになる。颯爽と保育園児ボクちゃんの登場である。手前勝手の御託を並べる。理屈も何も有りはしない。瞬間話術芸を繰りひろげる。その上に愚者の薄笑いを為す。このような挙動は或る意味では逆に見る者(国民)に「国会議員といったってあの程度だよ」と安心感と優越感を与えることになる。そして将又選挙では「まぁ、こいつでいいか」と溜飲とレベルを同時に下げる結果になる。そして両者の錐揉み状態はさらに続くことになる。
 憲法が政府から出させた国民への誓約書であることの認識に立てば、その約束事が勝手に破られたのでは、あるいは破棄しようとする言動をなそうとするなら、国民は断じて指弾し厳正に対処しなければならない。下卑た笑いに同調する余地は無い。
 再び書出しに戻る。品性の劣なるに映るは未来を喪失したゆえではなかろうか。明日を夢見て語るを忘れ、次なるものを築く理想を忘れ、ただ滅びに向かう道を訳もわからず陽炎を掴むがごとくに進む。未来を見る過去を忘却し判断の基準も持たずに他に頼り、他は寄りかかる者にさらに依拠する。自己(自国)の未来を他に寄って遣り過ごそうとする未来意思欠落の崖っ淵見落とし症候群に陥った者の容面は内面の腐敗に伴い下卑る。

 広島原爆の証言者 沼田鈴子さんの言葉を紹介する。

 ―― それは真実を求める知恵を一人ずつが持って欲しいということです。最高の幸せは平和なんです。でも平和は待っていて来るものではありません。命にかかわるすべてのことに目を向けていかなければなりません。すべて他人事ではない。地球上のすべてが仲間なんですから。―― 


第158回特別国会中継
『週刊金曜日』2000.1.14(298号29頁) 記事転載許可を株式会社金曜日から得ています。


傍聴記 2004/01/22

 人は時折歩みを止めて来し方を振り返る。否、むしろ呼び止められると云うのが正確かも知れない。古い一枚の写真、偶然の言葉、空の景色、流れ行く雲、吹き抜ける風、川面の光、微かに漂う木犀の香りと様々な契機を通して彼方に置き去ってきたものに肩を静かに触れられる。振り返れば、替え難い記憶の景色が連綿と繰りひろげられる。すべてが懐かしく息づいて迫り、しばし心を休ませてくれた後、一場の夢の如く消え去ってしまう。
 が、その心象風景は子ども心にも何か釈然としない重苦しい感情を懐いた時の光景である。まるで天上界から俯瞰するようにその場面を思い出せる。それは当時の自分がおかれている静かな環境と比較しての違和感から生じ、しっかりと脳裏に刻まれたのだ。生きて在る今の自分にどのような重みを持たされたのかは明確でないが、ひとつの大切なものとしてあるのだ。ズシリとしたその記憶は、縫い物をしている母がぽつり、「いま戦争しているんだよ」と漏らした言葉から生まれたのだ。その戦争とは後で知るのだが、「朝鮮戦争」のことだった。
 朝鮮戦争は1950年〜1953年にわたり、1953年7月27日には休戦協定が成立した。朝鮮戦争開始後の1950年7月8日マッカーサーは7万5千人の警察予備隊の創設と海上保安隊8千人の増員を日本政府に命じた。その後、1951年9月8日サンフランシスコで調印された対日講和条約(講和条約は考え方としては戦争状態から平和状態への復帰である)と日米安全保障条約は、日本をアメリカの相互援助体制の中に組み入れて再軍備させる布石だった。爾来日本はアメリカに頚木を取り付けられたままである。もっと古くにはペリーの恫喝にあって、1854年3月3日 日米和親条約(神奈川条約)十二ヵ条の締結を幕府は承認した。これに酷似しているのが、1996年4月15日にアメリカと締結した日米物品役務相互提供協定である。
 朝鮮戦争では多くの日本人がアメリカ軍に雇用され、日本の産業も動員され、いわゆる「特需」で、不景気に喘ぐ企業は此の戦争を「天佑神助」と喜んだ。極度のインフレから緊縮財政へと急激な転換をはかったドッジラインの強行実施による不況と、バブル状況から金融引き締めによるバブルの崩壊で10年以上経っても立ち直れないで不況が慢性化した状況と、インフレとデフレの違いあっても、不況の状態は似る。不況だからと言って、天佑神助は当てにはすまい。だいたい他人の不幸で天佑神助がある訳が無い。そんな神様など願い下げである。だが、「天佑神助」の付はキッチリ払わされそうである。
 母からもたらされたその感情への扉は現実の出来事を媒介とし、半ば強制的に想起されたものだ。アフガニスタンに続くアメリカによるイラクへの侵略戦争、それに積極的に加担する日本の参加がそれである。
 先の大戦後、日本の武装要員(兵員)が初めて戦場(イラク)に派遣された。なし崩しの状況形成とその場限りの舌先三寸で国民を愚弄し、永久平和主義を基本原則とした憲法を曲解し、国民に平和への選択肢を明示もせずに、ただ自衛隊の派遣のみを主張し正当化へと牽強付会に専念するこの確信犯的為政者によって、「再び戦争の惨禍が」国民の身に起きようとしているのである。憲法尊重擁護義務(憲法九九条)など、さらさら持ち合わせは無いのだろう。日本は米英等の動きに追随し、新たな分け前分捕り合戦に参入したのだ。これら世界の狼藉者の行き着く先は仲間内の潰し合いである。牙は磨かれて徐々に剥き出してきた。
 さて、日本で使用されている世界地図の見開は、太平洋を真ん中にして左に日本、右にアメリカであるが、見方を変えて右に90度回転してみると、アメリカの戦略が見えて来るのである。日本は前線基地なのである。何の? このような見方をすると、火種は尽きないことが理解できる。
 追想されるこの非日常の世界は、眼前の実景色に覆われたもう一方の現実なのか。人は日常にあまりにも没頭し過ぎその現実を抑圧してしまう。その懐古される世界は今もこの瞬間作り出され、そして深い層に蓄えられ、決してセピアに染まることなく、今の自分に問いかけ、警告を発する。そして、新たな母がまた子に語る。「いま戦争しているんだよ」と。この輪廻からいつ抜けるのか。
 テレビが空自のクウェートヘの出発を報じる(2004年1月22日 17:00)。小牧基地はここから車で40分程である。


