演奏 | レスリー・ハワード、ジェフリー・パーソンズ | |
タイトル | 『リスト ピアノ独奏曲全集 VOL.17 リスト・アット・ジ・オペラ II』 | |
データ |
1990/91年録音 HYPERION CDA66571/2 |
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ジャケット | アンリ・ファンタン=ラトゥール『ワーグナー“ラインの黄金”より第1幕』 | |
収録曲 |
DISC.1 マイアベーア〜リスト “予言者”のイラストレーション 1.第1番:祈り〜勝利の讃歌〜聖なる行進 2.第2番:スケートをする人、スケルツォ 3.第3番:パストラール〜召集 4〜6.第4番:コラール“アド・ノス・アド・サルタレム・ウンダム”による幻想曲とフーガ ・ DISC.2 1.ドニゼッティ〜リスト “ファヴォリータ”より Spirto Gentil 2.ドニゼッティ〜リスト ”ドン・セバスティアン”の葬送行進曲 3.シュポーア〜リスト “ゼミールとアゾール”よりバラ 〜 ロマンス 4.ワーグナー〜リスト “さまよえるオランダ人”より糸紡ぎの合唱 5.ワーグナー〜リスト “さまよえるオランダ人”よりバラード 6.ワーグナー〜リスト “タンホイザー(とワルトブルクの歌合戦)”より巡礼の合唱 7.ワーグナー〜リスト “タンホイザー(とワルトブルクの歌合戦)”より夕星のアリア“おお汝優しい夕星よ” 8.ワーグナー〜リスト ニーベルングの指輪“ラインの黄金”よりヴァルハラ 9.ワーグナー〜リスト パルジファルの“聖杯への祝典行進曲” 10.グノー〜リスト “シバの女王”より子守歌 11.モショーニ〜リスト “スゼップ・イロンカ”による幻想曲 |
・ S414 S414/1 S414/2 S414/3 S624 ・ ・ S400 a S402 S571 S440 S441 S443 S444 S449 S450 S407 S417 |
感想 | ≪DISC.1≫ | |
マイアベーア〜リスト “予言者”のイラストレーション S414 1849/50年 | ||
1.第1番:祈り〜勝利の讃歌〜聖なる行進 S414/1 | ||
マイアベーアの“予言者は”1849年にパリで初演されました。リストの弟子のポーリン・ヴィアドット=ガルシアが出演していたこともあり、リストはその初演を鑑賞し、大変な感銘を受けました。 第1番は様々な主題が使われています。行進曲のような冒頭が終った後、“アド・ノス・アド・サルタレム・ウンダム”の主題も登場します。全体が輝かしい響きに支配されたヴィルトゥオーゾピースです。 Illustrations du Prophete 〜 No.1:Priere − Hymne triomphal − Marche du sacre (15:24 HYPERION CDA66571/2) |
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2.第2番:スケートをする人、スケルツォ S414/2 | ||
第2番は優雅で軽快な曲ですが、これも非常なヴィルトゥオーゾピースです。素晴らしい装飾効果に支配されています。僕は旋律のユーモラスさにロッシーニの“泥棒かささぎ”の序曲を思い出しました。 Illustrations du Prophete 〜 No.2:Les patineurs:Scherrzo (13:16 HYPERION CDA66571/2) |
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3.第3番:パストラール〜召集 S414/3 | ||
緩やかなパストラールです。牧歌的な情景を“鐘”の音が表現しているのでしょうか、“ラ・カンパネラ”のような装飾がほどこされます。不思議で不安定な旋律が、とても美しいです。そしてパストラール調の旋律の下で、速いリズムが急くように始まり、“アド・ノス・アド・サルタレム・ウンダム”の主題が鳴らされます。そこから行進曲風の“召集”になるのだと思います。 Illustrations du Prophete 〜 No.3:Pastorale − Appel aux armes (12:03 HYPERION CDA66571/2) |
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4〜6.コラール“アド・ノス・アド・サルタレム・ウンダム”による幻想曲とフーガ (“予言者”のイラストレーション 第4番) S624 1850年 |
