日常生活は冒険だ

冒険というのは、安定した日常生活から離れたところに行って、危険や困難と闘うことである。だとすると、日常生活は冒険から遠いもののはずだ。しかし、最近は社会システムそのものが不安定なので、安定した日常生活などというものは世界中どこにもないのかもしれない。つい最近まで、サラリーマンは安定した生活を送っていたはずで、サラリーマンが仕事をやめて自分のやりたいことに挑戦したりするのは冒険みたいなものだったが、今やサラリーマンであり続けるのも冒険になってしまった。ある日突然リストラされたり会社が潰れたりするかもしれないし、自ら別の会社に移るのも冒険だ。個人事業主にとってはもっと冒険的な状況だといえるだろう。我々はみんないつの間にか、否応なく、安定した日常生活から離れてしまっていたのである。

冒険というのは「どうすればいいのかわからない状況」を何とかして乗り越えることである。今は、世界中の人々がどうすればいいのかわからないような状況である。どうすればいいのかわからないような世の中では、地味に日常生活を送ろうとするだけでも、常にいろんな問題を乗り越え続けなくてはならない。つまり、我々は冒険するしかない世界にいるのであり、地味な日常生活でさえも冒険なのだ。我々は、次々に目の前に現れる新たな事態に対して、どう対応するのかを自分なりに考え続ける必要がある。

今は「どうすればいいのかわからない状況」なのだから、どんな問題に対しても正解はない。エライ人に聞いても正しい答えを教えてくれるわけではない。我々はただ日常生活を送るだけでも、正解の無い問題に自分で答え続けなければならないのだ。それはタイヘンなことではあるが、正解が無いのだから、どんな風に答えるのも自由である。自分がやりたいことをやるというのが自分にとっての正解だ。そう考えるしかない。

冒険の最終目的は、日常生活に戻ることである。どうすればいいのかわからない状況を苦労して乗り越えると、やっと日常生活が手に入る。そういうわけで、これからの時代、日常生活というのはすごく貴重なものなのである。危機的状況を乗り越えると、この間まで退屈だった日常生活の貴重さがわかる。我々は日常生活に飽きてくると「もっと創造的で有意義なことがしたい」などと考えるが、今や日常生活を維持するだけでも充分創造的で意義のある冒険なのだ。