飯沼(いいぬま)の大蛇(だいじゃ)

 三和町から岩井市にかけて広がる飯沼は,江戸時代までは長さ28Km,幅4Kmの広大な沼でした。また飯沼はもともと「蛇沼」などとよばれるくらい蛇の多く住んでいる沼でしたが,昭和の30年代までは大水が出たときなど,ぽっかり浮かんだ立木の枝に大小さまざまな蛇がびっしり張り付いていました。
 さて,この飯沼には不思議な言い伝えが残されています。

 むかしむかし,飯沼は一雨降るとあたり一帯の小川から水が入り込み,大水になってしまいました。それだけではなく,鬼怒川の水が逆流してあっという間に辺り一面水びたしになってしまったのです。それというのも,この飯沼には一匹の大蛇が住んでいたのです。大蛇の大きさといったらありません。頭を沼の北,江口(現在の三和町)に乗せると,そのしっぽは平塚の浅間様まで届くほどでした。この大蛇が住んでいるために沼の水はいつも満水で,引くときがありません。また,大蛇を恐れて,人々は飯沼に近づくことさえできませんでした。
 困り果てた村人たちは,相談した結果沼のほとりまで大蛇にかけ合いに出かけました。

 「大蛇様,あなたがこの沼にいると,水があふれ作物は育ちません。おらたちもとことん困り果てています。どうかお願いですから,しばらくの間,よそに移ってはいただけませんか。」

 その申し出に,大蛇は二つにさけた真っ赤な舌をヌーッと出しながら答えました。

 「この沼はもともとわしたち蛇のすみかだ。おまえたちの勝手な願いを聞くわけにはいかねぇ。ぐずぐすしているとひと飲みにしちまうぞ。」

 そう言うと,巨大な口をガバッとあけて村人をおどかしました。そして,にたりとしながらやがて沼の主はぶくぶくと水面に沈んでいきました。すっかりその場に腰をぬかしてしまったた村人たちは,すごすごと村にもどりました。
 ちょうどその頃,この飯沼べりを通りかかる一人のお坊さんがおりました。名を正進法印(しょうしんほういん)といいました。村人の話を聞いたお坊さんは両手を合わせて,静かにこう告げました。

 「みなさんの願いは,たしかに聞きとどけました。わたしにまかせなさい。」

 そういうと,ふところから取り出した水晶の玉に十と書きつけ,「大蛇よ,この沼から今すぐ立ち去れ。そして十年すぎるまでもどってはならぬ。」そう大声でさけびながら,水晶玉を沼めがけてぽーんと投げ入れました。そのとたん,それまで静かにないでいた水面はにわかに波立ち,とつぜんもがき苦しむ大蛇が姿を現しました。

 「うぬー,くちおしい。じゃがしかたがない。わしはこれから銚子の海へと逃れよう。だが村人よ,十年経ったら必ずこの飯沼にもどってくるからな。これが誓いの証文だ。」


そう言い捨ててその姿を隠したあとには,なんと大蛇が書いた一枚の証文が残っていました。
とりあえずその場はほっと胸をなでおろした村人たちでしたが,またたくまに十年の月日は流れすぎました。そしてとうとう十年目のその日がやってきました。
 約束通り,大蛇はひゅーひゅーと不気味なうなり声を出しながら,飯沼に近づいてきました。

「村人よ,約束した十年が過ぎたぞ。よくも十年もの長い間,わしを銚子の海へ追い出したな。」

 息をあらげて怒る大蛇に向かって,村人はこう答えました。

 「大蛇よ,おまえが残したこの証文をよく見てみろ。おまえは千年の間,この飯沼にはもどってこない約束のはずだぞ。」

 村人がそう言って差し出した証文には,間違いなく千年と書きしるしてありました。そうです。この日を心配した村人の誰かが,いつの間にか十の上にノの字を書き加えていたのです。それをみた大蛇がくやしがるのなんの。

 「うぬー。ひきょうものめー。十年という約束を千年にしおって。しかし,わしはかならず千年後に,この沼にもどってくるからな。おぼえておれよ。」

 そうくやしげに大蛇は言い残すと,再び銚子の海へと帰っていきました。そのおかげで飯沼にはまた平和がおとずれました。しかし,大蛇の怨念は深く,その後,飯沼べりの村人が銚子の海に出かけると,きまって海が荒れたと言うことです。

 今は広々とした水田に生まれ変わった飯沼には,こんな伝説が残されているのです。

                            原話 中村ときを著『筑西風土記』,定本『日本の民話6』より