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この曲はオルガン曲(S259)がオリジナルとなります。そしてこの曲だけピアノ連弾曲となります。リストは“アド・ノス〜”を、先行する3曲に続けて“イラストレーション第4番”とみなしていたとのこと。書簡においてリストのそういった言及がみられるそうです。“アド・ノス〜”はオルガンまたはピアノ4手用として出版され、ピアノ独奏曲としては出版されませんでしたが、その後、フルッチョ・ブゾーニがピアノ独奏曲に編曲しています。 オリジナルのオルガン曲は1855年9月25日にアレクサンダー・ヴィンターベルガーによって、メルセブルグの大聖堂で初演されました。 この作品はマイアベーアのオペラ“予言者”から第1幕の“3人の再洗礼派のコラール”を使用しており、そのため“予言者のフーガ”とも呼ばれます。壮大なオルガン曲は恐ろしさを感じさせるような大作ですが、ピアノ版もものすごい迫力です。ピアノ連弾版となることで迫力を失わなかったばかりか、音像が明瞭となるというメリットもうまれました。 ハワードは、この曲で、彼の師であるジェフリー・パーソンズと連弾しています。パーソンズはハワードがリスト独奏曲全集録音を推進している最中の1995年に他界しました。パーソンズはよくシューベルト歌曲を演奏したらしく、ハワードは31巻から始まるシューベルト編曲集の3巻をパーソンズに捧げています。 Fantasie und Fuge uber den Choral Ad nos,ad salutarem undam (25:33 HYPERION CDA66571/2) |
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≪DISC.2≫ | ||
1.ドニゼッティ〜リスト “ファヴォリータ”より Spirto Gentil S400a 1840年頃 | ||
ガエタノ・ドニゼッティのオペラ“ファヴォリータ(寵姫)”は1840年にパリで初演されました。物語は恋愛悲劇のような感じです。リストの編曲は初演後すぐにされたらしいのですが、草稿のままとなり、1992年にようやく公表されたそうです。 静かでゆったりとした曲調で、主旋律の魅力を主体とし、その周りを抑制された美しい装飾が飾ります。 Spirto gentil (10:05 HYPERION CDA66571/2) |
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2.ドニゼッティ〜リスト ”ドン・セバスティアン”の葬送行進曲 S402 1844年 | ||
ガエタノ・ドニゼッティのオペラ“ドン・セバスティアン ポルトガル王”は1843年にパリで初演されました。1844年から1845年にかけて,、リストはスペインとポルトガルを演奏旅行しています。スペイン旅行の収穫は“スペインの歌による演奏会用大幻想曲”(S253)などにあらわれますが、こちらはポルトガル旅行の収穫と言えなくもないです。“ドン・セバスティアン”の葬送行進曲は、ポルトガル風の作品というわけではありませんが、この時の演奏旅行の経験が大きく影響しています。リストはポルトガル演奏旅行時にポルトガルのマリア2世女王より贈り物をもらい、そして“ポルトガル王”を題材にしたオペラ“ドン・セバスティアン”の編曲を、マリア2世女王に献呈しました。葬送行進曲のような暗い響きは冒頭だけで、凱歌のように華々しい曲です。 Marche funebre de Don Sebastien (7:57 HYPERION CDA66571/2) |
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3.シュポーア〜リスト “ゼミールとアゾール”よりバラ 〜 ロマンス S571 ?年 | ||
シュポーア(1784−1859)はドイツの作曲家でヴァイオリニスト。オペラ“ゼミールとアゾール”は1819年に初演されました。リストの編曲は1876年に出版されているのですが、原曲の作曲年を考えると、期間が開きすぎていますので、作曲年は?年にしました。 ハワードの解説によると、このリストによる編曲はとてもポピュラーなものだそうです。主旋律と伴奏というシンプルな形で、主旋律に溶け込んだ装飾が楽しめる美しい小品です。 Die Rose − Romance (from Spohr’s “Zemire und Azor”) (4:10 HYPERION CDA66571/2) |
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4.ワーグナー〜リスト “さまよえるオランダ人”より糸紡ぎの合唱 S440 1860年 | ||
