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   玄和2年3月法話

 舎利弗とお釈迦様について

 三月はお彼岸の時期に入ります。
今年は三月十七日から二十三日です。国民の休日に関する法律によれば、春分の日は自然をたたえ、生物を慈しむ日、秋分の日は先祖を敬い、亡くなった人を偲ぶ日と定めらている。彼岸とは「迷いの世界から悟りの世界にいたる」という意味です。
 お彼岸は仏教の教えを実践する仏教週間といえます。先祖を偲びじぶんが、今あることを感謝し、先祖を供養するとともに、自らも往生できるよう精進したいものです。

 
さて本日は舎利弗について先ずお話していきたいと思います。
 舎利弗は、前回ラーダーという人をお釈迦様に頼まれて指導した人です。また舎利弗は方便品第二に出てきます。その場面はお釈迦様が瞑想からさめて舎利弗に話かけているのです。舎利弗はお釈迦様の十大弟子の一人で、智慧第一(智慧に非常に優れて人)と言われた方です。目連と共にお釈迦様の両腕と称され、活躍したのです。晩年のお釈迦様は疲労のため説法が途中で中断することもしばしばあったとされています。そのような時、舎利弗は代わって法を説く役目を務めるほどお釈迦様から絶大な信頼を得ていました。残念ながら舎利弗はお釈迦様に先立って病死してしまいます。同じころ目連も死んでしまいます。お釈迦様が入滅の1年前の出来事と言われています。お釈迦様はあまりにも悲しくなり、一説にはそれによって死期が早くなったと言われいます。それほど舎利弗という人方は偉大であったことがうかがえます。

 
次に日蓮聖人が残された遺文を一つ紹介させていただきたいと思います。妙一尼という方への御返事を紹介させていただきます。「法華経を信ずる人は冬のごとし。冬は必ず春となる。いまだ昔より冬の秋へとかえることをいまだきかず。法華経を信ずる人の凡夫となることを。経文には「もし法を聞かん者有らば一として成仏せざる者なし」と、とかれ候。「妙一尼御返事」の現代訳は「法華経を信じ実行している人のことを譬えてみると季節の冬のようなものである。冬か必ず春になる。古来冬が秋になったためしがない。それと同じように法華経を信じ安心の境地に到った人が、元の凡夫、我欲、執着にまみれた世界に戻った例もないのである。このことを法華経第二章・方便品では「もし人があって、法華経を聞き信じ、実行したならば、一人として成仏、大安心の境地に至らない者はいない」と説かれて、人々を励ましているのである。妙一尼という方は鎌倉時代の武士の妻でありましたが、夫は子を遺して亡くなり、所領もなくなるという困難中で、日蓮聖人を信じ、強い信仰生活を守った方です。この「妙一尼御返事}は健治元年(1275)五月聖人五十四歳の時、妙一尼が衣を届けられたことを感謝し、合わせて夫を失った悲しみを慰めるためにしたためられたものです。ご真蹟は、千葉県の中山の法華経寺に保管されております。先ほども申しましたが、妙一尼は夫を亡くし、幼い子を抱えての生活という苦難の中におられました。この妙一尼に日蓮聖人は「冬は必ず春になる」と励まされたのです。この励ましによって尼は子を育て信仰者として人生を全うされました。