4日目


 朝7時に起床。今日もホテルのレストランで朝食。
 会議場に行く途中のコンビニで、洗濯物を紙袋にまとめた物を自分宛の宅配便として出す。
 会場にて午前中の発表を聴講。疲れが出てきたのか、興味のない講演は少々寝ていました。また同じメンバーで昼食へ。
 ホテルの近くに在ったちょっとしゃれたレストランへ。結構繁盛しているのか、「お二階へどうぞ」と言われて階段を上ると細長い部屋に到着。部屋の一方は長いカウンターが設置されているので変だなぁ、夜はバーでもやっているのかなと思っていたら、そこに女子大生の集団が。「カラオケお願いしたいんですけど……」、っておいおい、ここはカラオケハウスの受け付けホールじゃないか(笑)。でも、お店の人は気にせずにランチメニューを運んできます。
 980円の定食で刺身や茶碗蒸し、ステーキなど、結構盛りだくさん。全部で11品目有りました。まぁ、美味しいから、ロケーションがちょっと変なことは、我慢。
 満腹になって眠いおなかをさすりつつ午後の発表を聴講。ちょっとばかり記憶がとぎれていました。うーん。
 夜は、同期のY君が福岡の実家から調達してくれた車でドライブに出かけました。車は玄界灘を北に臨みながら海沿いの国道199号線を西へ向かいます。目指すは関門橋のたもと、古城山です。
 玄界灘は宮本武蔵と佐々木小次郎が対決した巌流島が在る所。対岸は下関の街の灯りを背に受けて、小さな島が浮かび上がります。様々なドラマや書物で巌流島という名前を聞いてきましたが、実物を見るのはこれが初めてでした。
 30分程ドライブすると門司港駅前に到着。関門トンネルが無かった頃は、門司港が九州の玄関口で、ここから本州の下関に向けて連絡船が出ていたそうです。門司港が九州の玄関口として栄えていたのでしょう。あちらこちらに古い建築物が並んでいました。その街並みを通過して、車は細い道を上がっていきます。
 麓から5分ほど上がっていくと、古城山の頂上にある「めかり公園」に到着しました。ここから見る玄界灘、北九州市内、そして関門橋と下関市内の眺めは格別です。特に関門橋を走り抜ける車の列と下関市街の眺めは絶景です。しばし、初夏の夜風に吹かれながら、下界の夜景を楽しみました。
 その後、国道3号線を西に向かい、途中のファミレスで食事。ファミレスとは言っても魚市場から直送の魚を使ったというのが売りだそうで、確かに刺身は美味。海老やイカの天ぷらもホクホクして身がしまっていました。
 その後、カラオケで北九州最後の夜を楽しみました。