ワーグナーの“さまよえるオランダ人”は1841年に作曲され1843年に初演されました。テキストは幽霊船の伝説を題材としたハイネの小説“フォン=シュナーベレヴォプスキ氏の回想”、ヴィルヘルム・ハウフの“幽霊船の物語”等から着想を得てワーグナーが作ったものです。 ワーグナーはその後1846年に改訂し、さらに1860年の改訂で最終版としています。リストの編曲はこの最終版と同年になります。ですが“さまよえるオランダ人”は初演時から不評で、最終版が上演されたのは、どうも1865年のドレスデンでの上演のようです。“糸紡ぎの合唱(ブーンブン、かわいい車よ)”は第2幕でゼンダと、乳母マリーといっしょにいる少女達が歌うものです。娘達の陽気な“ブーンブン”に対して、沈んだ気分のゼンダが歌う“オランダ人のモティーフ”などが登場し、さらにそれをさえぎるように娘達の“ブーンブン”が割り込んでくるなど、オペラの場面がうまく取り入れられています。 “糸紡ぎ”というと、シューベルトの歌曲を編曲した“糸を紡ぐグレートヒェン”を思い出します。“さまよえるオランダ人”の方が、テンポが軽快で、糸車の早い回転と、楽しげな様子が上手く描写されています。この編曲はあまり演奏されませんが、快活で明るく、ピアノの様々な効果も素晴らしい作品です。 Spinnerlied aus Der fliegende Hollander (5:46 HYPERION CDA66571/2) |
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5.ワーグナー〜リスト “さまよえるオランダ人”よりバラード S441 1872年 | ||
少女達の“糸紡ぎの合唱”に続いて、娘ゼンダが“オランダ人”のことを歌うバラードの編曲です。こちらでもオペラの一場面を上手く表現することが試みられており、静かな部分と迫力のある部分の対比が凄まじく、それらが交互に現れるような感じで起伏のある世界を産み出しています。 イントロの半音下がる音型は、リストがよく葬送を目的とした曲(エレジー第1番、詩的で宗教的な調べ第7曲“葬送曲”など)で用いる音型です。 Ballade aus Der fliegende Hollander (5:08 HYPERION CDA66571/2) |
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6.ワーグナー〜リスト “タンホイザー(とワルトブルクの歌合戦)”より巡礼の合唱 S443 1861年 |
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ワーグナーの“タンホイザー”は1843〜45年に作曲され、完成と同年の1845年にドレスデンでワーグナー自身の指揮で初演されました。“ワルトブルク城での歌合戦”という伝説と、吟遊詩人タンホイザーの伝説を、ワーグナーが織り込み、テキストが作られました。 その“タンホイザー”から、“巡礼の合唱”の編曲です。ピアノ独奏版となると、曲の構成の前半は“タンホイザー序曲”(S442)の編曲と同じです。1回劇的な高揚を見せたあと静かに終っていきます。大ヴィルトゥオーゾ・ピースである“タンホイザー序曲”(S442)に比べとても大人しいです。 1860年にオルガン独奏版(S676)が作られています。よく分からないのですがハワードのCDでは、このトラックについて“第2バージョン”との表記があり、作曲年も1882年となっています。ですがS443の第2バージョンは第42巻に収められており、作曲年は1885年となっています。第42巻のライナーを読むと“17巻に収められた最初の編曲”という表現があるので、17巻のこちらが第1バージョンだろうと考えました。 またサールの番号表では、第1バージョンは1861年、第2バージョンは1862年?となっています。第2バージョンの作曲年についてはハワードの方がデータが新しいはずなので、ハワードに従います。 Pilgerchor aus Tannhauser (7:00 HYPERION CDA66571/2) |
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7.ワーグナー〜リスト “タンホイザー(とワルトブルクの歌合戦)”より 夕星のアリア“おお汝、優しい夕星よ” S444 1849年 |
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“タンホイザー”から有名な“夕星のアリア”の編曲です。第3幕第2場でタンホイザーの友人ヴォルフラムが歌うアリアです。この美しい名旋律を使えば、リストであれば、いかようにも大幻想曲や大変奏曲を作れただろうと思いますが、リストはそうはしませんでした。美しい旋律を大事にした編曲で、リストのプライベートな編曲のように思います。 1849年2月26日付けのリストからワーグナー宛の書簡で、リストは“タンホイザー序曲”は非常に演奏技術的に困難な編曲作品であり、“夕星のアリア”はセカンドクラスのピアニストにも演奏可能な編曲作品である、ということを述べています。 O du,mein holder Abendstern (6:47 HYPERION CDA66571/2) |
