速水幹由(弁護士・MBA)

本稿は、「マックファン・インターネット」(毎日コミュニケーションズ)97年11月号〜99年3月号の奇数月号に、“弁護士から見たインターネット ネットワークの水平線”というタイトルで連載したエッセーの原稿を集めて、掲載したものである(但し、各号毎の記事タイトルは、連載時のものから変更した)。
インターネットの世界に「法と秩序」はもたらされるか(97年11月号)
インターネット上での出来事が社会の物議をかもしている。個人が自由に使える草の根メディアでありながら、世界に届く影響力をもつインターネットを野放しにしてよいのかというわけで、権力もその規制をしかけてくる。インターネットの世界の「法と秩序」は、これからどうなっていくのだろうか。
インターネットの爆発的な普及
ビジネスや経済だけでなく我々の生活の仕組みを変えてしまうだけのインパクトを秘めたインターネットが、爆発的な勢いで浸透している<郵政省電気通信局・電気通信における利用環境整備に関する研究会報告書「インターネット上の情報流通について」(平成8年12月)によれば、わが国インターネット利用者が平成7年7月の約160万人から平成8年7月の約500万人へ急拡大したと推定されている。>。
とはいっても、いまだフロンティアであり、これに伴う法律問題に関して判例や定説も確立せず、混沌とした状況にある。まさに、西部開拓時代のような自由と解放感を漂わせて、何でもありの世界が出現している。
インターネットは無法地帯?
インターネットによって、人類はその歴史始まって以来初めて、個人が他人のチェックを受けることなく意見を世界中に表明する手段を手に入れた(意見を広く世間に発表する手段としては、従来から雑誌等の印刷媒体があったが、誰でも書く機会を与えられるわけでもないし、字数、内容等、編集者のうるさいチェックが入って自由に書かせてくれない(^-^ )。手紙や日記なら、他人の干渉を受けずに書けるけれど、世間に広く発表しようとすればえらくコストがかかる。まして、世界中にばらまくなんてとてもできない)。
この画期的な特性を強調するあまり、「インターネットでは何をやろうと自由にすべきだ」という意見がある。しかし、そのようなことはありえない。国家権力を背景にして、法律は人間のあらゆる営みに及んでくる。仮想現実(バーチャル・リアリティ)なんて格好つけてみても、所詮、浮き世の現実の一部にすぎないから、法律から逃れることなどできない相談だ。インターネット上で他人の権利を侵害すれば、損害賠償責任や刑事罰を負わされる(いってみれば小説や映画だって仮想現実だけれど、その中で他人の名誉を傷つける表現をしたら責任を問われるし、テレビやラジオを使って詐欺を働けば処罰されるのと同じわけだ)。また、「Hな写真を見てなにが悪い。自由に見させろ」というのなら、インターネットの外でもそういうべきで、インターネットの世界だけをそうしようとするのは筋違いだ。逆に、エロ本を子供の目に触れさせるべきでないと思うのなら、インターネットでだって同じはずだ。
権力の逆襲
こういうと、「でも、インターネットの実態は何でもありじゃないか」と反論されるかもしれない。たしかに、そういえる。しかし、それは、今のところ権力が新しいメディアの出現に戸惑っているためにすぎない。
戸惑いの理由は3つある。1つめは、権力がまだインターネットの仕組みをよく理解できていないことだ。2つめは、まだ前例がなくて自信がもてないことだ(何しろ、権力を行使する役人は、前例のないことには臆病だから)。そして、3つめは、インターネットが国境を越えてしまうので、どこの国の法律を適用したらよいのかわからないことだ(早い話、国と国との縄張り争いみたいなものといえるかも)。
1つめと2つめの理由は、もう少し時間がたてば解決する。3つめが最も難問だが、これも条約を結んだりして決着をつけるだろう。
要するに、権力は必ず体制を立て直して、インターネットに法と秩序を確立しようとしてくると考えておいた方がいい(ちょうど、西部にやがて法と秩序が確立されたように)。我々としても、発信者であると同時に、いつ被害者にされるかわからない立場にもいるのだから、実際そうでなければ困る。
発信者責任の原則(発言の落とし前)
まず押さえておくべきことは、発信者は自分の発信内容について責任を負うという大原則だ。深夜テレホーダイを使って自室で1人キーボードを叩いていると、日記を書いているような気安さで人の悪口も書きたくなるかもしれない。しかし、一旦インターネット上のメーリング・リストやウェブページにアップすると、それは世界中にビラをまいたのと同じなのだ。いくら本人にそんな大それたことをした自覚がなくても、悪口を書かれた相手に及ぼす影響は甚大であり、その結果について責任を免れない。
この場合に、シス・オペやパソ通業者、プロバイダー等に責任を負わせるべきかどうかについては議論がある <東京地裁平成9年5月26日ニフティ事件判決は、発言者本人とともに、パソ通業者の委託によりその内容を評価・判断して投稿を削除できる権限をもち、フォーラムを運営・管理していたシス・オペに名誉毀損の投稿を放置した責任を負わせ、さらにパソ通業者にもシス・オペの使用者としての責任を認めた。>が、発信者自身が責任を負うことは間違いなく、自らの言動に落とし前をつけさせられる。たとい共同不法行為責任を負わされたパソ通業者等が被害者に損害賠償を支払ったとしても、その者は支払った賠償を責任割合に応じて発信者に求償できる。
アメリカ連邦通信品位法
ただ、権力は手っ取り早く法と秩序を確立するために、発信者自体よりも、金と力があって、立場上お行儀のいいプロバイダーの首根っこを押さえようとしがちになる。
たとえば、アメリカの連邦通信品位法は、未成年者がわいせつな画像や情報に触れることを防ぐために、故意に未成年者にそのような情報にアクセスさせたパソ通業者やプロバイダーを処罰する規定を設けた。これに対し、連邦最高裁判所は、その法律が「わいせつな」ものだけでなく、「下品な」ものや「明らかに不快な」情報についても規制しており、これらは要件が不明確で、必要以上に広範な規制をすることになるため、表現の自由を侵害し、憲法違反だとした(要するに、どこまでが許されてどこからが処罰されるのかはっきりしないので、パソ通業者等としては、保身のため何でもかんでもデータを削除することにもなりかねないというわけだ)。
つまり、連邦最高裁判所も、通信品位法の規定のしかたが漠然としすぎているから憲法違反だとしただけであって、未成年者を保護するために、プロバイダー等に責任を負わせること自体を否定したわけではない。だから、政府は、新たな規制を検討することになるだろう。
ブタを焼くために家を焼く
通信品位法に関する連邦最高裁判決の多数意見の中に、言論の制限が「ブタを焼くために家を焼く」(日本語の表現で言うと、「角を矯めて牛を殺す」)ことになりかねないという指摘がある。インターネットによって、人類は、個人が自由に世界へ意見を表明できる手段を手に入れたのだ。弊害の危険性に目を奪われて、インターネットの機能を損ない「ブタを焼くために家を焼く」ような規制がなされないように願いたいものだ。
こうした点もふまえ、コンピューターやインターネット、それにこれらを使ったニュー・ビジネスにまつわる法律問題について、これから連載の中で考えていこうと思う。
ベンチャービジネス、ニュービジネス、規制緩和の言葉を聞かない日がないほど、ブームになっている。インターネットを使って「一発当てる」ことを夢見るベンチャー起業家の予備軍も多い。しかし、時代の流れを読んで戦略を立てないと、規制に足をすくわれる危険もあるので、要注意。
