演奏 | レスリー・ハワード |
タイトル | 『リスト ピアノ独奏曲全集 VOL.50 リスト・アット・ジ・オペラ V』 |
データ |
1996/1997年録音 HYPERION CDA67231/2 2枚組 |
ジャケット | ジョン・コリアー 『チェーザレ・ボルジアのワイン』 |
収録曲 |
≪DISC 1≫
1.マイアベーア〜リスト ユグノー教徒の回想 第1バージョン S412 2.オベール〜リスト ”許婚”のティロリエンヌによる大幻想曲 第3バージョン S385 3.ワーグナー〜リスト ”タンホイザー”より ワルトブルク城への客人の入場 S445 4.オベール〜リスト ”ポルティチの唖娘”のタランテラによる華麗なるタランテラ 第1バージョン S386 5.アレヴィ〜リスト ユダヤ女の回想 S409 ≪DISC 2≫ 1.パチーニ〜リスト ニオベのテーマによる大幻想曲 S419 2.ワーグナー〜リスト ”ローエングリン”より 祝祭劇と祝婚歌 第1バージョン S446 3.ベリーニ〜リスト ”夢遊病の女”のモティーフ・ファヴォリスによる幻想曲 第2バージョン S393 4.ロッシーニ〜リスト ウィリアム・テル序曲 S552 5.ドニゼッティ〜リスト ”ルクレチア・ボルジア”のモティーフによる幻想曲 S399 (”ルクレツィア・ボルジアの回想”の第1バージョン) |
感想 | ≪DISC.1≫ |
1.マイアベーア〜リスト ユグノー教徒の回想 第1バージョン S412 1836年 |
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オペラ“ユグノー教徒”は1572年の聖バルテルミの虐殺を舞台とした作品です。1836年に初演されました。ということはリストの編曲は初演と同年となります。
“ユグノー教徒の回想”のオリジナルバージョンです。最終稿になるとリストによって大幅に曲がカットされ短くなります。第1バージョンはハワードの演奏で24分近くに及びます。曲の全体はオペラから、ラオルとバレンティンの叙情的な2重唱のアンダンテ O ciel! ou courez-vous? の主題に基づきます。(23分44秒) |
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2.オベール〜リスト “許婚”のティロリエンヌによる大幻想曲 第3バージョン S385 1842年 |
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第1バージョンは1829年作で、同年のオペラの主題に基づきます。リストは1839年に改訂し、1842年にさらに再版しました。変更はほとんどなく第2バージョンと変わりません。作品の全体は、オペラ第2幕からのテノールのアリアに基づいています。(11分41秒) |
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3.ワーグナー〜リスト ”タンホイザー”よりワルトブルク城への客人の入場 第1バージョン S445 1852/1875年 |
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“タンホイザー”の作曲年は1843年〜45年。この1845年時点でドレスデンで初演されました。改訂が47年までに行われます。1861年パリでの初演に向けパリ版が60年〜61年に作曲され。最終版は65年となります。この行進曲は有名なワルトブルク城での歌合戦に際し、客人が入場してくるときの行進曲です。オペラの第2幕第4場です。 第2バージョンはVOL.30に収められています。(12分1秒) |
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4.オベール〜リスト ”ポルティチの唖娘”のタランテラによる華麗なるタランテラ 第1バージョン S386 1846年 |
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“ポルティチの唖娘”は1828年初演。1647年7月7日にナポリで魚小売商のT・A・マザニエッロがスペインに対して起こした一揆を題材にしたオペラです。フランス7月王政期に人気を博したグランド・オペラの頂点とも言われます。 この第1バージョンはマリー・プレイエルのために作曲されました。リストは第3幕の間奏曲を導入部と変奏に、第4幕の“勝利の合唱”をコーダに使用しています。この作品は1869年に、リスト晩年の弟子ゾフィー・メンターのために改訂されますが、そのバージョンはVOL.42に収められています。(10分38秒) |
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5.アレヴィ〜リスト ユダヤの女の回想 S409 1835年 | |
ジャック・アレヴィ(1799−1862)はリストと同時代の作曲家です。オペラ“ユダヤの女”はアレヴィの代表作で1835年に初演されました。これも初演と同年の編曲です。 第3幕と第5幕の主題を使用しています。壮大なイントロダクションの後、沸き上がるように曲の中核へ進んでいく感じは、リストのオペラ・トランスクリプションの特徴でしょうか。曲の後半で印象的な旋律が聴けます。この作品は1842年に改訂されます。(14分28秒) |
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≪DISC.2≫ | |
1.パチーニ〜リスト ニオベのテーマによる大幻想曲 S419 1835/36年 | |