1954年警察予備隊が拡充されて自衛隊となり再軍備が進行してきたのである。

日本国との平和条約 第三章 安全(C)連合国としては、日本国が主権国として国際連合憲章第五十一条に掲げる個別的又は集団的自衛の固有の権利を有すること及び日本国が集団的安全保障取極を自発的に締結することができることを承認する。続く第六条では九十日以内の連合国の撤退といいながら、但し書きで、外国軍隊の日本国の領域への駐とん又は駐留を妨げるものでない、とした。
日本は集団的自衛権の固有の権利を有している。これを現憲法が封じているということになる。

ペリーは蒸気軍艦4隻を率い、艦隊の全砲門を開き、将軍との直談判でもだめなら一戦に及び勝敗を決すると、威嚇した。

バブル景気は1986年11月から1991年2月まで続いた。

戦争とは開始宣言(宣戦布告・最後通牒)をもって相手国と交戦状態に入ることである。自衛戦争・制裁戦争・侵略戦争がある。侵略戦争は武力をもって相手国に侵入し、これを征服したり、権益を奪取する不法の戦争をいう。自衛・国際鎮圧行動以外の武力行使は不戦条約・国連憲章などにより違法である。
日本国憲法はこれらすべての戦争を放棄したのである。のみならず武力による威嚇又は武力の行使も放棄したのである。武力の行使とは現実に武力を行使して相手国と戦闘行為をすることである。

2004年1月22日現在、イラク戦争は、戦争状態終結宣言・相手国(イラク)の降伏・休戦・平和条約による戦争終結などが為されていず、まさに戦争続行状態である。

2003年12月26〜28日 空自先遣隊約50名クウェートヘ
2004年1月16日 陸上自衛隊部隊の先遣隊約30名は防衛庁で部隊編成完結式終了後成田を民間機で、クウェート経由でイラク・サマワヘ出発
(9ミリ機関拳銃など携帯、軽装甲機動車8台、高機動車など搬送)
1月19日朝(日本時間同日午後)中継地クウェート西部の米軍キャンプ・バージニアを出発、同日午後零時50分(同午後6時50分)頃、国境越えてイラクへ
1月22日 航空自衛隊本隊140名、クウェートヘ派遣
1月26日 C130輸送機3機、クウェートヘ出発予定
(実働部隊の派遣)
1月下旬 陸上自衛隊本隊第1陣(施設部隊)約80名、サマワヘ派遣予定
(装輪装甲車、無反動砲、個人携帯対戦車弾、トラックなど搬送)
2月中旬 海上自衛隊輸送部隊約300名、ペルシャ湾へ派遣予定
2月下旬〜3月下旬 陸自本隊第2、3陣計約440名をサマワヘ派遣予定
3月27日 陸海空すべての部隊が揃う予定
4月3日 以降本格的な「人道復興支援」と「安全確保支援」活動開始予定