5日目


 前日の疲れもあって、起床はいつもより30分遅い8時。相変わらずホテルのレストランで朝食。荷物を整理して学会会場へ。
 最後の気力を振り絞り、正午まで聴講。これで今回の仕事は終了です。
 この後、鳥取にいる友人のM氏に会いに行く予定になっています。待ち合わせ時間は午後9時。この日は土曜日だったのですが、M氏は塾講師なので、仕事が入っているのでした。
 新幹線を使うとかなり早い時間に到着してしまいます。結局、どうしても「在来線の関門トンネルを通過したい」と言う欲求に勝てず、小倉から新下関まで普通電車で移動することにしました。
 となると昼食は駅弁です。駅の売店でしばらく悩んだ後、「レトロ浪漫弁当」を購入しました。
 小倉12:48発下関行きの普通電車(5540M)に乗り込みました。ステンレスのボディーに水色のラインが1本入っている車体です。関門トンネルは壁から海水がしみ出す為、ステンレス製の車体しか通過できないことになっています。この列車もそう言うわけで、ステンレスボディーになっていました。
 隣駅の門司駅から関門トンネルへ進入。とは言っても、ただの長いトンネルでした。
 自動車道の関門トンネルは、関門橋とほぼ同位置を通っているのですが、在来線は全く違う位置を通っています。これは山陰本線が下関の市の中心部を通るためだと思われます。やはり、鉄道は生活の中心だからでしょうね。
 下関で13:20発広島行きの普通電車(552M)に乗り換え新下関へ。山陰本線もこの辺りでは昼間の列車は1時間に1〜2本程度しか走っていません。
 車内は非常にのどかです。土曜日の昼過ぎと言うことで、列車の中は、下校途中の学生が2、3人のグループになってボックスシートに座り、思い思いの格好で歓談していました。それでも空いている席が目立ちます。
 列車内で、先に購入した「レトロ浪漫弁当」を広げました。このお弁当、結構豪勢です。ご飯がわかめ御飯、うにめし等、4種類。それに表面にウニを塗った烏賊のうに焼き、蟹爪団子、春雨とワカメのサラダなど、様々な味が楽しめる幕の内弁当でした。
 列車は、30分ほどで新下関駅に到着。ここで新下関14:01発新大阪行きの「こだま」380号に乗り換えて岡山へ向かいます。山陽新幹線の駅は在来線と関係のない位置に駅があることが多いようですね。山間にぽつんとある新尾道の駅を見てそんなことを思いました。
 一眠りしている間に、列車は岡山駅に到着。
 この時点で、鳥取行きの列車が出発するまで2時間程暇が有りました。どうしようかと駅のコンコースで時刻表を眺めて見ましたが、瀬戸大橋を往復するには時間が足りない、そうかと言って喫茶店で時間をつぶすのはもったいない。
 考えているのももったいないので、取りあえず改札を抜けて駅前に出ました。
 有りました、丁度良い暇つぶしが!路面電車です。すぐさま目に留まった路面電車に乗って、終点東山まで列車に揺られて行きました。
 路面電車に乗って気が付いたのですが、岡山はものすごく街が綺麗で、しかも情緒豊かなんですね。ものすごく懐かしい街並み。決して街が古くさいとか、さびれているのと言うのではなく、活気が有って、人と車の流れが途切れることなく、でも高いビルが少なくて広い道路から空がよく見渡せる、そんなどこかで見た懐かしい光景が路面電車の車窓を流れていきます。
 今度来るときは岡山城や後楽園等、名所をまわってみたいですね。路面電車に揺られて。
 路面電車の中で、幼稚園ぐらいの男の子と、その子の家の近所に住むであろう女子学生の会話が微笑ましくて、聞いている自分も楽しくなりました。
 その女子学生は就職活動中らしいのですが、なかなか就職先が見つからないようです。やっぱり不景気なのかな、と思いました。がんばれ!
 終点東山に到着。停留所の脇にある路面電車の車庫を覗いてワクワクした後、再度駅まで。まだまだ時間が余っていたので駅前の書店巡りをして「僕のかわいい上司様(2巻)」を購入。
 そろそろ出発時間なので、岡山駅に戻り、夕食としてままかりの酢漬けが入った幕の内弁当を購入。
 岡山駅からは18:23発鳥取行きの急行「砂丘」8号に乗車。のんびり夕暮れのローカル線を楽しもうと思ったら、テニス試合帰りの高校生に車両の半分を占拠されてしまい、すっかり修学旅行列車になってしまいました。
 やがて急行はディーゼルエンジンの音も高らかに岡山駅を出発。好きなんだな、ディーゼルカーって。坂道に来たときにうなるエンジンの音が、いかにもがんばっているって感じがして。
 急行砂丘は津山線→姫新線→因美線の3路線を経由して鳥取に向かいます。津山線の福渡駅付近までは旭川沿いを蛇行しながら北上。旭川は1級河川。とうとうと流れる清流で、周辺は肥沃な田園風景が続きます。その割に、山が険しく迫るところもあって、中国山地がいかに高くそびえ、瀬戸内と山陰の気候を分けているのかが判りました。
 すれ違う普通列車はワンマンのディーゼルカーが1台だけ。ちょこまかと走っていて、ちょっと可愛い感じがします。
 福渡から支流の誕生川沿いを誕生寺駅付近まで北東に。この付近から田畑よりも山の風景が多くなってきます。誕生川は誕生寺駅辺りで消えて亀甲(かめのこう)から吉井川の支流にそって更に北東へ。
 「亀甲」と言うのも、なんだか、歴史を感じさせてくれる地名ですよね。この辺はその昔、大和勢力圏だったのでしょうか?亀甲を過ぎた頃にはとっぷり日も暮れてきました。
 暗くなるとおなかも空くもので、夕食の駅弁を広げました。バランスがとれていておいしかった。ままかりの酢漬けは岡山名物なので是非ご賞味下さい。このお弁当の唯一の欠点と言えば小鯛の甘辛揚げが生臭かった事かな?。
 吉井川を渡るとすぐに津山へ。ここは中国自動車道のインターもあり、結構開けた町でした。しかし、乗降客はほとんどなし。後で気が付いたのですが、乗客のほとんどが鳥取まで乗っていました。「砂丘」は岡山と鳥取を高速で結ぶ生活列車なのでしょう。
 津山駅と東津山駅のわずか一区間だけ姫新線を通り、今度は因美線を加茂川に沿って北東に向かいます。
 駅を通過するときに「かしゃーん!」と大きな音がするので、何だろうと思ってホームを見たらなにやら怪しいポールが立っています。もしやと思って次の駅で確認したら、なんと、タブレットを受け渡すためのポールでした。生まれて始めてタブレットを見ました。
 因幡社駅付近から鴨川が千代川に合流します。ここから川と一緒に鳥取へ北上。とうとうと流れる川の豊かな水量に支えられた田園が宵闇の中に広がっています。
 途中、郡家(こおげ)駅の手前でライトアップされたお城が見えたのですが、アレは一体?地図にも載っていませんでした。うーん、こんな所に巨大なラブホテルでもないし、不思議だ。
 そうこうしているうちに、町の灯りが見えてきました。もうすぐ鳥取市です。
 これまで車窓は殆ど真っ暗で何も見えなかったので、町の灯りが見えたときはちょっと安心しました。特にBOOK OFFの看板に。
 駅で友人M氏に出迎えてもらいました。取りあえず、M氏の職場である駅前の塾に顔を出して、仕事の後片づけが終わるのを待ちました。
 実はのっぴきならない事情でM氏は翌日も朝から仕事をする羽目に。と言うわけで、翌日の鳥取観光は延期となりました。取りあえず、翌日の寝台特急のチケットに乗車変更をかけて、朝から移動することに決定。
 まずはM氏の車で長距離バスターミナルに向かい、二十世紀梨ジュースを購入。これが怪しげな味で美味。それからファミレスに向かい、夜食を取りました。その後、鳥取砂丘、白兎神社へと軽いドライブ。と言っても夜も更けてきたので、日本海を眺める程度で終わりでした。
 鳥取市は千代川が運んできた土砂が堆積して出来た肥沃なと地の上に出来た街です。現在は県庁所在地としての行政都市で、大きな工場などはありません。街自体はゆったりとしていて、気持ちがよいです。
 その後、M氏の家で歓談。途中M氏の友人がやってきて盛り上がりつつも、移動の疲れが出てしまい、私は途中でダウンしてしまいました。残念。