ジョヴァンニ・パチーニ(1796−1867)はイタリアの、主にオペラ作品を書いた作曲家です。その作品はほとんど忘れられていますが、80以上のオペラを作りました。面白いことに1863年、ダンテ生誕600年にあたり“ダンテ交響曲”なるものを作曲しています。 この曲は、ニオベのカヴァティーナ“高鳴る胸を”を使用しています。メイヤーのCDでは“幻想曲”ではなく、“ディベルティスマン”というタイトルが与えられています。威勢のいい行進曲風のテーマに、豪華な装飾がされた作品です。導入部の迫力は群を抜いています。 この曲は数あるオペラ・トランスクリプションの中でも、タールベルクとのピアノ演奏対決の時にリストが演奏したことで有名となっています。 リストとタールベルク、どちらが優れたピアニストか?という議論は当時のフランスで非常な話題となっていました。まずマスコミ上で両陣営の言い合いがあり、リストを支持する側でショパンも発言しています。1837年3月に入ると、タールベルク、リストがそれぞれ単独で開いたリサイタルは結果的にホールの収容人数を競うことになります。 そして1837年3月31日ついにクリスティーナ・ベルジョイオーソ侯爵夫人のサロンで弾き比べが実現されることになります。タールベルクが先に“ロッシーニの“モーゼ”の主題による幻想曲 作品33”を演奏し、その後にリストが“ニオベのテーマによる大幻想曲”を演奏しました。評決は曖昧なもので、“タールベルクはピアノの第一人者、リストは世界でただひとりのピアニスト”とのこと。すべてが最高級のエンターテインメントです。 ベルジョイオーソ侯爵夫人は、イタリアの熱心な愛国主義者として知られています。彼女の隣には常にカルボナリ党員が付いていました。彼女は1830年にパリにやってきて、パリで彼女が催すサロンは最も有名なものとなりました。ベルジョイオーソ侯爵夫人はリストの熱心な賛美者であり、いろいろな意味でマリー・ダグーとの間にはライバル心があったようです。(12分6秒) |
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2.ワーグナー〜リスト ”ローエングリン”より 祝祭劇と祝婚歌 第1バージョン S446 1854年 |
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“ローエングリン”は1846年〜1848年に作曲されました。しかし1849年のドレスデンで起こった革命に加担したことでワーグナーは警察から追われる身となり、亡命生活を余儀なくされます。いっぽうワイマールではワーグナーの才能をはやくから認めていたフランツ・リストが“ローエングリン”初演のために尽力します。亡命中のワーグナーと、巨匠リストの手紙のやりとりにそのあたりの事が触れられています。そして1850年8月28日ついにワイマールにおいてリスト自ら指揮をとることで初演が現実となるのです。 1850年の初演はリストの自己評価で“比較的満足のいく程度”、聴衆は大きな反応を示さなかったとのこと。1854年での編曲は、よりいっそうの“ローエングリン”普及を目指したのでしょうか?リストが編曲したのは第3幕の“前奏曲”と“祝婚歌”です。祝婚歌は有名な“結婚行進曲”です。 このトランスクリプション作品は1861年に改訂されます。1861年はワーグナー本人がローエングリンをウィーンで聴く年でもあります。第2バージョンはVOL.30に収められています。第1バージョンではプレリュード全体が繰り返されます。(13分19秒) |
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3.ベリーニ〜リスト ”夢遊病の女”のモティーフ・ファヴォリスによる幻想曲 第2バージョン S393 1839年 |
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ベリーニ(1801−1835)は若くして亡くなった作曲家ですが、多くのオペラを作曲しました。『夢遊病の女』は1831年にミラノで初演されました。リストは1839年に編曲、1842年に出版、そして最終版は1874年になります。ベリーニの旋律は、このCDに収められている他の19世紀イタリアオペラ作曲家の中でも、一際、印象的で甘い旋律です。この作品においてリストは意図的に、まるで3本の手で弾いているかのような効果をつくりあげました。リストが取り上げたモティーフは次のとおりです。 ・Osservate ・Vedi, O Madre ・Ah! non giunge “ああ、この思いを乱さないで” ・Ah! perche non posso odiarti ・Voglia il Cielo (15分2秒) |
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4.ロッシーニ〜リスト ウィリアム・テル序曲 S552 1838年 | |
“ヴィルヘルム・テル”は1829年8月3日初演のロッシーニ最後の歌劇です。とてもポピュラーな旋律です。ヴィルトゥオーゾ時代のリストはこの編曲を、コンサートで取り上げ、1840年〜41年のイギリスツアーでのレパートリーとしました。とにかく有名な旋律ですので楽しめます。原曲と同じく、序曲は“夜明け” “嵐” “牧歌” “スイス独立軍の行進”というパートに分かれます。(14分21秒) |
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5.ドニゼッティ〜リスト ”ルクレツィア・ボルジア”のモティーフによる幻想曲 (”ルクレツィア・ボルジアの回想”の第1バージョン) S399 1840年 |
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原曲は1833年にミラノのスカラ座で初演されたオペラで、テキストはユゴーによります。物語はルクレツィアが政敵を毒殺する話。 ですが、ルクレツィアが暗殺などに携わったという確証はありません。ルクレツィア・ボルジア(1480−1519)は、イタリアの貴族ボルジア家の娘。父はロドリーゴ・ボルジアで後の教皇アレクサンデル6世。兄は冷酷な政治家として後世に名を残す、マキャベリの『君主論』のモデルにもなったチェーザレ・ボルジア。ルクレツィアは、そんな父、兄の思惑に翻弄される人生を送ります。3度目の結婚でフェラーラ公妃となり、画家ティツィアーノらを保護し、フェラーラでルネサンス文化を開花させます。 1840年にパリで初演され、この幻想曲はその年に作られました。その後1848年に“ルクレツィア・ボルジアの回想”として改訂されます。 取り上げられるテーマは次のとおりです。 Orsini’s“Maffio Orsini,son io” Orsini’s drinking song “Il segreto” ルクレツィアとジェナーロの二重唱“Ama tua madre” (15分57秒) |
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HOWARD CD INDEX | ・ |
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