傍聴記 2004/02/26

 この狭い国土で、他国からの侵略の度合いを政府はどの程度の範囲迄を想定しているのか。つまり核攻撃のレベル迄を含めて真剣に考えているのなら、「国民保護法」などいくら作っても国民保護にはならない。むしろ「深い穴を掘って国民が避難する法」案のが気休めになる。また、この程度の法制で国民の生命・財産を守れると考えるなら、日米安保条約は不要である。つまり、今の専守防衛と称する自衛隊の能力程度で必要且十分である。在日(または本国からの)アメリカ軍の手を借りるまでも無い。従って「米軍支援措置法案」などもってのほかである。「国民保護法」案は素直に読むと、何事も無いつまり平時を想定した法案である。東海大地震の想定みたいなものである。役に立たない。肝心なことが抜けている。なぜならどちらも何時到来(勃発)するのか不明であることと、その被害の想定が定かでない。そのような中で、どうして国民は保護される対象なのかだ。なぜなら、肝心要の国民を保護する立場の者が完全無傷であるという想定に立っている能天気な計画だからだ。つまり、小泉首相という「最高司令官(司令室)」が、第一の攻撃対象となり壊滅した場合の国民保護とか、県行政の対策本部が震災に遭い機能しないとか、組織末端が麻痺した状況が考えられていない。つまり、その中でも大震災は支援を期待(日本が沈没するようなことでもない限り)できるが、戦争はこれこそ混乱そして恐れの極みである。そのような中、例えばインターネットで情報を流し、それ見て国民が成る程と頷いているヒマは無い。大体プロバイダーが機能しているという前提も変である。攻撃する側が、何時何分に何処そこの場所に爆弾落とす予定ですが、精度が良くないため多少ずれるかもしれません、などと予告出して呉れることも無いと考える。ピンポイント爆撃のアメリカでさえ見たとおりである。とにかく攻撃する側の任意なのである。無我夢中で逃げ惑うことが出来ればいいほうである。こんな事態での基本的人権とは何を言っているのかである。多分自衛隊も米兵も全てが敵に見え怯えてメッタヤタラに銃をぶっ放す状況下になる。なぜなら混乱の極みの中で、侵略して来たK国の兵隊(の格好していればまだ分かるが)の顔を日本人と咄嗟に米兵が判別できないと考える。影を見ただけで杖をついた人を撃ってしまう可能性が大である。米兵には東洋人しか判別できない。自衛隊でもその可能性はある。
 何処の国が例えばK国の援助のために船を用意し、それこそ正しく火の海に好き好んでK国を助けるために来るのだろうか。したがって「外国軍用品海上輸送規制法」など無意味である。それともそのような仮想国はあるのか。想像もつかない。むしろあるとすれば我々の手の出しようの無い陸続きの隣国がどうするかだろう。相手は大陸、海に囲まれた日本での発想とは違う。では仮想敵国は某国だけか。例えば、K国と一戦交えた場合、そしてK国が核攻撃を試みた場合、在日米軍は相手に核を使用するのか(非核三原則を無視して)。米軍が核を抑止力として使用した場合、隣国のC国・R国は拱手傍観を決め込んでいると考えるのか。それは甘い。彼らは臨戦態勢を布く。そしてミサイルに燃料を充填する。それを空から見た米軍は、先制攻撃を仕掛ける。それこそ日本が引き金となってこの世の終わりの核大戦が勃発ということになる。韓国・日本は数発の核弾頭でご臨終である。そして放射能が東アジア一帯に降り注ぐ。米国も例外では無く痛手を負う。例え生存したところで、地獄の絵模様があるだけである。それとも広島・長崎位の被害は折り込み済みとでもいうのだろうか。50年以上経た現在、その密度は全ての面で取り返しのつかない甚大な被害(想像を絶するような状況)が想定されると考えられるのだが。それが東京だとしたら脳天を打ち砕かれたに等しい。
 国民を真に保護しようとするならば日本の選択肢は、遠い道のりかも知れないが、国連中心の平和外交に徹すべきである。「国連は日本を侵略から守ってくれない。・・・」などというが、誰が攻撃(侵略)するのか。大規模テロにもと云うが、テロを引き寄せている又は拡大しているのは政府自身の言動であることを忘れてはならない。例えば、朝鮮戦争の当事者であり陸続きの韓国へでさえ多少の小競り合いはあっても(なにしろ停戦中であるから)、絶えてこれまで侵略(どの程度を侵略というのかの定義も必要、海上保安庁が対応できる位のことで侵略ないし攻撃というのか。領海侵犯ではあるが。アメリカのイラク攻撃は正しく侵略戦争であると考える)されていないのに。だからといって今後も無いという保証は無いではないか、と反論するなら、小泉首相が言うように小泉首相(政府)自身が国民に対して「在る」ということを証明する「挙証責任」があるのではないか。何故こうも性急に小泉首相になってから、有事を想定する事態になったのだ。やはりそのことに関しても「挙証責任」がある。事前に法整備をして置くのが政治の役割とでもいうのだろうか。真の政治の役割は平和の創造である。そのための政治(外交)である。現実を見よ、というか。その愚かな現実はアメリカが作り出しているのではないか。侵略の仮想敵国が北朝鮮だとしたら、日朝平壌宣言 (2002年9月17日)は何だったのか。立派な内容であるのだが。ただ、小泉首相と金正日朝鮮民主主義人民共和国国防委員長とが握手した時、首相の緊張し強張った表情の上に恐れたような顔の様子を見て、一抹の不安を抱いた。何故もっとブッシュ大統領に接するように、満面の笑みを浮かべて転がるように近づいて行かないのか。隣国を仮想敵国化せずまたは相手に脅威を与えるような法制化を図らずに、アジアの平和唱道者たらんとしての道を日本は歩まないのか。なぜ平和日本を訴えずに、他国との緊張を醸成するのか。小泉首相はアナン国連事務総長に「国連は日本を侵略から守ってくれない。・・・」と訴えたのか。国会の答弁では国連軽視の言葉としか受け取れない「だから米国と同盟を結んでいる」という居直りに近い言辞が続くのにアナン国連事務総長との会談では、「国連との協調路線を重視する姿勢」をアピールするこの変わり身は国民を愚弄しているとしか考えられない。何処に本音が在るのかは国民が知るところである。