6日目


 翌日はM氏のお母さんが朝食を用意していただきました。久々に美味しい朝食。その後、M氏に駅まで車で送ってもらいました
 列車を待つ間、鳥取駅の売店でおみやげに梨のワインを購入。2本も購入すると重い(笑)。
 鳥取9:08発浜坂行き普通電車(528D)、そして浜坂10:00発城崎行き普通電車(166D)と乗り継いで城崎へ移動します。
 初めて山陰本線を使ったけれど、海沿いに走っているわけではないのですね。鳥取と城崎の間は海に向かって険しい山が迫っていてその間に田園が広がっていました。
 田植えの時期だけに、どこの田圃も稲でいっぱい。赤土で、肥沃な土地のようですが、山肌を見ると砂岩が多いようです。
 途中、昔突風で列車が落下したことで有名な餘部(あまるべ)鉄橋を通過しました。確かに高い……。ゆっくりと通過する列車から見下ろしたけど、下手な遊園地のアトラクションより恐怖感があります。
 視線を上げていくと、エメラルドグリーンの海が広がっています。思わず列車の高さを忘れてしまいます。今度訪ねてみたい、泳いでみたい海でした。
 餘部を過ぎるとまた山の中。次の駅は鎧(よろい)駅。このいかつい名前は、もしかしたら神話の時代についた物かも知れないとふと思う。と言うのも、出雲神話で有名なヤマタノオロチはもともと「あまた(沢山)のオロチ(越の人)」を意味し、稲作の収穫時季に越(能登半島周辺)の人(もしくはそれを支配する高句麗人)が豊かな出雲地方にやってきて、略奪していく様を比喩した物だと言う説があるとか。そう考えると、丁度この辺りは戦場になったとも理解できて、古代の歴史を感じさせる地名です。
 次の駅は香住。この付近は香住町と言って「ふたりっ子」のロケ地の1つだったそうです。看板がそこここに立っていました。
 山陰本線が海から離れてしばらく行くと、城崎駅に到着。ここで普通列車の旅は終了です。城崎……はて?、どこかで聞いたことが有るなと思ったら、島村藤村や与謝野晶子の作品で有名な町でした。
 特急列車の発車時間まで30分程の余裕があったので、途中下車して街をぶらぶらする事に。日曜日の朝と言うこともあって、城崎駅前は人通りも少なく、ゆったりとした雰囲気が流れています。基本的に温泉街なんですね。街並みもレトロ調で懐かしい雰囲気です。土産物屋の魚屋さんの軒先に生きの良い魚が並んでいました。
 城崎からは11:38発の特急「城崎」6号で京都へ一直線!城崎から先は電化されているので速い。福知山までは雑誌を読んでいたのでほとんど記憶が有りません。
 京都の手前、保津川の嵐山近くに山陰本線と平行するトロッコ列車を発見。どうもトロッコ列車で川上へ行って、保津川下りの舟で元の嵯峨野へ戻ってるくみたいです。今度京都に行った際には試してみようと思います。
 京都に到着。ここで「葛城」と言う名の柿の葉寿司を昼食用に購入し、すぐに「のぞみ」14号に乗り込みました。早速お弁当を広げます。これが山菜の巻きずしがおいしくて……。疲れているときには酢飯がおいしいのですが、その中でも柿の葉寿司は海の物、山の物が楽しめるお寿司でした。
 さすがに疲れが出たのか、名古屋から先はほとんど寝ていました。
 小田原を抜けたあたりで足下に謎の物体がうずくまっているのに気が付いて目が覚めました。なんかフワフワのモコモコが……。なんと、ポメラニアンがうずくまっている!一緒に遊んでいたら、前の席に座っている女性の飼い犬と判明。しばらく犬の話などをしているうちに東京駅に到着。
 結局ずいぶんと座った姿勢で居たこともあって、家に帰ると疲れがどっと出て翌日の昼まで爆睡してしまいました。


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