2章
理由
1989年10月13日午後12時49分。
新しい命。
そのときは、ただひたすらに生き
ていた。
何も考えず、生きていた。
僕が始めにしゃべった言葉、それはパパやママではな
かったそうだ。
それで両親、結構ショックだったらしい。
僕が始めにしゃ
べった言葉。
それは、「ポチ」だったそうだ。
犬の名前を始めてしゃべった
らしい。
その時点でもう、普通の人間ではなかったようだ。
5歳。
もう
究極と言っても過言ではないくらいに、自分勝手だったらしい。
B型だから仕方
ない、これから良くなると親もさして気にはしていなかった。
そして1年経ち小
学生。
自己中心的なのは、ちっとも変わっていなかった。
7歳になったとき
には、だんだんと嫌われつつあった。
僕は、鬼ごっこで鬼になるとすぐ、家へ
帰った。
運動神経が悪いので、だれも捕まえることができなかったのだ。
つ
まらなかった。
でも、努力はしなかった。
いつになっても家へ帰ることしか
しなかった。
小さい頃から兄の影響を受けてゲームばかりしていた。
だか
ら、運動は出来ない。
これを言い訳にしていた。
4年生になった。
鬼ごっこもちょっとは出来るようになったけど、もうたいてい
はゲームしかしなかった。
友達と遊ぶときは、ゲームばかりだった。
1年
後、ゲーマーと呼ばれるようになった。
ゲーマー。
ゲームマニアのことだ。
よく考えると、小さい頃から外で遊んでいたらこんな風には呼ばれなかったし、
友達だってもっとできていたはずだ。
この時点で、間違いだった。
いや、
もっと小さい頃の時点で間違いだった。
自分の自己中さはあまり変わっていな
かった。
でも、友達には極力やさしく接した。
おかげで友達の数も増やすこ
とが出来た。
中学生になった。
この時が1番幸せだったかもしれない。
1,2年の頃が1
番、、、
3年は地獄だった。
友達が学校へ来なくなった。
僕も変わっていった。
僕は女性というものを好きになった。
特定の人物ではなく、女性全体を。
女
性というものは、小学生の頃から好きでした。
ある日、友達と公園に遊びに行く
と、いわゆる「大人の雑誌」が捨ててありました。
僕はその時、いわゆる性欲が
出てきて抑えられないくらいになりました。
その時、犬の散歩をしていた人がそ
の「大人の雑誌」を少し見て通り過ぎました。
僕はとりあえず自分の今の気持ち
を隠すためそのおじさんを「変態やん」と言っておりました。
でも、僕のその性
欲は抑えられず、友達と帰ることになったとき、
その「大人の雑誌」を見るため
に「腹が痛いので公園のトイレへ行く」、と偽り性欲を満たすことにしたのです。
その女性は別に誰でもよく、裸ならば良いのでした。
中学三年生。
小学校とはちがい、女性と話すようになりました。
これが嬉し
くてもうとにかく女性にかまって欲しいという気持ちが強くなりました。
小学校
の時とはちがう「好き」という気持ちが生まれました。
そして、女性にかまって
もらうため自分を
「キモイ」などとののしり、
「死にたい」と言って同情を
売っていました。
そんなとき、特別に気になる女性が出来ました。
そうなる
ともう、こっちを向いてもらうため例の同情を売る行為を毎日やり、
とにかく話
そうと努力するのでした。
でも、彼女には他に好きな人がいるとわかりました。
そして、友達と両想いということもわかりました。
僕は、このまま見守れば
良いのに友達に、「なんかもやもやするから早く告って」と言うのでした。
自分
はキモイ。
付き合うなんて無理だ。
そう思ったのでした。
自分で嫌われ
るのはわかっていました。
でも、僕はその性格を直すことはしませんでした。
友達の冷たい視線。
気づいていました。
この後夏休みがありました。
夏休みが終わっても僕は女性に同情を売り、
自分をののしり、
女性と話
すために一生懸命でした。
そんな下心がある僕がいつまでも好かれているはずが
ありません。
特に男子にまで同情を売るようになると完全に冷たい目で見られだ
んだんと嫌われていくのでした。
そのうちに僕は、完全に
嫌われました。
人とは話さないと心に決めました。
「死にたい」とまで言っていたのに、こ
んなに嫌われ絶望的になってもまだ生きていこうと心に思っているのです。
嫌わ
れ、誰ともしゃべらなくなり中学生は終わりました。
それと同時に僕も一生を終
えました。
逃げ。
それは逃げでした。
人。
生活。
社会。
人
生。
人が生きている限り接さないといけないものすべてが恐かった。
そして
僕は逃げたのです。
僕は臆病者です。