 政府に問う、現在の中国を何故(仮想)敵国として恐れないのか。核攻撃能力を持つこの国を眼と鼻の先にある日本は何故あからさまに恐れないのか。こちらからその回答を言う。それは国交樹立を図り、曲がりなりにも、話し合いの外交政策をしているからでないのか。これらの法制化のために、不必要に北朝鮮に対する敵愾心・何するか分からないといった疑心暗鬼を国民に撒き散らすのでなく、彼らの真の実力(軍事・経済力・国民の生活などを含めた)の程を分析し、等身大の北朝鮮の姿を国民に提示すべきである。例えば具体的に軍事力として、日本を攻める能力があるのかないのか。あるならばどの程度なのかとか。彼らにとって見れば、日本の軍事力のほうが数段勝っていて、その技術力・経済力からしても脅威なのだと考えるのではないか。その上、弱いと見れば、欲しいものがあれば国連・世界の戦争反対の願いにも拘わらずルール無視し、攻め込むといった乱暴者で世界の厄介者のアメリカと手を組んでいるのだから。
 「自衛隊法改正」案もおよそ独立国家の体をなしていない属国並みの国民無視のアメリカオンリーの姿を折り込もうとしているだけである。これでは明快にアメリカ軍在るところ自衛隊在りである。自衛隊はアメリカ軍の腰巾着また金魚の糞では無い。この内容が成立するなら、憲法違反である。また、日米安全保障条約・安保条約にさえ違反し、この条約の骨抜き変容を図るものである。
 「特定公共施設利用法」案などは、国民保護の立場から云えばもってのほかである。現在の軍事施設を有事の際(どの程度の範囲まで考えてるのか不明だが)使うだけでも国民の安全を脅かしているのに、交戦国の一方から見れば攻撃の箇所が増える。したがって国民の立場からは交戦の場所が増加し身の危険な場所が多くなり、狭い国土に逃げ場所が塞がれるだけである。つまり、軍事化された施設周辺はもっとも危険な場所となる。決して国民の安全など守れない。現実は自分さえ守れない者が銃器を振り回すのに精一杯なのである。ましてや国民を保護するなど出来る訳が無い。国民は纏まって一箇所に避難して大量に殺戮(どこから飛んで来たのか、誰が発射した砲弾なのか不明のまま)されるのが帰するところである。はっきり云って、この狭い日本で海に囲まれた民に逃げる場所も避難する場所も用意されていない。あの北朝鮮の国民でさえ陸続きのために逃亡することができるのに、この自由の国と称される日本の国民には逃げ隠れする箇所は無いのである。小泉首相は逃げ場所を確保しているのか。もし、仮想敵国が攻めてきたら、自衛隊と米兵を残し、太平洋側から非戦闘要員の国民は緊急に応じて、護衛艦付の輸送船ないしは戦闘機のエスコートの下政府専用機で国外の安全な場所に避難させてくれるのだろうか。
 「捕虜取り扱い法」・「国際人道法違反行為処罰法」案は基本的には憲法第9条を持ち平和主義を国是としている現日本としては無用のものであるが、ジュネーブ条約その関連議定書を知ることは大切なことである。中国・ロシア連邦は、ジュネーブ四条約・第一追加議定書・第二追加議定書に批准ないし加入している。北朝鮮は、ジュネーブ四条約・第一追加議定書に加入している(2003年12月末現在)。さて、有事法制のような事態を想定した場合、特に他国からの攻撃を考慮した時、追加議定書の第59条に云う無防備地域であることの宣言を各自治体ができるようにすべきである。直接住民の福祉を願う地方自治体としては精一杯の出来ることである。ただ心配なのは日本と違って第9条の様な制限の無いアメリカが第一追加議定書・第二追加議定書に批准も加入もしていないことである(但し、ジュネーブ四条約は批准している)。何故か。日本のことは周知の通りである。
 私権の制限や罰則などは無用のことである。真に理解の得られる法制ならば、国民は支持する。戦争は単に自衛隊や米兵だけのものでなく、国民全体が関わることなのである。プロもアマも無い。生命を賭しているのにはかわりない。戦争は夕涼みの傍らまたは電車の中から眺める花火大会とは違うのだから。それは如何なる場合も悲劇なのである。
 隣国には仮想敵国など無いというか。もしそうならこのような法制は不要である。もし想定しているなら、相手が分かっているだけに、このような法制を整備するより、平和外交に徹した手を打つべき頭を絞るべきである。政府だけで外交を処するには無理があると考えるなら、当然国民としても知恵を出す。人間以外の多くの生命も含めて、その生命を奪い環境を破壊するような如何なる行為も是認しないということが日本国の先の大戦より得た尊い教えではなかったか。それが戦争放棄の意味でもないのか。
 本来なら有事法制関連七法の隅々まで一国民として目を通し、憲法及び関連法案等から検討を加えるべきであるが、上述したように緊急的に概論にとどめ、国会の論議の深まりを刮目する。
 2004年2月25日


