落語台本「扇子と手拭い」

作・渋市幸雄
えー、一席申し上げます。
よく落語家は、扇子一本と手拭いの商売だから設備投資はゼロで、荷造り運送費、修理費が不要で、店卸しや決算がなく、口から出任せをしゃべってれば収入になるから、気楽なものだろうなんて言われますが、どうしてどうして、相当の研究費や月謝を払い込んでおりまして、さもないと、立ち所に落第をさせられます。
例えば この扇子一本でも、ちゃんと使える迄には何百年とはいかない迄も、何十年・何年とかかるのが普通でございます。

甥−今日は。叔父さん居ますか。・・・叔父さん・・・うるさい叔父さん。
叔−何だ。うるさい叔父さんとは。
甥−おや、突然目の前に浮かんで、何処に隠れていたんです。
叔−隠れてなんかいるか。お前の足元で草をむしっていたんだ。
甥−それで、今の小さな声が聞こえたんですか。
叔−何が小さな声だ。金盥(たらい)にパチンコの玉をぶちまけたような声を出して。・・・金ならないよ。
甥−お金の事ではありません。今日は叔父さんに、物を伺いに来たんで・・・。
叔−偉い。その一言で安心した。さあ、縁側にかけとくれ。コーヒーでも入れよう。
甥−何だか、お金の事でないと急に元気が出ましたね。・・・やあ、きれいなコスモスが一杯。叔父さんの人柄がわかりますね。
叔−ふふ、おい、コーヒー持って来ておくれ。ケーキもあるだろう。何、みんな食べちゃった。・・・それじゃさつまいもでもいいから持っといで。
甥−がたんと差がつきますね。
叔−所で、どんな事を聞きに来たんだ。博学な人に物を聞くと言うのは、非常にいい事だよ。・・・昔から言うだろう、菊は一時に咲き、機関車は真っ直ぐに走ると・・・。
甥−あんまり聞きませんね。
叔−そう言えば、あんまり聞かないかな。まあ些細な事はどうでもいいが、判らないのは哲学か、天文学か。
甥−いいえ。
叔−すると、催眠術とか、空手術。
甥−いいえ。
叔−それでは、レバーのおいしい調理法とか、ブラウスの仕立て方とか。
甥−いいえ。
叔−それでは・・・。
甥−いいえ。
叔−未だ、何も言ってない。
甥−実は、落語について、少々教えて貰いたいんで・・・。
叔−偉い。その若さで落語に興味があるとは頼もしいね。将来は、総理大臣になれる太鼓判をぺったりと・・・押しかねるが、立派だな。
甥−叔父さんは昔、落語家の修業をしたそうで。
叔−自慢じゃないが、三ヶ月程弟子入りしたから、知らないものは知らないが、知ってるものは、知ってるな。
甥−当たり前だ。どうして止めたんです。
叔−ううん・・・それは・・・あまり女にもて過ぎてね。いい男に生まれるのも、考えものだな。
甥−昔のいい男って、すごくレベルが低かったんですね。・・・しかし、そんな通ですか。
叔−通だとも。通じのいい事ったら、駆け足で便所に行くな。
甥−汚いな。それじゃ、だいたい、昔の落語家もご存じですね。
叔−そうだな、三遊亭円朝なんか、記憶に残る名人だな。
甥−あれ、円朝は明治の初めに活躍した落語家(はなしか)ですよ。
叔−うう・・・、お前は落語の事は知らないんだから、黙ってなよ。
甥−叔父さんでも芸名が有りましたか。
叔−あったとも。入門当時、「カシワヤ・ボタモチ」と言う名前を貰った。
甥−随分、甘そうな名前ですね。
叔−あんまり甘いと、なめられると言うんで「桂カブロウ」になった。
甥−ああ、頭が禿げてるんで。
叔−頭に毛頭、関係ない。
甥−僕が伺いたいのは、落語家(はなしか)は、高座に上がる時、どうして扇子と手拭いしか持たないかと言うことです。
叔−なる程なる程。
甥− 僕は、お酒を飲む所は、本当の徳利を使い、刀を使う場面は、真剣を使う演出をしてみたら面白いと思うんですが。
叔−なる程なる程。
甥−と、言って、扇子と手拭いの替わりに、扇風機とバスタオルを持って、一席伺うのも困りものですが。
叔−なる程なる程。
甥−だから、扇子と手拭いを持って、高座に上がる理由を知りたいんです。