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8.ワーグナー〜リスト ニーベルングの指輪“ラインの黄金”よりヴァルハラ S449 1876年 |
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ワーグナーの大作“ニーベルングの指輪”から序夜にあたる“ラインの黄金”からの編曲です。ワーグナーの作曲は1853〜54年にかけて、初演は1869年に行われました。“ラインの黄金”の第4場の終わり、ヴァルハラ場へ神々が入場する場面を編曲しています。 巨大な“ニーベルングの指輪”から、リストは1曲しか編曲していません。変わりにヘッベルの原作に対してラッセンが作曲した“ニーベルング”から2曲編曲しています。ハワードは、ワーグナーの“ニーベルング”に対して、リストの弟子のカール・タウジヒ(1840−1871)がすでに数多くの編曲をしていたため、リストは抑えたのでは、と指摘しています。神童タウジヒは1871年に若くして死んでしまっているので、少なくともタウジヒの生前に初演された“指輪”は“ワルキューレ”までなのですが、詳細はちょっとわかりません。 Walhall aus Der Ring des Nibelungen (6:57 HYPERION CDA66571/2) |
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9.ワーグナー〜リスト パルジファルの“聖杯への祝典行進曲” S450 1883年 | ||
舞台神聖祭典劇“パルジファル”はワーグナー1878−82年作曲の最後の楽劇です。リストはワーグナーの“パルジファル”のC−G−A−Eの音型“鐘の動機”を使って、いくつかの作品を作っています。室内楽が原曲となる“リヒャルト・ワーグナーの墓に”(S135)、合唱曲“主の家にわれらは進みゆく”(S57)がそうです。また“リヒャルト・ワーグナーの墓に”にいたっては、“パルジファル”の前奏曲と近似していることにリスト自身気づいていた“エクセルシオール!”(S6,S500)も使われています。 “パルジファル”の第1幕、騎士達が食卓に並び、小姓達が行列で舞台を横切り、そしてアンフォルタス王が担がれて入ってくる場面が使われているようです。ワーグナーの場合、厳粛な感じを合唱が醸し出していますが、リストはピアノの静かな音色と、粛然としたリズムで表現しているようです。“鐘の動機”による厳かな行進が終り、第2の主題へと移る箇所が、きわめて美しい作品です。 “パルジファル”の名称は、オルガ宛の書簡で1873年に早くも登場します。リストはまず“パルジファル”のテキストに夢中になったようです。ワーグナーは早くから“パルジファル”の物語に興味を持ち、そして取り組んでいました。1874年に台本の草稿を書き上げたとのことなので、リストが読んでいるのも、草稿の段階のものだと思います。 Feierlicher Marsch zum heiligen Gral aus Parsifal (7:48 HYPERION CDA66571/2) |
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10.グノー〜リスト “シバの女王”より子守歌 S407 1865年 | ||
グノーのオペラ“シバの女王”は1861年に作曲され、翌1862年にパリで初演されました。小波のようにハープを奏でるような伴奏が心地良い曲です。高音のトリルが同じ頃に作曲された“小鳥に語るアッシジの聖フランシス”を思わせます。そのためどこか宗教的な印象を受けます。この編曲作品はあまり演奏されませんが、曲が流れる場所の空気を一変させてしまうような不思議な魅力と音世界を持った佳曲だと思います。 Les Sabeennes - Berceuse (5:46 HYPERION CDA66571/2) |
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11.モショーニ〜リスト ハンガリー・オペラ“スゼップ・イロンカ”による幻想曲 S417 1867年 |
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“モショーニの葬送”でリスティアンには有名な、ハンガリーの作曲家ミハーイ・モショーニのオペラ“スゼップ・イロンカ”は1861年に作曲されました。エキゾチックな旋律を持つ曲で、後半にいくに従って徐々に華々しくなっていく幻想曲です。中間部の怒涛の低音から、エンディングの輝かしい響きへ移行する部分など、魅力のある曲です。 Fantasie sur l’opera hongrois Szep Ilonka (5:34 HYPERION CDA66571/2) |
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