| BETRAYER-2 Written by Emurus |
いつもなら聞こえてくる、母の「おかえり」の声はなかった。
何かあったに違いない。そう思った。
コウキの家族は全員警戒心が人一倍強く、
鍵を開けたままになど何があってもしない。
しかし鍵は開いていた。
靴の数を数えた。・・・いつも通りだ。
コウキはほっとして靴を脱いで家に上がった。
「まぁこんな時もあるだろ。」
次の瞬間、事態は一変した。
「逃げなさいコウキ!」
突然透明なドアのガラスに赤い液体が飛び散る。
頭の中が一気に真っ白になり、足は震え、
非汗が体中から一気に噴出す。
気を保つのが精一杯だ。
体が動かない。
リビングから分けの分からない外国語が聞こえる。
逃げないと殺されるに違いない。
どこか遠くへ。できるだけあのドアから離れたい。
体が動かない。
二階から男が降りてきた。
がっしりした体系で、海斗でも敵うか分からない。
強い口調でこっちに話しかけてきた。
当然話している意味は分からない。
髪の毛をつかまれた。
引っ張ったままリビングへ連れて行かれる。
あの赤いドアの向こうへ・・・。
コウキは目を閉じた。
誰にも開けられないぐらい強く、強く・・・。
靴下が液体で染みていくのが分かる。
血のにおいがする。
母の気配が遠くなっていく。
言葉では表せない恐怖や怒りが交じり合った感情が体の中を走る。
抵抗しようとしたが、すぐ抑えられてしまう。
叫ぼうとしたが口を布でふさがれてしまった。
コウキは隣の和室へと放り込まれ、4人の男に囲まれた。
ガムテープで手足を拘束され、注射を打たれた。
頭上で謎の言葉が聞こえる。意識が遠くなっていく。
頭がクラクラする。
「しゃがめ。」
声が聞こえる。反射的にそれに従う。
が、その前に足がふらついて床に倒れた。
銃声が響く。
薄れる意識の中、目を開けた。
4人とも倒れている。頭から血を流して。
両手に銃を持ったサングラスの男が戸の前に立っている。
目の前は白で埋め尽くされた。
顔に光があたっているのを感じる。
無数の足音が聞こえる。
そこらじゅうから聞こえる人々の声。
体の内側から熱が湧き上がる。
コウキは目を開けた。
「名古屋だ。コウキとか言ったな。顔は親父に似てるが度胸のねぇ奴だな。」
あの男だ。自分の横に立ってタバコを吸っている。サングラスは外していた。
顔から見て30代半ば。スーツを着てサラリーマン姿になっている。
コウキはすっと腰を上げ、男のタバコを地面に投げ捨て、踏み潰した。
そして突然いつも携帯しているサバイバルナイフを取り出し、男の首に押し付けた。
「・・・あんた誰だ。」
コウキの声は震えていた。相手は多分自分に危害は加えないだろうが、油断はできない。
男は冷静だった。
「森下だ。お前の親父には世話になってる。」
「オレの家に何があった。あいつらは何だ!母さんはどうした!!」
さらにナイフを押し付けた。しかし驚いたことに、森下という男はにやにやと笑っていた。
「お前の母ちゃんは無事だ。俺が応急処置をして仲間が引き取った。
その前に落ち着け。気が動転してる。本気で俺を殺す気か?できるかどうかは別としてな。」
周りを見た。野次馬がこっちを見ている。
振り返った。男は消えている。
ナイフの刃の先には封筒が刺さっていた。
「時間がない。逃げるぞ。奴等にほとんど包囲された。」
前を振り向くと、森下が背を向けて立っていた。
「ついて来い。俺から1m以上離れるな。今お前を殺してェ奴等がそこらじゅうで待機している。
人数は約30人。そこのベンチに座って新聞読んでる奴と自動販売機の前の2人組みに気をつけろ。
600m先の黒のスポーツカーに乗る。健闘を祈る。」
コウキは黙ってうなずき、歩き始めた。
何が起こっているんだ。俺が何か悪いことをしたのか。
何か殺されるようなことをしたのか。
突然、男が銃を取り出した。
周りを見渡した。コウキにはすべてが危険に感じられた。
男が銃の引き金を引く。・・・銃弾は近くのゴミ箱に当たった。
「10秒後に走る。はぐれるなよ。」
しかし何も起こらない。銃声を聞いた周りの人々が頭を手で覆ってしゃがみこんだ。
周りが一瞬にして静かになった。
全神経を次の行動への思考に繋げる。
もうコウキの目にはゴミ箱しか映っていない。
カウントダウン。
・・・5・・・
・・・4・・・
・・・3・・・
・・・2・・・
・・・1
ゴミ箱が爆発。
近くにいた通行人、車、自転車、電話ボックスなど全てが吹っ飛ぶ。
叫び声。逃げ回る人々。周りは一瞬にして混乱の渦へと巻き込まれる。
同時に森下がコウキの腕をつかみ、走り始めた。
爆発音で鼓膜が破れそうだ。耳を押さえながら後ろを見た。
・・・ベンチと自動販売機の前にいた奴等が消えている。
「しゃがめ!」
森下が急に後ろを向き銃を構えた。
コウキがしゃがみこむとほぼ同時に発射。
後ろを振り向いたときにはもう5人が倒れ、手からはナイフや銃、
スタンガンなど映画でしか見たことのないような武器が滑り落ちていた。
腕を捕まれ、また走り出す。
まるで台風の中を突っ切るような気分だ。
とにかく走った。息がつまりそうになっても止まらずに走り続けた。
黒いスポーツカーが見えた。やっと安心かと思われたが、甘かった。
周りにいた民間人と思っていた連中が全員ナイフや銃を取り出し、コウキと森下を囲んだ。
・・・罠だ。完璧にはまった。
スポーツカーに乗っていた運転手と思われる人の頭からは血が流れていた。
周りの連中がこっちに不気味な笑みをなげかけてくる。
もう駄目だ、とコウキは悟ったが、森下の反応は正反対だった。
笑いをこらえて震えている。
コウキは人生の中で一番不気味なものを見た気がした。
突然、森下がコウキをはり倒した。
コウキは起き上がろうとしたが、すぐにやめた。
「ヒャハハハハハハハハハハハ!」
森下の高笑いだ。
奴はいつのまにか両手にマシンガンを取り出し、回転しながら連射している。
コウキは味方であろう森下に対して、恐怖を覚えた。
コウキは耳を押さえて小さくしゃがみこんだ。
早く終われ・・・。
コウキの願いとは裏腹に全てがスローモーションのように感じられた。
耳の中へ小さな隙間から入ってくる悲鳴。
早く終われ・・・。
早く終わってくれ。
早く・・早く・・・早く・・・。
気がつくと破裂音の連続は終わり、死体から森下が車のキーを取り出していた。
「空港へ向かう。メキシコへ飛ぶ。」
もうコウキは質問をする気力もなかった。
地獄からたった今戻ってきたようなコウキの足取りは、重かった。