孫氏の戦法
ベンチャービジネスの雄・孫正義氏は、「ベンチャー企業は規制の緩和を待つのではなく、規制にいち早く挑戦するのが大切で、それによって初めて大きなビジネスチャンスをつかむことができる」と語っている(97年9月11日付日経新聞17頁「起業と経営を語る」)。
私も、MBAの端くれとしては、心からそう思う。冷戦が終わって全世界が一つのマーケットになりつつあり、メガ・コンペティション(大競争)に突入した。そのため、孫氏もいうように、グローバル・スタンダード(世界標準)に合わせないと国際競争に取り残されてしまう。また、具体的な行動を起こすことで議論が巻き起こり、それが法的規制の緩和につながることも期待できる。そこで、新しい事業を起こすには規制緩和を待っているだけでは駄目であり、グローバル・スタンダードに照らして理屈に合わない規制には、果敢に挑戦することが大切だというのが、孫氏の戦法の骨子だ。
しかし、弁護士としての立場からみると、この戦法にリスク・マネジメントを加える必要があると思う。いくら経済的にみて不合理な規制でも法律がある以上、違法の扱いを受けるリスクを否定できない。しかも、インターネットを使ったニュービジネスのように法が想定していない場面では、そもそも規制が及ぶのかどうかもはっきりしないことが多い。かといって、君子危うきに近寄らずばかりでは新事業を起こすチャンスを逃してしまう。
そこで、今回は、ニュービジネス、とりわけベンチャービジネスと規制の問題、それにこういう問題に関する弁護士の活用法について考えてみようと思う。
敵を知る
規制に挑戦するにあたっては、先ず敵すなわち規制の本質を知る必要がある。
オンライン・ショッピングを例にとると、扱う商品が政令で指定された商品であれば、通信販売(訪問販売法2条2項・4項、同施行規則2条2号)としての規制を受ける。例えば、広告で表示しなければならない内容が決まっていて、これに従う必要がある(法8条)。
また、商品を渡す前に代金(代金の一部を含む)を先払いさせる販売方法をとるのであれば、遅滞なく(具体的には1週間程度)商品を届けない限り、申込を承諾するかどうかや、領収した金額、年月日その他、法律で決められた内容を、書面で遅滞なく通知しなければならないことになっている(法9条)。
この場合、費用や手間を考えると、インターネットの双方向性を活かしてメールの通知ですませたいところだが、法律は電子メールを想定して作られていないので、これについてイエスともノーとも言っていない。要は顧客に通知が伝わればよいことで、プリントアウトもできるのだし、嫌な人は利用しなければよいのだから、メールの通知でもよいのではないかという解釈もできなくはない。しかし実際に問題になったとき、裁判所がこの解釈を採用してくれる保障はどこにもない。むしろ、メールの認証システムが確立していない現段階でこれを認めると、改竄が簡単で証拠価値が弱いため消費者の保護に欠けるということで、どちらかというと反対説の方が強いようだ。
そこで業者としては、裁判で違法と判断されるかもしれない法的リスクをとってでも、コスト削減のためメールによる通知ですませてしまうかどうかの判断を迫られる(但し経営判断としては、紙の書面を送付しないような業者は信用できないということで、消費者に利用されなくなるリスクも考える必要がある)。
もし、この法的リスクを避けたいのであれば、代金引換や後払い方式をとった方がよいことになる(そのかわり、商品が受け取られず配送費を負担するリスクがあり、後払い方式では代金を踏み倒されるリスクも生じる)。
己(おのれ)を知る
ニュー・ビジネスの場合、他人が苦労してマーケットを開発してくれた直後に参入して漁夫の利を狙う、2番手戦略が有効なことが多い。しかし、これは先発よりも資本力、営業力に勝る者のとる戦略で、ベンチャーとしては、強力なライバルが参入する前に先回りして市場を押さえ、先行者利益を狙う戦略をとらないと勝ち目は薄い。
だとすると、規制が撤廃されてから準備したのでは遅く、現行の規制が続くかどうかの見通しをつけたうえで、早期に準備を始める必要がある。また場合によっては、敢えて規制に挑戦することも考えなければならないかもしれない。孫氏のいう、具体的な行動を起こすことで議論を巻き起こし、法的規制の緩和につなげるという戦法だ<例えば、宅配便業者と郵政省との間の郵便法解釈をめぐる攻防は、一昔前なら業者に勝ち目はなかったが、規制緩和の流れを受けて、今日では、なしくずし的に情勢が流動化してきている(朝日新聞95年8月11日付東京朝刊3頁等参照)>。しかし、これは規制権力や既得権を享受する企業を相手に回す挑戦なので、腹をくくってかかる必要があり、世論を味方に付けるための理論武装も不可欠だ。
「百戦危うからず」のための参謀活用法
技術力に優れたベンチャー起業家には、経営感覚、とりわけ経済や法律等社会科学的分野に弱い人が多い。技術者出身なら無理もないのだが、経営者である以上そうも言っていられない。そこで、「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず」という孫子の兵法を実践するためには、将たる経営者としていかにうまく参謀を使いこなすかが重要になる。
経営戦略構築のための参謀には、財務やマーケッティングの専門家だけでなく、法律の専門家も加えた方がよい。規制緩和が進むと、これまでのように予めお上から示されるご指導に従っておけば安心というわけには行かなくなる。問題が起きた後に裁判で決着を付けるため、時代とともに解釈が変わる可能性も含め、こちらの予想とは違う判決が出されるリスクを背負うことになる。この法的リスクのマネージメントだけでなく、規制の変動をビジネスチャンスにつなげるための見通しを読むうえでも、経営戦略に法的視点を盛り込むべき時代がきているといえるだろう。
ただ、立ち上がりで余裕のないベンチャー起業がこれらの人材を社内で抱えるのには無理があり、アウトソーシングで調達する方が効率的だ。法律の専門家については、顧問弁護士がこれにあたる。
但し、このように流動的な状況での法解釈を顧問弁護士に相談する場合、断定的な結論を要求することは避けた方がよい。そのような姿勢で意見を求めたのでは、弁護士としても保守的な解釈しか出せず、ニュービジネスの芽は初めから摘まれてしまう。法解釈の流動性を経営リスクと受けとめたうえで、有利な解釈の可能性を一緒に探るのが、このような場合の顧問弁護士活用法だ。
変革の時代のビジネスには旧来の方法が通用せず、戦国時代のような厳しさがある。しかし、競争条件が変化するからこそ、下克上を狙うベンチャーにも大きなビジネスチャンスが生まれるわけだ。そして、参謀の活用についても、従来とは違った方法を見つけることが、勝利への鍵になるといえるだろう<私の個人ウェブページ(http://www.asahi-net.or.jp/~nf5m-hym/)の中の「"規制緩和論"は本物か?」で、経済学の比較優位理論を当てはめて規制緩和実現の可能性を検討しているので、興味のある方はご覧戴きたい。>。
プロバイダは顧客のwp(ウェブページ)に責任があるか(98年3月号)
BBSは面識のない者同士が文字だけで意見を交わすため、つい話に角がたち、お互いエキサイトしてしまうことがある。インターネットも専門家が高尚な議論をしていた頃と違い、とんでもない内容を掲載するウェブページもみかける。これらで名誉を傷つける記事が流されているとき、被害者がとりうる対応策が問題になっている。
手っ取り早い方法?
