私の愛車 1 

私のクルマは1967年式のHONDA AS800リジットタイプのオープン、色は黄色です。

購入動機はドライバー誌に載っていたホンダS800の特集を見てから、あのスタイルとDOHCのエンジンにしびれてどうしても欲しくなり、1977年環8沿いの店で最後の2年車検付で購入しました。購入時はほとんどオリジナルでした。当時学生の身で車の維持は大変でしたが、Sの調子が良いので大きな故障もなくメンテナンスにたいする出費はありませんでした。セルモーターの故障、ライトをハロゲンに変えたため配線のショート位です。只、Sを所有している誰もがするようにパーツリストを購入して、ホンダのSFにバイトのお金がたまると部品を発注していました。20年前ですがオプション部品はほとんど手にはいった気がします。メンテは近くの修理工場にお願いしていましたが、簡単なものは自分でやりました。まだ、ジャッキー、ガレージイワサなどのショップがなかった頃と思います。

あの頃はショックをコニーに変えライトをマーシャル、セミトランジスターの取り付け位の改造?しかしていませんでした。しかし、一度ツインカムクラブのミーティングに東京駅の八重洲口前のホンダに行った時黒いS6にCRキャブを付けている方がいたり驚いてしまいました。

卒業後、地元千葉の会社に就職しました。入社10日目に名古屋に配属になり当分Sと離れることになりました。当時からSのオーナーの間では評判の名岐オートで1度見てもらいたくなり、半年位して千葉から持って来ました。車検をお願いしたところ、いろいろおかしいところを直してもらい。また、フロントをディスクブレーキに改造してSは絶好調になりました。

Sの調子が良くなった為、エンジンを回し過ぎたのかガスケットが抜けてしまいました。修理の際、62mmのN360用のピストンを進められ845ccの排気量にしました。トルクも上がり加速も良くなりました。                              

※ホンダスポーツのことを通称S(エス)と呼んでおります。

 

私の愛車 2

名古屋の名岐オートでボアアップをしてもらい、Sは絶好調でした。しかし、突然辞令がおり大阪に転勤になりました。もちろん、Sはつれていきました。当時仕事が忙しいのと、毎晩のようにミナミの街で飲んでいたのでSはにはそれほど手をかけませんでした。

大阪でSをさわったのは、マーシャルのヘッドライトがハロゲンの為1度つけたリレーが焼けでしまい、ボッシュのリレーを会社のラジコンサービスをやっている友人につけてもらいました。あと、シートが破けてしまい名岐オートのバケットタイプのものに変えました。タイヤも当時出始めた偏平率60のBSの310ターボの185mmをつけました。ステアリングはすこし重くなりましたが、フェンダーなどにはほとんど干渉しませんでした。ホイールも中古のピックライトをつけました。ステアリングはナルデイのスポーツタイプをつけました。

時折、奈良、神戸などに会社の人達とツーリング(CBX400もいっしょに走ることがありました)にもいきましたが、当時、シティターボが発売され即購入したやつがおり。sとシグナルグランプリをやりました、ターボがきくまではSのほうが先行するのですがやはり排気量の差で負けてしまいました。

あるとき高速を走っているとき180km/h?位だしたとき、マフラーから白煙が出てエンジンブローをしてしまいました。結局、名岐オートでノーマルの791ccに直してもらいました。

                               

私の愛車 3

大阪でエンジンをノーマルにもどしてから乗る機会がすくなくなり、結婚もし新婚当時はとくに文句はいわれなかったのですが、子供ができ産気づいたときSでは病院までいけないといわれ悩んだあげくセダンを買うことにしました。Sは実家の千葉の車庫に眠ることになりました。子供がうまれ1年たち川崎に転勤になりました。数年して廃車にしていたのを再び車検をとることにしました。廃車から再びナンバーをとる時に抹消証明書を紛失してしまい。陸運局にいきなくしたいきさつなど、覚え書きのようなものを書きなんとかナンバーをとれました。       

それから、川崎のマンションで屋根がついた駐車場がありそこで再びSをさわることにしました。まず、ショックをコニーに替え(当時はまだ色は赤でした。)ツインカムクラブの部品をアルミホイールからアッパーアームブラケット、フルトラなどをつけました。名岐オートからはシングルロールバー、ステンレスマフラー、トノカバーを取り付け、これをすべてをマンションの駐車場でやっていたので住人からは変な目でみられました。(子供が大家さんに車がばらばらになつているけど大丈夫?と言われたとか)この頃はバブルがはじけ始めたころでまだ部品は入ってきました。しかし、ものによっては粗悪品が多く使いものにならないものもありました。この頃、部品の個人売買で知り合ったS氏が色々と情報をくれるようになり、資料もたまってきました。その後S氏は1台のチェーンタイプの800からいまでは4〜5台所有するようになりました。只ゝ感心するばかりです。こんど機会があれば写真を載せたいと思っています。

私のSはキャブレターの調子が悪く、自分で分解しパッキンなど交換したのですがオーバーホールしたあとは調子がよくなるのですがすこしたつと吹き上がりが悪くなってしまいます。しかたがないので、九州の田島さんがS用のFCRを発売すると聞いて前金を払い半年くらい待ちようやく手にいれました。FCRをつけた印象はCVにくらべて微妙なアクセルワークが必要かなと思うくらいで調子は非常にいいです。週末はSを修理することが多い時期でした。                                   つづく

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