第2巻

傍聴記 '99/09/06

  この定例会から傍聴者に資料が用意されるようになった。例えば「個人質問一覧」などは非常に議事の見通しが良くなり、傍聴者としては助かる。どうだろう、モニターの設置場所にも用意して置いたら。さて、その質問だが、再々質問まで有効に使い、論理を展開し通せたかというと疑問である。結果として、お伺いをしたという印象のみが残ってしまう。理事者側の回答を想定し追及していくにはかなり準備を必要とする。「なにとぞご理解をお願いいたします。」「丁寧なご説明を頂きましてありがとうございました。」の遣り取りでは、活性化も未だしである。ただ聞くだけではいけません。問題意識があったから質問した筈だ。そこ(質問の背景)をハッキリとさせて欲しい。しかし今回、当意即妙に質問して、非合理さを鋭く指摘し問題点を浮き彫りにした一年生の川村議員には期待が持てる。

注1)平成11年第5回(9月)尾張旭市議会定例会 本会議を傍聴した。
注2)傍聴者に用意された資料は以下の通り。 議事日程/定例会日程/定例会付議事件一覧/定例会個人質問一覧
注3)委員会の傍聴は議会運営委員長の報告だと12月からできるそうだ。期待したい。
注4)川村議員の「質問2西暦2000年問題について(2)(公文書に)元号よりも西暦を使用したらどうか」の 中での質問を指す。


傍聴記 '99/09/11

  ある方の誘いで、「市民自治あいち21」に出席した。そこで記念講演を拝聴した。田中秀征(元経企庁長官)さんの「自自公政権の限界」と題しての講演であった。要諦は統治構造(政治構造・行政構造・経済構造)が成長対応・冷戦対応の状況を失い、目的を持たなくなり無用のものになって互助会体質になっているということである。詳しくは田中さんの著書を読んでください。田中さんの言うように、代謝機能が働か無いんですよなかなかこの国は。失った成長に対して無駄な公共事業等の復活、失った冷戦に対しては危機を造りだし延命策を計っているのが、現実政治ではないだろうか。基本的には国民が変わらない限り、国民一人一人が自分の問題として環境構造の創出に挑まない限り、崖に向かっての行進である。省みることのない国民とその為政者、再び頭上に熱い夏が訪れないように。


傍聴記 '99/09/21

  怒声が飛んだ。「市民のこと考えてない!」「三分の一給料返せ!」絶妙の掛け声でした。9月6日の本会議での傍聴人の叫びでした。すると、ある議員が傍聴席に振り向いて、「退場!」と言葉を発した。一瞬わたしは憂鬱な気分になった。確かに傍聴人として野次など飛ばすのはいけません。ルール違反です。以前にも書いたように規則があります。が、ここではその嫌な気分の因って来たところを考えてみた。それは議員が傍聴人つまり市民に向かって、換言すれば、「出で行け!」と暴言を吐いたことだ。市民の声を代表しなければいけない者がですよ。そのような状況にあっても、市民に耳を傾ける姿勢を保つのは義務ではないか。なぜそのような罵声を浴びせられたのかを篤と考えてもらいたい。傍聴人にも規則があるように議員にも規則がある。必要な対応は議長がする。それがルールだ。「どっちもどっち」では示しがつかない。

注1)これは、議員の質問時間を試行的に今回から 90分にしたことで、議論が尽くせない状況が出たためと、一般質問を3日間とっていながら2日間で終え、残り1日を休会としたため(6月も同様)。
注2)怒声の「」ないの言葉は正確には違うかもしれないが、趣旨はその通りである。議事録に載ればハッキリするでしょうが、先ず載らないでしょう。なぜなら、傍聴人には口はありませんから。またこの「傍聴人」という呼称なんか嫌ですね。オブザーバーとかなんか考えましょうよ。「国会法」・「地方自治法」でも傍聴人です。そして、我市の規則も傍聴人で通してます。せめて「傍聴者」ではどうか。