もしパソコン通信の電子掲示板(BBS)やインターネット・ウェブページであなたの名誉を害する内容の記事が掲載された場合、あなたならどのような手を打つだろうか。まず発信者に掲載の中止を求め、応じなければ裁判に訴えるだろうか。でも裁判は面倒だし、弁護士に頼めば費用もかかる。第一、発信者の名前、住所、メールアドレスすらわからないときには裁判のしようがない。それより、そのBBSを開設、運営しているパソコン通信業者やそのウェブページのデータを蔵置、送信させているインターネット・プロバイダーに連絡して、名誉毀損記事の削除を請求した方が手っ取り早いと思うかもしれない。それに、BBS開設者やプロバイダーがこの請求に応じない場合に彼らを相手に裁判を起こせば、資力もあるので損害賠償もとりやすく、個人の加害者を相手にするより得策だと考える人もいるだろう。
法律論が絡むと?!
では、BBS開設者やプロバイダーは、被害者の請求に応じて問題の記事の掲載を中止する義務があるのだろうか、そもそも発信者の承諾をえないで記事を削除してもよいのだろうか。法律論が絡むと、そう簡単には割り切れない。
この問題は、法律家の間でも意見が分かれている。一方では、被害者保護を重視する観点から、現に名誉を害する記事が流されており、BBS開設者やプロバイダーは簡単に対処できるのだから、大量の記事をいちいち監視するのは無理だとしても、少なくとも被害者等から指摘をうけて記事の違法な内容を知りうる立場になった後は、削除等の措置を講じる義務があり、この義務に違反したときはそれによって拡大した損害を賠償する責任を負うという説がある。
他方では、誰かからクレームがついただけでプロバイダー等に記事の削除や表示停止措置を認めたのでは、発信者の表現の自由が危なくなるとして反対する説がある。もっとも、これに対しては、BBSやウェブページは、多くの人に見てもらうために送信される公然性のある通信であり、放送に似た性格があるので、放送に準じた規制をしてもよいという批判もある。しかし、放送の場合に一定の規制が認められるのは、周波数の割り当てに限度があり公平に使う必要があるためだが、BBSやウェブページにはこのような制約がないのだから、放送に準じた規制をすべき理由はない。
そこで、折衷的に、名誉毀損等の違法性が明白なケースに限って、BBS開設者やプロバイダーに削除等の権限と義務を認めればよいとする説もある。しかし、明らかに違法かどうかの判断もそれほど簡単ではない。プロバイダー等が記事の内容を明らかに違法と判断して送信を停止した後、発信者から訴えられて裁判で逆の判断が出たとき、損害賠償責任を負わせたのでは酷だ。かといって常に免責したのでは、プロバイダー等は、(明らかに)違法な記事を放置したときの被害者に対する責任だけを恐れ、少しでも怪しければ送信を停止しかねない。それでは、個人が自由に意見を表明できるインターネットの機能を殺してしまう。
私の見解!
私は、BBS開設者の責任とプロバイダーの責任とを区別して考えるべきだと思う。BBS開設者は掲示板を主催し、時にはシステム・オペレーターを使って議論のリードや整理もして、参加者の発言に積極的に関与することが多い。他方、プロバイダーは、単に顧客の発信する情報をインターネットの世界へつなぐ通路を提供するだけにすぎない(但し、BBS開設者かプロバイダーかは、個々のサービス内容によって決まり、同じ業者でも、パソコン通信で会員だけに掲示板サービスを提供するときはBBS開設者であり、インターネットの世界につなぐ通路を提供するときはプロバイダーの責任の問題になる)。
アメリカでは、名誉毀損の表現が流された場合、被害者に対するメディアの責任を3種類に分類している。出版社等(publisher)は、編集や出版の段階で内容を管理できるので、執筆者と同様の責任を負う。情報を配布する書店等(distributor)は、内容を知り(knew)、または知る理由があった(had reason to know)場合にだけ責任を負う。電話会社(common carrier)には責任を負わせない(棚橋元「コンピュータ・ネットワークにおける法律問題と原状での対応策(3)」NBL618号34頁参照)。
この考え方を参考にすれば、名誉毀損発言の掲示を放置した場合、BBS開設者は、内容の編集、削除権限を持つかどうか等掲示に対する関わり方に応じて、執筆者(発信者)と同様の責任を負うか、または違法な発言内容を知りえたのに掲示を放置した責任を負うことが多いだろう。システム・オペレーターを使ってBBSを管理していた開設者にその使用者責任を認めたニフティ事件判決(東京地裁平成9年5月26日)も、この考え方に合致するといえる。
これに対して、プロバイダーは、顧客がデータを送信するプロセスとして自社サーバーに自由に情報を蔵置させているだけで、情報内容には全く関与しないから、電話会社が回線を提供するのに近い。もっとも、電話会社が接続義務を負うのに対し、プロバイダーには契約を断る自由がある点は違う。しかし、電話会社に免責が認められるのは、この点よりも、通信システムに対する信頼性確保のため電話会社に通信内容への介入を禁止した裏返しの方が大きいと思う。だとすれば、プロバイダーについても、インターネット通信の信頼性確保のため電話会社に準じた扱いをするのが妥当だろう。すなわち、プロバイダーが名誉毀損の記事を放置しても被害者に対して責任を負わず、却って法律や契約上の根拠なしにウェブページの送信を停止すれば発信者に対して責任を負うことになる。
したがって、BBS開設者には原則として記事の削除等を請求できるが、プロバイダーにはできないというのが、私の結論だ。
被害者の保護はどうしてくれる?
「それでは被害者の保護はどうしてくれる?」といわれそうだ。結局私見では、被害者は、発信者自身を相手として送信差し止めの仮処分や訴訟を起こすなり、刑事告訴するほかない。発信者の氏名や住所がわからないときは、一種の便法だが、相手方を指定できない場合の証拠保全という手続を使ってプロバイダーから資料を入手する方法も考えられる。また、犯罪に当たるケースでは、警察に告訴して令状による強制捜査で資料を入手することもできる。要は裁判所の司法的手続に則って行うべきで、1プロバイダーの独断で送信を停止できるような解釈は危険だと思う。
そもそも現行の法律が予定しない新メディアを解釈で取り繕うこと自体にこそ、無理がある。プロバイダー等に対する加害者特定のための資料開示命令制度や、ネット上での公示送達制度等の立法を、速やかに検討すべきだろう。
新聞社等が発信する情報について、「リンクや引用の場合も含め、インターネットやLANの上での利用を希望されるときは、まず、発信元の新聞・通信社に連絡、ご相談をしていただくよう、お願いします」という、日本新聞協会の97年11月付見解が論議を呼んでいる。今回は、リンクを貼るのに法律上承諾が必要かについて考えてみたい。
ウェブページの著作権
新聞社の記事等に限らず、他人のウェブページ(以下、wpという)に掲載された文章や写真等は、著作権の保護がある(但し、著作権法10条2項で「事実の伝達にすぎない雑報および時事の報道」は著作物に当たらないとされるため、解釈上微妙な問題があるが、議論が拡がりすぎるので、ここでは著作物に当たる記事を前提に考える)。これらを無断で自分のwpにとりこんで複製したり、送信のためサーバーにそのデータを置くこと(公衆送信)は、原則として著作権の侵害になる(著作権法21条、23条)。もっとも、個人や家庭内で私的に使用するために複製することは承諾なしにできる(著作権法30条1項)が、wpで公開することはこれに当たらない。
リンクとは何ぞや?