叔−なる程なる程。
甥−聞いているんですか。
叔−なる程なる程。
甥−頼りないなあ。・・・叔父さんは知らないんでしょう。
叔−またそんな侮蔑の言葉を投げる。この扇子一本でも、話の中では、色んな小道具になるんだ。例えば、左手に掴んで構えると槍になる。
甥−そんな事をきてるんじゃないんですよ。どうして扇子に限るかと・・・。
叔−お前は落語を知らないんだ。黙ってなよ。
  殿 「三太夫、この槍の柄は何で作るのじゃ。」
三 「ははあ、栗の木かと存じます。ヤリクリと申しまして。」
殿 「尤もじゃ。槍を片付けい。・・・これこれどうして片付けずに放り出すのじゃ。」
三 「殿、これが本当の槍っ放しでございます。」
甥−僕は、どうして扇子と手拭いが・・・。
叔−黙ってなさい。徐々に答えるから。扇子はまた、キセルやソロバンや金槌にもなる。
  旦那 「(煙草を吸いながら)番頭さん、番頭さんは居ますか。」
番頭 「(ソロバンを弾きながら目を上げて)へい、旦那様、何か用ですか。」
旦那 「用があるから呼んだのです。番頭さん、あんまり大きな声を出さないで下さいよ。大きい声を出すと、腹が空く。腹が空けば御飯を食べる。御飯を食べれば米が減る。米が減れば、家の身代が減るでしょう。それに、大きな声が建具にぶつかると、襖障子の傷みも早くなります。」
番頭 「それでも旦那様。」
旦那 「口答えがいけないんだよ。口答えすると腹が立つ。腹が立てば腹が空く。」
番頭 「腹が空けば御飯を食べる。御飯を食べれば米が減る。よく存じております。」
旦那 「それに、さっきから見れば、ソロバンの弾き方がぞんざいで、荒っぽ過ぎます。そう使われては、百年持つ所が、五十年も持ちませんよ。もっと柔らかく、丁寧に頼むよ。」
番頭 「で、御用は。」
旦那 「そらそら、柱に釘を一本打っとくれよ。そう、その辺だ。断っておくが、金槌を強く打たないように。・・・減りが早いからな。」
番頭 「(打ちながら)トントン、この位で。」
旦那 「それじゃちっとも入らないじゃないか。もう一寸、強く打ってごらん。気をつけてな。」
番頭 「トントン・・・痛い・・・ああ、曲がっちゃった。」
旦那 「おいおい番頭さん、曲げちまったのかい。」
番頭 「ああ痛い。私の指が、こんなに曲がりました。」
旦那 「指だって、ああ、良かった。釘だったら大損だ。」
   と、こんな具合に使える。面白いだろう。
甥− 面白いけど、理由の方は。
叔−だから、物には順序と言うものがあるんだよ。これからぼつぼつ、こじつける。
甥−えっ?何ですか。
叔−いや、何でもない。扇子はその他(演じながら)棒、杭、刀、出刃包丁、匕首、提燈、かみそり、徳利、等に早変わりする。
甥−だから、どうして扇子を持つんです。
叔−手拭いの方は、紙入れ、煙草入れ、巾着、証文、ラブレター、帳面、巻紙、ハンケチ、等に早変わりするな。特に、女の人が告別式に出た時、どうしても涙の出ない時に、ハンケチは格好のカモフラージュになるよ。
  女 「(目に手拭いを当てて、盗み見しながら泣く)あんなに元気でいらした旦那さんが、お亡くなりになるなんて、信じられませんわ・・・、何です、お宅から自動車で表通りへ出られたら、忘れ物に気が付かれて・・・、そのままおかくれに・・・、すると、眼鏡でもお忘れになって・・・、えっそうじゃない。自動車のハンドルを忘れた・・・ああお可哀そうに、シクシク・・・。」
甥−もう判りました。
叔−これがハンケチだから雰囲気が出るんだよ。幾ら涙を拭くっても、吸取紙じゃぶちこわしになる。
甥−僕の知りたいのは、どうして手拭いを持つかなんです。叔父さん、知らなければ知らないと正直に・・・。
叔父−うるさい、私は知ってるよ。こう言う問題は、無暗にしゃべっちゃいけないんだよ。
甥−どうして。
叔−国際的な秘密だ。
甥−そんな大げさなものじゃないでしょ。