傍聴記 '99/10/02

  朝の散歩に天神川土手の緑地化作業を見る。ソメイヨシノ・ハナノキ・クス・クチナシ・沈丁花・車輪梅を植える。常緑樹がもう少し欲しいところだが桜に場所を取られた。が、八〇本の桜が咲いたら見事なものだと思う。近場の花見の場所となり、賑わうかもしれない。しかし目を川面に移せば興ざめだ。ドブでは釣り合いが取れない。川の構造を自然の川の様相から排水溝用にと変えたからだ。浅水でもよい清らかな水を流そう。さすれば「桃花流水杳然去」でなく「桜花流水杳然去」の境地も夢でない。

注)ハナノキは県・クスは市の木。


傍聴記 '99/11/07

 コーヒーを飲みながらの会議・打合せはよく見る光景である。「教育委員会」の定例会を傍聴した。傍聴者は私を含めて二名であった。私にとっては教育委員会の傍聴は初めてである。諸報告と予算関連の議事が主であった。特に焦眉の件はなさそうである。会が始まる前に、コーヒーを委員並びに所管の出席者に揃えている。手にコーヒーを持つ女性(庁舎地階の喫茶室の女性と思う)がなにやら事務局の女性(と思う)に話しかけたら、事務局の女性はわれわれ(傍聴者)の方を一瞥し、手を腰の辺りで横にひらひらと振った。手のコーヒーは事務局の女性のテーブルに置かれた。私は場違いの者としての一種妙な雰囲気にさせられた。カチャカチャズルズルと音を出して飲みながらなんの不思議も無く(多分いつものようにでしょう)、定例会が始まりました。そして、傍聴者のテーブルには、「尾張旭市教育委員会会議傍聴規則」が透明ケースに入れて置いてあり、規則の第5条(4)には「飲食又は喫煙をしないこと。」とありました。もちろん「おまえら何でコーヒーなんか飲んでんダっ?!」というような罵声はいけません。同条(4)には「私語、談笑等議事の妨害となるような行為をしないこと。」とあります。皆さんは市民のためのとても大切な教育というお仕事に携わっていらっしゃる方なのですから、傍聴人ごときは静粛に拝聴していないと、お仕置きとして、「退場!」になります。 

「教育委員会」については、地方自治法 第二款 教育委員会 第百八十条の八を根拠として、「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」に詳しくあります。因みに委員は、人格が高潔で、教育、学術及び文化に関し識見を有するもののうちから、手続きを経て任命されている。「どこが?!」なんて下種の勘繰はやめましょう。
注)尾張旭市教育委員会(11月)定例会 11月2日開催を傍聴。付記:わたしの性分ですから、事務局に捻じ込みました。ハイ。


傍聴記 '99/12/04

 数年に何度かあるやなしの選挙時の市役所職員の残業での健康を心配して、選挙事務のコンピュータ化(機械化)をしたらと、質問する議員がいる。そして隣接市の選挙速報システムを賞賛する。その市は先の統一地方選挙の投票状況を一時間毎にホームページで流していた。しかしそのシステムは無人で稼動している訳ではない。担当者が張り付いているだ。つまりこの質問者は[機械化=仕事量の低減]になるという古典的な機械化観を持っているらしい。機械化はむしろ仕事が増えるというのが現在の状況だ。機械化した仕事の結果を得るのが速くなっただけで、自分の全体の仕事量が減ったとは思わないはずだ。つまり、機械化によって別の仕事量が発生するのだ。世の中今時仕事量が減るから機械化したほうがいいですよ、なんて言う営業の仕方はしていません。激変するビジネス環境に柔軟に対応しかつ企業の体質を強化し、グローバルスタンダードにフィットする経営を目指すために云々です。機械化したのだから、さらに働けです。市役所の職員の心配よりも、一般市民の健康を心配して欲しいですな、そこの議員殿!それでこそ市民の代表でしょうが!本当に市役所には優しいですな!

隣接の市は確かに選挙速報をしていた。私自身もそのホームページを見たので。そしてそこの担当の方と当日メールの交換(記録を保存している)をした。私のメール:1999/4/25 23:31「今日は徹夜ですか」相手の返事:1999/4/25 23:42「午前1時〜2時には終わりそうです。ご心配いただきありがとうございます。」注)両文とも部分です。