では、他人のwpにリンクを貼ることは、複製や公衆送信に当たるだろうか。
リンクは、貼る側のwpのHTMLテキストに一定の印(タグ)をつけて貼られる側のwpのURLを書き込んだものだ。リンクを貼ったwpの読者がリンク表示部分をクリックすると、読者のコンピュータがHTMLテキストに書き込まれたURLを読みとり、リンクを貼った側のwpとの接続を切ったうえで、改めてリンクを貼られた側のwpに直接接続する。クリックするだけで紹介先のwpに飛べるため、まるでリンクを貼った側のwpを経由してリンクを貼られた側のwpが再送信されてくるように感じられるが、それは錯覚だ(だから、リンクを「張る」よりも「貼る」の方が適切だと思う)。他人のwpが紙媒体で紹介されれば、読者は自分のコンピュータにそのURLを打ち込んで接続する。あるいはCDやwp、メールの中でリンク機能を持たない通常の文章の一部としてwpのURLが紹介されていれば、打ち込む手間を省きコピー・アンド・ペーストでそのURLを入力するだろう。リンクは、クリックするだけでそのURLが入力され、読者のコンピュータが紹介されたwpへの接続作業を始めるように設定した仕組みにすぎない。だから、リンクは、紙媒体やメール等で他人のwpのURLを紹介するのと本質的に同じなのであり、複製や公衆送信とはいえない。
また、リンクを貼られる側からしても、wpを公開した以上第三者に紹介されることがありうるのは当然だし、むしろリンクを貼って紹介してもらうのを歓迎するのが普通だろう。もしそれが嫌なら、パスワードをかけるべきなのだ。
そこで、モラルの点は別として法律上は、他人の書籍やその出版元、他人のwpやそのURLを紙媒体やメール等で紹介するのと同様に、リンクを貼るのにも承諾を得る必要がないと考えるべきだと思う(私の知るかぎりでは、これが一般的な見解だ)。
リンクも貼り方次第では・・!
とはいっても、リンクの貼り方すなわち他人のwpの紹介のし方によっては、他人の権利を侵害し違法になる場合がある。
たとえば、wpの内容や作者を誹謗中傷するコメントを付けてリンクを貼れば、名誉毀損や業務妨害になりうる。しかし、それはコメントの内容が違法なのであって、リンクそれ自体の問題ではない。
また、他人のwpに使われているイメージ作品や写真(gifデータ)にリンクしたり、リンク先のwpがフレームの中に表示され、フレームの中も含めた全体がリンクを貼った側のwpの内容であるかのように見える形になるようにリンクを貼ることは、著作者人格権のうちの氏名表示権や同一性保持権(著作権法19条、20条)を侵害する疑いが強い。しかし、これも他人のwpやイメージ作品等を自分のwpと混同させたり、フレームの外と一体となって本来とは違った表示になる見せ方が問題なのであって、無断リンク自体の問題ではない。ちなみに、アメリカのトータルニュース社が自社wpのフレームの中に、リンク先の世界各国のメディア企業のニュース画面を表示させ、これとあわせて自社の商標や独自の広告を掲載したところ、いくつかのメディアから情報の不正目的使用や商標権の侵害等を理由に提訴されたが、和解によりフレーミングをとり止めた事案がある。これには日本の全国紙5社も巻き込まれたが、抗議文書を送付したのに応じて、フレーミングが停止されたようだ(日経新聞97年12月17日付朝刊13頁・98年1月27日付朝刊13頁、http://www.asahi.com/flash/tokuhou/tokuhou980126.html)。
びびり効果とネチケット
引用については、公表された著作物を公正な慣行に合致するしかたで、かつ、報道、批評、研究等正当な目的で引用して自分の著作物の中に利用することは、著作権者の承諾を得なくても認められる(著作権法32条1項)。但し、引用して利用する側の著作物と引用されて利用される側の著作物とを明瞭に区別して認識でき、かつ、それらの著作物の間に引用する側が主、引用される側が従の関係がなければならないとされている(パロディモンタージュ事件の昭和55年3月28日最高裁判決)。なお、他人の著作物を評論する際、逐一そのまま引用しなくてもよく、評論する者が評論に必要と判断する限度で、その一部を引用または要約することも許されるとした裁判例がある(平成4年2月25日東京地裁判決)。
まして、他人のwpやそのURLを紹介するだけで、内容の引用にも当たらないリンクを貼るのに、承諾は必要ないはずだ。
新聞協会の見解をみて、新聞社のwpに限らず、他人の著作物を引用したり、リンクを貼るには、いちいち承諾を得ないと違法になるかもしれないとびびってしまった人も多いようだ。もし、必ず事前の承諾が必要だとすると、OKの返事がくるまでリンクを貼れないし、後日の紛争にそなえて承諾メールを保存しておくといった窮屈なことになりかねない。いうまでもなく、リンクはインターネット・ウェブの命だ。このようなびびり効果のために命の泉であるリンクを枯渇させないように願いたいものだ(びびり効果、上品には萎縮効果のことを、英語でチリング・エフェクトといい、アメリカ連邦最高裁の通信品位法判決でも、基準の不明確な規制が表現の自由を不当に萎縮させるとして、違憲の根拠に使われたほどだ)。
記事の全文転載や原作品を読まなくても内容が分かるような要約を「引用」と称して平気でwpに利用する事態が横行している現状で、情報ビジネスを展開しようとする新聞社等がその経営資源を守るため危機感を抱くことはよくわかるが、それにしても今回の見解はやや適切さに欠けるのではないかという気がする。この見解全体を通読すると、法律上の根拠をもつ要求ないし警告と単なるモラルに基づく要望とをごっちゃにして「お願い」という形にしているように、私には思われる。
但し、リンクを貼るのに法律上承諾を得る必要がないという私のような見解に立っても、モラルの点は別だ。上に述べたように、リンクの貼り方によってはリンクを貼られた側の利益を害することもありうるし、リンクの挨拶メールを送る慣行もできつつあるようなので、少なくともリンクを貼ったことを連絡してチェックの機会を与えるのがネチケットだとはいえるだろう。
改正風営法はネット映像ビジネスにどんな影響があるか(98年7月号)
改正風営法が成立した。従来、風俗関連営業とされたヌード劇場等の「店舗型」のほか、新たに派遣や通信販売による「無店舗型」および電気通信設備を使う「映像送信型」もあわせ、性風俗特殊営業として規制する(来年4月施行予定)。しかし、「映像送信型」の規制には、インターネットの発展にとって重大な問題をはらんでいる。
ネットに関連する改正風営法の内容
「映像送信型性風俗特殊営業」とは、「専ら、性的好奇心をそそるため性的な行為を表す場面又は衣服を脱いだ人の姿態の映像を見せる営業で、電気通信設備を用いてその客に当該映像を伝達すること(放送又は有線放送に該当するものを除く。)により営むもの」(2条8項)をいうと定義されている。インターネットを介して映像を販売するのが、その典型例だ。
この営業をするには公安委員会に届出が義務づけられ(31条の7)、また客が18歳以上であることの確認なしに上記の映像を送信することは禁止される(31条の八4項)。そして、公安委員会は、風営法や条例等に違反した業者に対し、指示、命令を出すことができる(31条の九1項、31条の十)。
そればかりでなく、プロバイダにも、そのサーバーに映像型性風俗特殊営業者がわいせつな映像を記録したことを知ったとき、その映像の送信防止措置を講じる努力義務を課している(31条の八5項)。この義務を守らないプロバイダに対しては、公安委員会が予め郵政大臣と協議した上で、必要な措置をとるよう勧告できるとされている(31条の九2・3項)。
問題点
