万病の神「ぶんご様」

 松本の畑の真ん中には,そこだけこんもりとしたお社の森があります。ここは昔から地元の人々に「豊後神社の鎮守の森豊後(ぶんご)様」と呼ばれている神社です。豊後様には不思議な言い伝えが残されています。

 江戸時代,この松本村に婦人病をわずらった豊子(とよこ)という女の旅人が,今にも行き倒れ寸前でたどりつきました。やがて彼女は腰まで土の中に埋まり,必死に病を治そうとしました。村人はこの哀れな様子に同情して,毎日朝な夕なに食べ物を運びました。

 しかし,その甲斐もなく,まもなく豊子は静かに息を引き取りました。豊子は臨終の瀬戸際にあつまった村人に向かってこう言い残しました。

 「村のみなさん,今までありがとうございました。私はまもなくこの世を去りますが,お世話になったお礼に,死んだ後,女の病を治してあげましょう。」そう約束して静かに目を閉じました。
 
 村人は豊子の死後,その哀れな生涯をとむらうために「豊子神社」と名付けた小さな祠を建てました。この豊子神社はいつしか「豊後神社」と変えられ,読み方も「ぶんご」と変わりました。今では村人からは親しみをこめて「ぶんご様」と呼ばれています。
 
 いつの頃からか「ぶんご様」は万病に効く神社として猿島や三和などの近在の村々に伝えられ,女だけでなく男たちも大勢お参りするようになりました。戦前まで毎月12日の縁日にはたくさんの屋台がならび,そばの「ぶんご湯」という水ぶろにつかる習わしもあったと言うことです。

ぶんご様の祠
 畑の真ん中にぽつんとたたずむ鎮守の森には,小さな朱の鳥居がのぞいています。鳥居から祠までの両側10メートルには,お礼参りに供えられたという茶焙(ちゃほうじ)が1メートルほどもうず高く積み上げられています。土地の人々が「ちゃほじ」と呼んでいる茶焙は,番茶を火にかけてあぶる素焼きの平らな陶器で,焙烙(ほうろく)の一種です。以前は茶のほかに豆やもち、ごまなどなどもフライパン代わりにこれでいためておりました。いわば焙烙は台所に無くてはならないものだったのです。この焙烙を「病を焼き切る」という意味合いで,いつの頃からかぶんご様に供えるようになったのです。
 
 こうして境内には素焼きの茶焙がささげられ,今でも婦人病や子宝の神様として,近在の人々から信仰を集めています。