堂前のおつる田(道前)

 むかしむかしのことです。
飯沼にまだ水が満々とたたえられている頃,谷津とよばれる深い入り江が沼のあちこちにありました。その中でも愛宕神社の観音堂に面した堂沼は,鬱蒼とした森にかこまれる昼なお暗い沼でした。沼の周囲は「蛇くずれ」とよばれる切り立った崖が続いていました。ひっきりなしに沼に落ちる小石や泥の水音が,まるで蛇が舌なめずりする音に聞こえていました。
  しかし,いつの頃からか村人はこの沼のほとりに谷津田とよばれる田んぼをつくりました。田んぼといっても底なしに深い泥田です。青竹を四方に渡して,その上をたくみにつたって稲を植えました。
  さてある年,この村におつるというたいそう気だての良い娘が嫁いできました。働き者で朝早くから夕方遅くまで一生懸命野良仕事に精を出しました。やがて若夫婦には玉のような子どもが生まれました。こうしておつるは幸せな毎日をおくっておりました。

  厳しい冬が終わり,春を迎えました。もうすぐ苗代には今年植える稲が青々と芽を出し始めています。氷が溶け始めた堂沼の谷津田でも田植えの時期を迎えたのです。その年はじめて谷津田に出かけた夫は,家にもどると,赤子を抱えたおつるに念をおして言い聞かせました。
 「おつる,谷津田はとってもあぶねえ所だ。けっして一人で行っちゃなんねえぞ。沼の主に引きずり込まれちまうからな。」
 そんな夫の心配など全く気にせず,おつるはふだん通り赤子をあやしています。
 「だいじょうぶだよ。こんなかわいい子どもを残して,底なし沼になんか落ちやしないよ。」
 夫のいやな胸騒ぎをよそにおつるは幸せに包まれていたのです。
 
 やがておつるの家でも田植えが始まりました。初めは恐る恐る青竹を渡っていたおつるも,そのうち難なく稲を運んだり,土手に寝かしてある赤子の様子をのぞきに出かけたりすることができるようになりました。
 そうして陽が西に傾く頃にあらかた仕事を終えた夫婦は,そろそろ家に戻る支度を始めました。
 「あんた,子どもと先にもどっていいよ。あたしも片づけが終わったら急いで帰るからさ。」
  一瞬夫の脳裏を不安がよぎりましたが,どうしてもゆずらないおつるにしたがって夫はしぶしぶ赤子を抱えながら言いました。
 「おつる,早く戻ってこいよ。十分気をつけてな。」
 わかったよという笑顔のおつるに,後ろ髪引かれる思いで夫は家に戻りました。そのうちにあたりはとっぷりと闇に包まれました。しかし,おつるはその頃になっても戻ってはきませんでした。夫はだんだん心配になりました。ふいに赤子が火のついたように泣き出しました。「おつるに何かあったに違いない。」そう直感した夫は赤子を年老いた両親にたくすと,堂沼の谷津田めざしてかけ出しました。

 暗闇に包まれた沼のほとりには誰もいません。「おつるー,おつるー」と声をかぎりにさけんでも返事はありません。そのうち急を聞いてかけつけた村人たちのたいまつが,谷津田の端にぼんやり浮かびあがる小さな影を照らし出しました。なんとそれはおつるがかぶっていた菅笠の赤いひもでした。「おつるー」と叫びながらかけだそうとする夫を村人があわてて押しとどめました。「おまえはいっちゃなんねえ。」村の長老にたしなめられても,夫は半狂乱でおつるの名を呼び続けました。

  白々と夜が明けました。菅笠の落ちていたあたりを村人は丹念に探しましたが,おつるはとうとう見つかりませんでした。きっと沼の主に引きずり込まれてしまったのだろうと,村人はうわさしました。それから後人々は堂沼べりのこの谷津田を「おつる田」と呼ぶようになったと言うことです。