「専ら、性的好奇心をそそるため」という要件の「専ら」とは、100パーセントではなく、「主として」というニュアンスで解釈・運用されるようだ(100パーセントだとしたら、何かもっともらしい目的を付け足すことで逃げられる)。「衣服を脱いだ人の姿態の映像」というのも曖昧だ(西洋のゲイの中には、日本の大相撲を主として性的好奇心をそそる目的で見る人もいるそうだ(^-^))。
よく「現実の世界で違法なものはネット上でも違法にすべきだ」といわれるが、そんなことは当然だ(というより、ネットも現実の世界の一部なのだ)。だから、ネット上のわいせつ映像も当然刑法のわいせつ規定で処罰できる。それにもかかわらず、インターネット上の映像についてだけ一般の書籍等にはない面倒な規制をかけるのは、刑法の「わいせつ」に当たらない程度の広い内容のものを主なターゲットにしていることにほかならない。
アメリカ連邦最高裁は、受信者が18歳以下であることを知りながら、わいせつな情報(画像を含む)にアクセスさせた発信者およびプロバイダを処罰する通信品位法(CDA)について、「わいせつ」なものだけでなく、「下品な」(indecent)ものや「明らかに不快な」(patently offensive)ものまで対象にする規定は、要件が不明確で必要以上に広範な規制だから、表現の自由を侵害し憲法違反だとした(本誌97年11月号143頁拙稿参照)。
「わいせつ」といえない程度の「専ら、性的好奇心をそそるため性的な行為を表す場面又は衣服を脱いだ人の姿態の映像」を規制することは、CDAが「下品な」画像を規制したのと大差がない。しかも、風営法では、受け手の年齢が18歳未満だと知らなくても免責されず、年齢確認を義務づけられ、これを怠ると公安委員会から是正命令を受け、従わないと処罰(6月以下の懲役もしくは50万円以下の罰金または併科)される(31条の八3・4項、31条の十、31条の十一2項2号、49条3項11号)ので一層厳しい。もっとも、プロバイダについては「わいせつ」映像の記録を問題にし処罰規定もないが、努力義務が課され、行政指導に逆らってまで問題映像の送信を続けるプロバイダなど、通常ありえない。結局、裁判所の司法判断を経ずに表現の発表を停止されることにはかわりがない。
つまり、アメリカが違憲としたのと実質的に同様の危険をもつ法律を、日本で新たに立法したことになる。しかも、それは、「行政による事前指導から司法による事後審査へ」という規制緩和の時代の潮流にも逆行するものだ。そのほか、プロバイダがわいせつ映像の記録されたことを知ったときからとはいえ、その送信防止措置をとる努力義務を課したことは、公開後に内容を審査して以後の発表を停止することも検閲の一種である以上、プロバイダによる検閲を禁止した電気通信事業法(3条)との整合性の点でも問題がある(本誌3月号134頁拙稿、「インターネット法律案内」日本評論社191頁拙稿参照)。
映像ニュービジネスへの影響
日本レコード協会が音源供給管理会社を設立し、ネットを介して音楽ソースをソフト会社等事業者に販売する計画がある(5月4日付日経朝刊13頁)が、同様のことは、当然、映像ソースでも考えられる。さらには、作者個人がインターネットで作品を直接販売するニュービジネスも、期待されている(3月8日付日経朝刊14頁・野口悠紀雄氏)。
その場合、個人映像作者は、プロバイダのサーバーに映像データを記録させて公衆に送信するのが普通だろう。しかし、その表現が「衣服を脱いだ人の姿態の映像」を含む限り、映像作者は「映像送信型性風俗特殊営業者」に当たる可能性がある。また、プロバイダは問題を避けるため、少しでも怪しい映像データがあれば、予め当局に「映像送信型性風俗特殊営業」に当たるかどうかお伺いを立てるよう映像作者に要求し、それまで表示停止措置をとることも予想される。
電子商取引で最も有望なのは、配達の必要がないソフトやデータの送信販売だ。電子商取引を推進するための日米首脳共同声明で、「ポルノなど有害情報の政府規制も最小限にとどめる」という条項が盛り込まれることになったのも、そのためだ(5月2日付日経夕刊1頁)。ところが、海外発信や無料提供の映像には適用されない風営法は、国内から発信する映像ビジネスだけをねらい打ちにして面倒な規制をかけるものだ。これでは、インターネットの世界市場の中で、日本のプレーヤーにだけハンディを負わせ、わが国映像ソフト・ビジネスの芽を摘むことになりかねない。
しかも、重要な文化的、経済的国益を犠牲にしながら、海外発信等の映像は野放しのためその効果は尻抜けだ(結局、受信側でフィルタリングするのが最も効率的なのだ)。
”think different”だけでよいのか?!
マックファンには、映像に関わる人が多い。おそらく皆さんは、私のような左脳人間ではなく(私もマックユーザーだけれど)、感性豊かな右脳人間だろう。
そのためか法律、経済などには関心が薄いようで、この連載に対する反響も残念ながら高くない(筆者が悪いといわれればそれまでだが、私の他誌や個人HPの記事と比較してもそうなのだ)。しかし、皆さんが無視しても、法律の方は放っておいてくれない。敢えて挑発的にいわせてもらうと、「マックファンよ、たこつぼ的に”think different”してるだけでいいのか」といいたい。
それにしても、CDAのときはアメリカ発の「黒リボン」が日本のウェブでも大流行だったのに、足下の風営法に対する関心が盛り上がらないのはなぜだろう。日本のネチズンやベンチャー・ビジネスマンが底の浅いアメリカかぶれとも思えないのだが・・・。
ネチズン、とりわけ映像に造詣の深いマックファンには、自分たちの問題として改正風営法に関心を持ってほしいものだ。
リンクを貼ったらリンク先の内容に責任を負うか(98年9月号)
リンクはインターネットの命の泉であり、これによって自律的に分散、点在する情報源を関連づけて統合することができる。ところで、他人のウェブサイトにリンクを貼った場合に、リンク先が違法なコンテンツを含んでいたようなとき、リンクを貼った者も責任を問われるのだろうか。刑事責任と民事責任に分けて考えてみたい。
紹介者の責任
他人の意見や表現は、あくまでもその他人のものであって、紹介者のものではない。その内容について責任を負うのはその発言者自身であって、紹介者は基本的に責任を負わない。他人の意見等を紹介しただけでその内容について責任を負わされたのでは、報道も批判も危なくてできず言論が萎縮してしまう。
例外は、他人の意見や表現を推奨したり、その内容の正しさを保証したりした場合だ。この場合には、推奨、保証行為をしたことの自己責任として、紹介者も責任を問われることがありうる。
リンクの機能
5月号で述べたとおり、リンクは、読者がクリックすると読者のコンピュータがリンクを貼ったウェブページのHTMLテキストに書き込まれたURLを読みとり、リンクを貼った側のウェブサイトとの接続を切ったうえで、改めてリンクを貼られた側のサイトに直接接続するように設定した仕組みにすぎない。したがって、リンクを貼ることは、書籍等で他人のサイトのURLを紹介するのと本質的に同じことなのだ。敢えてこれらとリンクとの違いをあげれば、リンクの場合には、読者が紹介先のサイトのURLを一々手動で入力する作業をリンク表示部分をクリックするだけですむように自動化、簡略化されている点だけだ。
このようにリンクも紹介にすぎないのだから、一般的に他人の意見や表現を紹介する場合と同様に考えてよいはずだ。例えば、エッチ系サイトのリンク集や人気サイトのリンク集でわいせつサイトにリンクを貼っても、それが単なる紹介にすぎない限り、リンクを貼った紹介者が責任を負うべき筋合いはないはずだ。
リンクの刑事責任?