今国会に提出を予定している有事関連法案に関し、首相官邸ホームページで、「法制に関する御意見・疑問点を受け付け」している。2004年2月25日現在。

国民の一人一人の生命・財産に関わることで他人事ではない。

意見書は26日1:08頃送信した。
意見書と本ページ文に二箇所相違点がある。「国民は纏まって」(本ページ)⇒「国民は纏めて」(意見書) 「関連議定書を知ることは」(本ページ)⇒「関連議定書知ることは」(意見書)

国際刑事裁判所との関連は意見書には書かなかったが、米国は自国兵が政治的に訴えられることを恐れて強硬に反対をしている。日本は今国会に、追加議定書(議定書T)(仮称)・追加議定書(議定書U)(仮称)を提出予定である。日本は国際刑事裁判所には前提となる関連国内法が未整備であるとの理由で批准を見送っているが、米国との兼ね合いでどうするのか。国内関連法とは具体的に何を指すのか不明だが、今国会に提出される予定の一連の有事関連法案のことか。

詳しく検討すればするほど矛盾・逸脱・無理・無用な法制ではないかと考える。是非国会の場で逐条審議をやっていただき、その矛盾を突きこのような法の整備に精力を注いでも国民を保護したことにはならないことを明らかにして欲しい。却って国民の犠牲が増えるだけである。これまでの平和をどうして維持しないのだろうか。

中日新聞2007/05/16
集団的自衛権 米が行使容認迫るーゲーツ米国防長官が先月末にワシントンで開かれた日米防衛相会談で、米国を狙った北朝鮮などの弾道ミサイルを日本のミサイル防衛(MD)システムで迎撃できるよう、政府が憲法解釈で禁じている集団的自衛権行使の容認を迫っていたことが分かった。同席したシーファー駐日大使も集団的自衛権の問題に触れ「米国への弾道ミサイルを迎撃できなければ、日米同盟が変質しかねない」と日本側をけん制した。久間章生防衛相は、日本が現在計画しているMDシステムの技術では米領土への弾道ミサイルを迎撃できないと説明し、技術的にも可能となるよう米側に一層の協力を求めた。