叔−それでは、止むを得ん。いよいよ教えてやろう。先ず、コーヒーでも飲んで、おや、未だか。おーい、コーヒー早くしてくれよ。昔、落語家は「ハナシカ」と言って、主に落語をしゃべるのを生業とした。
甥−当たり前です。
叔−落語は、歌舞伎と違って、何から何まで一人でやるな。
甥−それも当たり前です。
叔−殿様になるかと思うと、与太郎になる。大家の旦那もやれば、貧乏な職人だったり・・・あっそうだ。
甥−何です。急に生々としちゃって。
叔−貧乏なんだよ。昔の落語家は、皆んな貧乏だった。
甥−それがどうしたんで。
叔−その貧乏な落語家の中でも、とりわけ楽京という当時二つ目の落語家は、貧乏の総理大臣みたいな貧乏だった。
甥−それと扇子と、関係あるんですか。
叔−あるから、黙って聞いてな。何しろ、この楽京、夏でも冬でも、同じ浴衣の着た切り雀だ。それも五年前の祭りの揃い一枚だから、浴衣取ったら、貧乏しか残らないと言う徹底的な貧乏だ。従って、高座に上がる時は、楽屋に居合わせた人から、着物を借りて、えー一席と伺う寸法だから、毎日つんつるてんやだぶだぶのがあって、これが又、奇妙にお客さんに受けたんだ。
ある晩、例の通り、着物を借りてると、時間が無いから急いでよっと、囃子に押し出されて高座に上がった。とたんに、お客がどっと来た。
こりゃ、今日は端から調子がいいぞと、大いにしゃべりまくると、話す傍から大爆笑だ。楽京さん、御機嫌で楽屋へ降りて来ると、着物を貸してくれた人が、「おいおい、帯を締めないで出ちゃ困るな。前が丸見えだよ。」慌て者も居るものだな。帯を締めず高座に出たんだ。
甥−しかし、扇子の方は。
叔−さあ、そこだ。
甥−何処です。
叔−きょろきょろしなさんな。・・・楽京さん、それからは、浴衣一枚で高座に上がり、それ迄は手ぶらで話していた高座に、扇子と手拭いを使っては小道具にして、お客を喜ばせたという訳だ、つまり、貧乏の為に、扇子と手拭いを用いる様になったのだよ。
甥−本当かなあ。
叔−本当だとも。それが流行となって、落語家は、柄ものとか色ものの扇子を、お客様に見せるようになった。これが現在でも、あの人のセンスはいいとか、悪いとか言われる元になったんだ。・・・ああ良かった。まずはめでたいな。
甥−何がめでたいんです。それでは、ついでにもう一つお伺いしたいんです。
叔−もういいよ。おーい、コーヒー、遅いぞ。
甥−もう一つ教えて下さい。
叔−もういいったら。今日は仏滅だから、又この次にしよう。
甥−関係ないでしょう。
叔−ほらほら、コーヒーが来た。お上がり、お上がり。・・・そうだ、私が面白い落語を一席伺おう。
甥−いえ、それより・・・。
叔−しつっこいね。私が折角、落語を話すんだから、黙って笑いなよ。
甥−無理ですよ。黙って笑うなんて。
叔−聞くのか、聞かないのか。
甥−聞きますよ。聞けばいいんでしょ。
叔−聞いて、笑わないとひどいよ。・・・それでは、お古い所で、酢豆腐を一席申し上げます。
甥−ああ、それなら、良く知ってます。
叔−どうも、うるさいね。知ってても、落語というものは、演者によって、面白味が異なるんだよ。特に、この話はよーく出来てる話だから。
甥−でも、本職の名人芸を聞いたばかりで。
叔−何度聞いても、いいものはいいんだ。お前は黙って、コーヒーでも飲んでろ。
えー、お笑いを申し上げます。通人ぶった若旦那に、近所の若い衆が、寄ってたかって、腐った豆腐を食べさせます。
  八 「どうです。若旦那。」
若 「いや、結構な味で。」
八 「ヨオ、結構だとさ、これは何てもんですかね。」
若 「酢豆腐ですな。」
八 「酢豆腐。おい、皆んな、聞いたかい。酢豆腐なんざ、いいね。若旦那、たんとお上がりなさい。」
甥−(一口飲んで、持ったコーヒー茶碗を落とす)アチ、アチ、あっ、コーヒーカップを落とした。
叔−こら、私より先に、落とす奴があるか。

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