ところが、警察や検察当局はそうは考えていないようだ。起訴猶予に終わったものの、広島県警は、リンク先のサイトにわいせつ画像があったケースを摘発した。また、シェアウェアのマスクソフトを販売するサイトから、そのソフトを使ってマスクをかけた画像を掲載しているサイトに、予めメールで連絡し了解を得た上で相互リンクを貼ったケースについて、わいせつ図画公然陳列幇助罪で起訴され、現在、大阪地裁で裁判中だ。
しかし、リンクを貼られるかどうかと関係なくわいせつ情報をサーバーに蔵置することが公然陳列行為だから、リンクで紹介しても公然陳列行為を助けることにはならないはずだ。リンクを貼ることで発信者を励まし精神的に幇助するという見解もあるが、積極的に推奨するならともかく、単に紹介するだけではそうはいえない。そうでないと、ある映画がわいせつ物とされたとき、これを紹介した映画情報誌も幇助犯で処罰されるという不当なことになる。
さらには、自らわいせつ情報を蔵置しなくても、リンクを貼ることによって「わいせつ情報への認識可能性」を設定した以上、幇助犯ではなく、公然陳列罪の正犯に当たるという学説(山口厚「コンピュータ・ネットワークと犯罪」ジュリスト1117号73頁)もある。
しかし、データをサーバーに蔵置すれば「わいせつ情報への認識可能性」を備える(それだけで、検索ロボットを使うサーチエンジンによりネットサーファーがアクセスできる可能性を生じる)のであり、リンクを貼られることによって認識可能性が「設定」されるわけではない。もし、この場合でも情報への認識可能性の「設定」に当たるとすれば、わいせつサイトに関する情報を掲載した書籍の出版、販売も、同様に処罰の対象になりうることになってしまう。もっとも、上の学説は、書籍での紹介も認識可能性を設定する行為だが、行為と情報との密接性がないため処罰されないという。しかし、書籍でのURLの紹介とリンクとの違いは、紹介された読者が一々手動でURLを入力する手間を省く点だけであり、情報との密接性に本質的な差はない。しかも、事はわいせつの問題に止まらず、法律理論としては普遍的に適用されるから、言論の自由に対する悪影響(萎縮効果)があまりに大きすぎる。たとえば、宅配便サービスは郵便法違反だとかデリバティブは賭博罪を構成するという考え方もあり、当局がこれらの説を採用すると処罰されうるのであれば、宅配便やデリバティブを紹介した報道、出版やウェブページにリンクを貼ることもこわくてできなくなってしまう。このような解釈は、報道、言論を萎縮させるだけでなく、インターネットの命の泉を枯らして、日本を情報後進国へ落とし込むことにならないかと危惧される。
いずれにせよ、リンクに関する問題をはらむ大阪地裁の判断が注目されるところだ。
リンクの民事責任?
たとえば、バーチャルショップのリンク集を作ったところ、その中に違法取引のショップがあり、リンク集からそのショップに飛んで被害に遭ったような場合、被害者はリンク集の開設者に損害賠償を請求できるだろうか。
基本的には、単なる紹介によって責任を負うことはないとみるべきだ。
ただ、刑法の幇助犯は故意だけが罰せられるが、民法の不法行為では過失でも責任を負うので、やっかいだ。自分では推奨したり保証したつもりはなくても、第三者からみて推奨や保証をしたと通常受け取られるような表現をつけてリンクすると、賠償責任を問われる可能性がある。これは、推奨リンク先の内容がリンクを貼った当時のままである場合だけでなく、リンクを貼った後で知らないうちにリンク先が違法な内容のものに変えた場合でも同様だ(この場合、故意はないが、リンクを貼った後リンク先の内容の監視を怠ったことによる、過失の問題になる)。殊に、新聞広告に関する判例(最判平成元年9月19日)で、その内容が真実かどうかを疑わせる特別の事情があり、読者に損害を及ぼすおそれがあることを予見し、または予見できた場合、新聞社には虚偽広告を提供しないように調査確認する義務があると述べたものがあり、バナー広告のリンク等でも同様に考えられるだろう。
また、スーパーマーケットの中にあるテナント店のペットショップが販売したインコの病気のために買主に損害が生じたケースについて、一般の買物客がショップもスーパーの経営と誤認するのがやむをえない外観があれば、商法23条(名板貸人の責任)の類推適用により、そのように誤認してショップと取引した買物客に対してスーパーも責任を負うとした判例(最判平成7年11月30日)もある。バーチャルショップのサイトを開設し、そのテナントという形で各販売業者のサイトにリンクを貼る場合には、これと同様に解される余地がある。
法的リスクヘッジ!
バーチャルワールドの法的問題は、まだ判例も少なく学説も固まっていなくて、リアルワールドでの判例等から推測するほかない分野が多いため、法的リスクが大きい。そこで、リスクヘッジを講じておくことが望ましい。
たとえば、念のためリンク集に「ここで紹介するウェブサイトは、その内容を推奨、保証するものではなく、自己の責任で利用して下さい」というような断り書きを入れたおいた方がよいかもしれない。
殊に、アダルトサイトにリンクを貼るときは、上述の私見が将来の判決内容になる保証はなく、当局の見解や学説の中には反対説もあることを考慮に入れ、腹をくくって自己責任でリンクを貼っていただきたい(これは、私自身のリスクヘッジだ(^-^))。
公開されたwebページ(web)や多数の者が参加するメーリングリスト(ML)に記載した内容は、瞬時に世界中を駆けめぐる。その簡単さのために本人は気軽に発信するが、客観的な影響は意外に大きく、不用意な表現が他人に大きな被害を与えることもある。今回は、表現に伴う発信者の法的責任の問題について検討してみたい。
発信者自身が編集者
従来のメディアでは、公然と意見を発表するのはなかなか容易でない。放送や出版は誰にでも使える手段ではないし、よくも悪くも編集者等のチェックが入って表現が規制される。また、人中で怒鳴り散らすとかビラをまくといった単純な手段でも、かなりの非日常的な勇気を必要とするから、それなりの覚悟をもって行動するのが普通だろう。
ところが、インターネットは、誰のチェックも受けないで手軽に個人的な表現を世界中へ向けて発表できてしまうメディアだ。たとえば深夜ひとりワープロで日記を書くという極く私的かつ日常的な活動から、いきなりその内容を世界中に発表するという結果を引き起こしてしまう。その途中に介在するのはキーボードやマウスの操作にすぎず、日記作成の過程と同質の行為だけだから、それなりの覚悟もないうちについつい感情の赴くまま送信してしまいがちだ。しかし、それによって生じる客観的な結果は、世界中にビラをばらまいたのと同じことになる。そのため、行為者自身は大したことをしたつもりがなくても、それによって生じた大それた結果について責任をとらされることにもなりうる。
つまり、公開されたwebページ(web)や多数の者が参加するメーリングリスト(ML)で表現行為をする場合、発信者自身が、一人で雑誌等の執筆者と編集者の立場を兼ねなければならないのだ。そこで、発信者も表現に伴う法的責任の問題を意識しておいた方がよい。
ネットの公然性
民法上の不法行為は、故意または過失により他人の利益を侵害して損害を与えることで成立する(709条)。他人の利益には、他人の名誉、信用等も含まれる。特定の個人宛に送った手紙の中で他人を誹謗中傷するような行為も名誉毀損の不法行為が成立するが、不特定又は多数の者にわかるように公然と言いふらす方が、被害者に及ぼす損害(その賠償額も)が大きいことは当然だ。
