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傍聴記 2002/12/08
天神川に棲みつく小動物を前に紹介したことがある。 ![]() ![]() 12月7日朝 撮影 [溝鼠]ネズミの一種。世界的に分布し、人家の周辺にすみ、よく水を飲むため下水の近くにいる。体長約20センチメートルの大形種で尾は体より短く、耳が小さい。『広辞苑』第三版 天神川を挟んだ一帯の西部浄化センター(平成12年6月14日運用開始)への接続、つまり水洗化普及率は2002年10月末で52.21%である。水洗化が普及した場合、生活雑排水が天神川に流入することはなくなり、雨水・用水(傍聴記 第1巻 '99/06/06を参照)だけと、理屈ではなります。そうすると、ある時期には水無し川になる可能性もあります。 12月16日市役所の知人と溝鼠の話をしたら、「ヌートリア」かも知れない、とのこと。初めて聞いた名でした。「稲美野ヌートリア通信」をご覧下さい。なお、稲美野ヌートリア通信はリンクフリーです。 ヌートリアであっても、筆者にとっては出会いの記録過程でもあり、またその趣旨は字句の訂正等をしたとしても変更はありませんで、傍聴記の文章はそのままにしておきます。 参考資料: 「河川環境データベース(河川水辺の国勢調査)国土交通省」 追記:その後のヌートリアの様子は、 天神川のぬーとりあでご覧になれます。 ![]() 12月15日朝 撮影 「陽だまりの中で草を食べてました」 |
傍聴記 2003/03/17
どうしてこのような古いことをいつまで憶えているのだろう。その上、昨日のことの様に在り在りとしているのだ。その想い起こされたことは、小学校の卒業式での事である。特にその卒業式そのものに何かとんでもない事件が起きた訳でもない。それは十年一日として繰り返し実施される卒業式の模様であった。後輩が先輩を送り、先輩になり後輩に送られただけであった。そして先生方は、トコロテンを詰めて、キュッと一突きし、一丁仕上がりの様な安易な式を繰り返しただけだった。多分それだけの景色であったら、その後中学生と続くいくつかの卒業式のように、その記憶も薄れたものであったろう。 |
傍聴記 2003/04/14
神が実在するのなら、「イラク戦争(≪アメリカの難癖を付けての侵略戦争≫、と呼ぶべきである)」は、避けることができたであろう。人はそれぞれの神を持ち、心を満たす。しかし、21世紀に入って、人を超えた神は無存在なのだと、人は瞭然として悟らなければならない。神は永遠に沈黙しその姿を見せないのではなく存在しないのだ。 |