傍聴記 2003/11/29
貧相でそしてこの下卑た様子はどうしたことなのだろうか。脈絡の無いその場逃れの空虚な言葉を繰り返し、虚勢を張る。自席に戻っては両手を広げてヒラヒラさせ、大げさな表情を作り質問者を小ばかにしたように振舞う。カメラはその瞬間を待っていましたとばかりに捉え視聴者に映像を送る。如何にも幼児性の抜けきれない、耐えて思慮するという試練の欠如した、実力の無いただの見栄坊でつまらぬ人間が輪をかけた茶番を見せ付ける。かりそめにも選ばれた使命の重さを較量することのできる者なら、このような不真面目な態度はとるまい。このような者が経綸を語る資格があるのだろうか。だが、選ぶ者があるゆえに国会に現れることになる。颯爽と保育園児ボクちゃんの登場である。手前勝手の御託を並べる。理屈も何も有りはしない。瞬間話術芸を繰りひろげる。その上に愚者の薄笑いを為す。このような挙動は或る意味では逆に見る者(国民)に「国会議員といったってあの程度だよ」と安心感と優越感を与えることになる。そして将又選挙では「まぁ、こいつでいいか」と溜飲とレベルを同時に下げる結果になる。そして両者の錐揉み状態はさらに続くことになる。
憲法が政府から出させた国民への誓約書であることの認識に立てば、その約束事が勝手に破られたのでは、あるいは破棄しようとする言動をなそうとするなら、国民は断じて指弾し厳正に対処しなければならない。下卑た笑いに同調する余地は無い。
再び書出しに戻る。品性の劣なるに映るは未来を喪失したゆえではなかろうか。明日を夢見て語るを忘れ、次なるものを築く理想を忘れ、ただ滅びに向かう道を訳もわからず陽炎を掴むがごとくに進む。未来を見る過去を忘却し判断の基準も持たずに他に頼り、他は寄りかかる者にさらに依拠する。自己(自国)の未来を他に寄って遣り過ごそうとする未来意思欠落の崖っ淵見落とし症候群に陥った者の容面は内面の腐敗に伴い下卑る。
広島原爆の証言者 沼田鈴子さんの言葉を紹介する。
―― それは真実を求める知恵を一人ずつが持って欲しいということです。最高の幸せは平和なんです。でも平和は待っていて来るものではありません。命にかかわるすべてのことに目を向けていかなければなりません。すべて他人事ではない。地球上のすべてが仲間なんですから。――
第158回特別国会中継
『週刊金曜日』2000.1.14(298号29頁) 記事転載許可を株式会社金曜日から得ています。
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