自分でやるのだ

僕は今年、いろんなことを自分でやった。まず一番大きかったのは、今住んでいる家を設計したことである。奥さんと2人で考えたコンセプトをまとめる部分は建築家の友人に助けてもらったが、4ヶ月かけて家の隅々までかなり詳細に自分たちで形を決めた。それから、ビールを自分で作るようになった。一回で小瓶15本分ができるのだが、1月から月に一度くらいのぺースで作り続けている。バイクも自分で直した。初めてキャブレターを分解して清掃し組立て、エンジンがかかった時には感動した。

最近は、何でも自分で作りたくなってきたので、鋸や玄能や鉋を買ってきていろんなものを作っている。この2ヶ月でテーブル、居間の梁に吊るすプランコ、掘炬燵用のフットレスト、庭の地面をならすトンボのようなものなんかを作った。次はテレビやステレオを置くための家具の構想を練っているところである。

今年僕がやったのは、去年まではやらなかったことばかりである。21世紀の最初の年にしては、なかなかいい感じの方向性である。やりたいと思ったことを順番にやっていったらこうなったのである。僕はここ数年「やりたいことをやるしかない」といい続けてきたのだが、やっと僕のカラダがアタマに追いついてきたような気がする。そういうふうに振返ってみて、僕は「自分が何をやるにしても、あまり面倒だと思わなくなった」ということに気がついた。

僕はいつの間にか、「面倒くさがり」ではなくなっていたのである。奥さんに聞いてみると「前から面倒くさがりではなかったんとちゃう?」とのことなので、外から見える変化は起きていないのかもしれない。僕が面倒くさがりなのに他人からそう見えなかったのは、僕が「面倒だとは思いながらも、仕方なくいろんなことをやる」というような性格だったからだろう。

「面倒くさいなあ」という気持ちになることが滅多になくなったのは、他人には見えなくても僕の中ではすごく大きな変化である。面倒くさいという気持ちはユウウツの種であり、それがなくなれば気分は良くなる。気分がよくなるといろんなことをやる気が出て面倒くさいと思わなくなる。面倒くさいと思わなければ、何をやってもおもしろい。

何をやるにしても、初めのうちは面倒くさいものである。でも、面倒くさいのを我慢して続けていると、だんだん慣れてくる。慣れると作業に集中できるようにもなる。そして、作業に深く集中してしまうと、全然面倒くさくなくなるのだ。深く集中せずにダラダラと作業を続けていると、いつまでたっても面倒くさいままである。僕が面倒くさがりの時もいろんなことをやっていたのは、「ダラダラとでも続けていれば、いつかは集中が訪れて面倒くさくなくなる」ということを知っていたからだ。

集中してしまえば面倒くさくなくなるのだとすれば、集中するのが早ければ面倒くさい段階も早く過ぎる。アッという間に集中することができれば、面倒くさいなどという気持ちは浮かんでくる暇もなくなるだろう。では、早く集中するにはどうすればいいかというと、いろいろ研究した結果、深呼吸すればいいのだという結論に達した。「深呼吸をすると落ち着く→落ち着くと集中できる」という単純な理屈である。深呼吸というのは「対象のない集中」なのだ。対象のない集中を練習すると、早く集中できるようになるのである。

(01.11.2)