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傍聴記 2001/09/28
「やられたら、やりかえせ」の論理は破綻している。もしAとBの間に「諍い」があった場合を見る。AとBに力の差が無いと仮定すると、「やられたら、やりかえせ」は一回では完結しないのだから共倒れの極限値に到り、論理の貫徹は無理になる。圧倒的にAに力がある場合、Bは「やりかえせ」の論理に入れず、これも駄目である。無論、Bの力が勝っている場合でも同様である。 |
傍聴記 2001/12/03
「いままで憲法について勉強したこともないし、友達とそんな話もしない」と学生。「生徒はルールを守らないし、大人は自信をなくしている。それは憲法の前文が絵に描いた餅だからだ。もう少し世界にアピールできるようなものに変えなければ」と高校の教師。この二人は質疑応答で、憲法改正に賛成と答える。つまり、前者は関心が無い上に理解もしていないのに賛成と答え、後者はこの憲法が多くの人々の尊い犠牲の上に得られたことに考えを及ぼすことも無く賛成と答える。特に後者は憲法をどのように生徒に教えているのかと問われ、「私は世界史の教師で憲法は教えていない」と答える。つまり、憲法を単に生徒を縛る規則、そして成人には檄を飛ばすくらいのものとしか考えていないのではないか。多様性を排除し、ひとつの思想で律したのが楽でよいとでも考えているのだろうか。この教師にとっては教育基本法の前文、つまり憲法との関連を述べたところも画餅と看做すのだろう。教育の荒廃はまさしくこのような教師から排出されるのではと危惧する。
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