胡牀庵・青空子

 

 胡牀庵 青空子こしょうあん せいくうし

 本名     中山 正男(なかやま まさお)さん

 生年月日  昭和15年4月30日 (79歳)

 出生地    茨城県猿島郡境町

 現住所    〒306−0433 茨城県猿島郡境町新吉町1407−5

 職業     「幸松屋」代表取締役 元境町商工会副会長

 略歴     

 小学校1年生で画業を志す。10代より時計商のもとで時計技師として働きながら,油絵などに打ち込む。数年後職場のあった宇都宮で開かれた「栃木県美術展」にて,那須御用邸の絵画を作成したことでも有名な福田四郎氏と巡り会う。その後約4年間を時計技師修行をしながら,福田氏のアトリエへ通い続ける。この間東京都美術展に出品し度々入選。一方で本格的に油絵やガッシュの腕を磨く。しかし,父親の発病を機に故郷境町に戻り,家業の「幸松屋」を継ぐ。 昭和30年,香港へ渡航するためパスポートを申請にでかけた際,たまたま立ち寄った銀座「三越」において,生涯の師ともいうべき日本画家・画人「粛粲宝」氏の作品と出会う。すぐに自宅へ手紙を送り,その後数十年に及ぶ粛粲宝氏との交流が始まる。粛粲宝画人は中山を「知友」と呼び,その後彼を頼って境町に転居する。その交流は彼ががこの地にて死去するまで続いた。雅号「青空子」も粛粲宝画人が名付けたもの。青空のように何事にも全霊で打ち込む中山をたとえて,粲宝氏がそう命名した。プライベートでは夫人との間に三女を設ける。現在三人の娘は嫁ぎ,境町の自宅に夫人と二人居を構える。平成13年12月25日から30日まで,銀座「鳩居堂」にて作品展を開催した。