また、刑法上の名誉毀損罪(230条)や侮辱罪(231条)では不特定または多数の人が知ることのできる状態で行うこと、虚偽風説流布による信用毀損罪(233条)では不特定または多数の人に嘘の噂を広めることが、犯罪の成立要件にされている。
公開されたwebや多人数の参加するMLが、この公然性をそなえていることは明らかだ。
表現の自由との調整
しかし、表現行為は人間の尊厳を保持するための不可欠の手段であり、民主主義を保障する抵抗の武器(民主主義の結果として表現の自由があるのではなく、民主主義実現の手段として表現の自由がある)なのだから、社会的評価の低下を被る人の不利益と表現の自由や知る権利とを調整する必要があり、そのための基準が法律の規定や解釈によって用意されている。
すなわち、刑法(230条の2)では、他人の名誉を毀損する行為であっても、公共の利害に関する事実(事実の公共性)について、もっぱら公益を図る目的(目的の公益性)で行った場合に、その事実が真実であることの証明(真実性の証明)があったときは、名誉棄損の罪に問わないと規定している。さらに判例(最判昭和44年6月25日)で、この場合に、たとえ事実が真実でなくても、行為者がその事実を真実だと誤信したことについて、確実な資料、根拠に照らし相当の理由があるときは、犯罪の故意がなく名誉棄損罪が成立しないと解釈されている。
民事上でも、真実性の証明があるときは違法性がなく、また事実を真実と誤信したことに相当の理由があるときも故意、過失がないとして、不法行為の成立を否定する判例(最判昭和41年6月23日)が出されている。
しかし、上記のような判例があるからといって、不用意な表現をしないようにしてほしい。あくまでも、「その事実を真実であると誤信したことについて、確実な資料、根拠に照らし相当の理由があるとき」等の厳しい条件がついている。自分の独断でこの条件を充たすと考えても、訴訟になったとき最終的な判断を下すのは裁判官であり、あなたと同じ判断をしてくれる保障はない。インターネットという公然性のあるメディアを使って他人の社会的評価を下げ心の血を流させる以上、表現者としても腹をくくった覚悟が当然必要だ。
被害者の対抗措置
名誉毀損の被害者は、加害者の処罰を求めて警察に告訴できるし、民事上では、侵害行為の差し止めや、名誉回復処分(謝罪広告等)、損害賠償を請求できる。
ただ、被害者がこれらの法的手段に訴えるのはなかなか大変だ。また、訴訟で名誉毀損が認定されても、謝罪広告等が認められることは少なく、認容される賠償額も十分とはいいがたい(マスコミによる名誉毀損について、慰謝料100万円の相場ができているとの指摘もあるー升田純「名誉と信用の値段に関する一考察(1)〜(3)」NBL627号以下連載)。そのうえ、インターネットでは匿名の表現が可能なので、加害者を特定することすら困難だし、発信者は新聞記者や雑誌編集者のようなプロ意識もないから、無責任な発言がまかりとおる。
そこで、手っ取り早く立場上お行儀のいいプロバイダの首根っこを押さえるような規制をかけようとしたり、さらにはインターネット利用者にも運転免許のような免許制を導入し、違反点数がたまったら免許を剥奪するという規制手段まで提唱されている(紀藤正樹「リレー討論・ネット社会どう生きる(2)」1998年3月15日付け日経新聞14頁)。
自己責任の鉄則!!
「現実社会で許されないものなら、ネット上でも許されるはずがありません。インターネットの世界だから特別に許されるという考えは本来成立しない。そんな甘えが、犯罪やトラブルを増加させているのではないでしょうか」という紀藤弁護士の発言には、私も全面的に賛成だ。
しかし、これは発信者の自己責任を導く根拠にとどめるべきで、そこからプロバイダ規制や発信免許制につなげるのは、はっきりいって論理の飛躍だと思う。これでは、無責任なドライバーが暴走して事故を起こすから高速道路を規制せよとか、電話を悪用する者がいるから免許制にせよというようなものだ。たしかに高速走行は危険を伴うし、電話がしばしば犯罪に悪用されていることも事実だろう。だからといって、高速道路を規制して低速道路にしたり、免許がないと電話を使えないようにしたのでは、「ブタを焼くために家を焼く」(角を矯めて牛を殺す)ことになる。高速走行は高速道路の本質だし、個人が自由に発信できることは電話やインターネットのような通信システムの命なのだ。
あくまでも行為者の自己責任を追及するべきであり、その方向で法(裁判官がプロバイダーに対して加害者特定のための資料開示を命令できる制度や、ネット上での公示送達制度の立法等)を整備すべきだ。断じて、道路公団やプロバイダの管理に転嫁すべきじゃない。悪用する者がいるからといって、人類がせっかく手に入れた画期的なメディアの命を奪わないでくれといいたい(紀藤弁護士の記事をみたとき、「だから法律家は嫌いなんだ!」と、自分も弁護士であることを忘れてトサカにきてしまったのだった(^-^;)。
匿名発言を保護すべきか(99年1月号) これまで現行法の解釈の枠内で、私がイメージするインターネット規制のありようを検討してきた。具体的には、人類が初めて手にした草の根メディアであるインターネットの命を護るため、発信者責任の鉄則を貫徹し、プロバイダの管理責任に転嫁すべきでないという発想だ。今回は、この発想を前提に、立法論に踏み込んで検討してみたい。 匿名発信の問題点 嫌がらせを心配せずに少数意見を表明するには匿名発言が必要な場合もあるし、匿名だからこそ目立ちたがり屋さんでない人も気安く発言できて議論が活発化し、社会の自由な雰囲気が醸成される面もある。そのため、匿名発信の場合にも憲法の「表現の自由」や「通信の秘密」保護が及ぶというのが、一般的な解釈だ。 現行法の下での対処 私は、BBS開設者(パソコン通信)には原則として掲示板の表示内容について管理責任があり、削除を請求して応じなければその責任を問いうるが、プロバイダは電話会社と同様であり、顧客の発信するwebサイトの内容に責任を負わないという立場をとっている。もっともプロバイダは、被害者等からクレームが付いたときwebデータの一時表示停止措置をとる権利を、顧客との契約で留保しておくことができるが、その権利を行使して実際に表示を停止するかどうかは自由であり、プロバイダが応じなければ、被害者としては発信者を相手に請求するほかないと考えている(本誌3月号134頁、「インターネット法学案内」189頁各拙稿参照)。 私の立法提案 政府部内でも、この点の立法検討作業に着手しているようだが、この際、私なりにあるべき立法の内容を提示してみたい。 偽名や住所不明等の場合 もっとも、発信者がプロバイダと契約した際の氏名が偽名だったり、転居していれば、裁判を始める前提である相手方への呼出(送達)ができない。そのうち転居による住所不明なら、公示送達といって裁判所の掲示板に訴状等を貼り付けて掲示することで送達したことにできる制度が使える。しかし、顧客が偽名でプロバイダと契約してwebページを送信しているときには、この方法も使えない。そこで、こういう場合には、インターネット上でURLを特定して公示することで送達したことにできるようににするのがよい。 