セミの鳴き声はうるさい。うるさいからセミがいるということがよくわかる。だから、セミの鳴き声から我々が受け取る中心的メッセージは「ここにセミがいるぞー」というようなものである。セミが鳴くのは夏だから、セミのメッセージは「今は夏だぞー」ということでもある。セミは樹にとまって鳴くものなので、セミが鳴いていると「そこに樹が生えている」ということも判る。また、幼虫として土の中に住んでいたセミが外に出て来られたわけだから、「そこには舗装されていない地面がある」ということも判る。僕は夏も樹も地面も好きなので、そういうものの存在を告げるセミのうるさい鳴き声が好きだ。

セミはあの大きさであの音量を出せるというところがすごい。肉食ならなんとなく納得もいくが、エネルギー源は樹の汁である。セミは少しのエネルギーで効率的に大音量を発生する驚異的な装置だと言える。セミの声はそういう驚異的なものの存在も訴えている...ように僕には聞こえる。メスを呼ぶためとはいえ、あんなに大きな声で鳴く必要があるんだろうか。必要ないんじゃないの? セミは「やらなくてもいいようなこと」を一所懸命やっているように思える。

夏はただでさえ暑さで頭がぼおっとするのに、その上にセミが喧しく鳴いていると何も考えられなくなる。何も考えられないにもかかわらず、セミがいるということは判る。すると、考えなくても判ることはあるんだということが判る。何も考えないでいろんなことが判る状態というのがリラックスだ。セミは我々の師である。

ツクツクボウシが鳴き始めると夏も終わりが近くなり、秋の虫もりんりんりんと鳴き始める。秋の虫も嫌いではないけど、夏が終わってしまうのはさびしい。それにしても、最も驚異的なのがツクツクボウシである。他のセミの鳴き方は一つのパタンの繰り返しだからあまり不思議はないのだけれど、ツクツクボウシはなんであんなはっきりと起承転結のある鳴き方をするのだろうか? 子どもの頃から不思議に思っているのだが、ツクツクボウシのメッセージは解読できないままだ。