私の基本的立場 毎度同じことの繰り返しで恐縮だが、私は、インターネットは単なるビジネスや趣味の手段にとどまらず、政治、文化を含めた社会生活全体の有りようを根底から変革するだけの可能性を秘めた社会的インフラだと見ている。社会に及ぼす潜在的影響力は、電話に勝るとも劣らないものがある。だから、通信システム全体に対する信頼性を確保するため、プロバイダを電話会社に匹敵するコモンキャリアと位置づけ、通信内容(コンテンツ)に介入する権限も責任も付与すべきではないと考える。名誉毀損等の紛争は加害者(発信者)と被害者との間で直接に解決すべき問題であり、プロバイダを巻き込むべきではない。個人情報開示のような難しい法的問題についても、第三者機関で処理することとし、プロバイダにはリスクフリーのニュートラルな立場に貫徹させることが必要だ。そして、その重要性からすれば、単なる1業法で設置するような第三者機関で対処するよりも、司法機関のコントロールこそがふさわしいと思うわけだ。 パソコン通信やBBS管理者とインターネットプロバイダの責任をどう区別すべきか(99年3月号) 年末、年始に、インターネット絡みで、社会の注目を集める事件が続発した。年末の事件ではプロバイダーによるウェブページの管理責任、年始の事件では掲示板(BBS)への書き込みに関する管理者の責任が問題になった。両者の違いを検討するとともに、マスコミの皮相な論調を批判したい。 プロバイダと掲示板管理者の責任の違い 年末の事件はウェブページを通じて青酸カリが販売され、購入者が服用して自殺したケースだ。これには又しても、マスコミで、「ホームページ開設者と契約するプロバイダーは違法行為には毅然と対応してほしい」(98年12月27日付読売朝刊3頁社説)とか、「ネットの利便性を享受するのであれば、一方で相互に監視しなければならない。それがネットの恩恵を受ける者の最低の義務なのだ」(98年12月28日付読売朝刊1頁「ネットの暴走・下」)、あるいは「私信であるメールは別にしても、掲示板などの公の部分については、プロバイダ(接続業者)による自主規制を厳密に行うなど対応策を考え直すべき時期だろう」(98年12月28日付日経朝刊23頁稲増竜夫法政大教授コメント)といった論調が展開された。他方、年始のケースは、掲示板にある女性の氏名住所を明記して、その女性に対するレイプを依頼する書き込みをしたケースだ。こちらの方は、掲示板の管理者が自主的に書き込みを削除したうえ、会員から通報を受けた警察の捜査によって容疑者も逮捕された(99年1月11日付日経朝刊35頁) 通信システムの信頼性とコモンキャリアの中立性 もちろん法律を金科玉条のように振りかざして、プロバイダの管理責任を否定するのはナンセンスであり、先ず何故法がそのような規定を置いているのかを立法趣旨に遡って検討したうえで、この立法趣旨を新たなメディアであるインターネットにどう対応させるべきかを考えるべきだろう。 社会的インフラとしてのインターネットの意味 ウェブページ(コンテンツ)に関するプロバイダの管理責任を肯定するか否定するかについても、結局、インターネットを雑誌のような私的メディアとみるか、それとも電話のような公的・社会的インフラと位置づけるかという問題に帰着する。 負の側面への対処とマスコミの認識 もちろん、それとは別に、発信者の自己責任を追究すべきだし、被害者の救済措置も講じる必要がある。もっとも、発信者の氏名や住所がわからなければ訴えようがない。しかも、プロバイダが被害者に匿名発信者の氏名等の個人情報を教えることは、プライバシー侵害になりかねない。そこで、例えば、郵政省では、第三者機関がプロバイダに顧客個人情報の開示を命令する制度の立法化を検討している(98年11月28日付日経朝刊38頁)。これは、プロバイダが第三者機関の命令に従って個人情報を開示しても違法性が阻却されリスクフリーになるものであり、プロバイダの管理責任免除と被害者救済の両立を図る制度として大いに評価できる(但し、私は、第三者機関を新設せず裁判所に委ねるべきだと考えている点につき、本誌99年1月号124頁拙稿参照)。
反面、匿名を隠れ蓑にして無責任な誹謗中傷発言をする輩がいることも否定できない。これはトイレの落書き等で昔からもあったのだが、インターネットでは、世界中から見られる上、被害者が自分で消すことが不可能だし、管理者に頼んでも、通信の保護が絡むためトイレの管理者のようにおいそれと消すわけにはいかない。
しかし、発信者の氏名や住所がわからなければ訴えようがない。しかも、プロバイダは、被害者に匿名発信者の氏名等の個人情報を教えることは許されないというのが多数説であり、私もそう解する。なぜなら、氏名等の個人情報はプライバシーに関わるし、これを安易に教えたのでは匿名発信の保護が無意味になるからだ。
だからといって、現に匿名を隠れ蓑に誹謗中傷するwebページが送信され続けているのに、加害者の保護だけを図って、被害者が裁判を起こすための資料も入手できないまま放置したのでは、あまりに理不尽だ。
そこで、本誌3月号拙稿では、とりあえず現行法上の便法として証拠保全制度の活用を提案するとともに、プロバイダに対する加害者特定のための資料開示命令制度の創設等、立法による解決の必要性を力説したわけだ。
まず、個人情報の開示請求の方法としては、被害者がプロバイダに直接請求する方法と、第三者機関に申し立て、その審査を経て第三者機関がプロバイダに開示を命じる方法が考えられるが、どちらがよいだろうか。
私は、第三者機関方式にすべきだと思う。通信の保護という憲法上の重大問題を1会社に審査させるのは適当でないし、その判断に不服を持つ者から損害賠償責任を追及されるリスクを負わせることになる点で、プロバイダにも酷だからだ。
では、この第三者機関はどのような性格のものがよいだろうか。
私は、民間の特殊法人や行政機関等ではなく、端的に裁判所にすべきだと思う。民間法人や行政機関に審査させても、その判断に不服のある者は結局裁判に訴えるのだから、このような機関を作ることは屋上屋を架すことになる。また、民間法人等の判断に従って個人情報を開示したプロバイダが、顧客との訴訟で本当に免責されるのか不安も残る。それに、これでは「行政による事前指導から司法による事後審査へ」という規制緩和の流れにも逆行する。インターネットの問題といっても、中身は名誉毀損等の表現の問題にすぎないから、裁判所の得意分野なのだ。コストの面でも、新たな機関を設置するより、必要なら裁判所の増員で対処する方がはるかに安上がりだろう。
具体的には、被害回復のため匿名発信者(加害者)を相手方として送信停止仮処分や訴訟を提起する必要がある場合に、匿名発信者の氏名、住所等一定の「個人情報を申立人に開示せよ」という裁判官の命令をプロバイダに対して出す形にする。その際、一般の仮処分等と同様に、これによって匿名発信者が被るかもしれない損害を担保するため、一定の保証金を申立人に積ませることも考慮してよい。
開示を認めるためには、被害者自身(未成年の場合は保護者を含む)を申立人とし、匿名の送信によって現に自分の法益(法的保護に値する利益)を侵害されている疑いが強い(実際に法益を侵害しているかどうかは、訴訟で決める問題であり、この段階では疑いがあるという程度でよい)ことを疎明(大まかな証明)することを要件とすべきだ。被害救済のための法的措置をとる前提手段を提供する制度なので、被害者以外の者にまで請求を認める必要はない。そうすると、わいせつ物陳列等の場合、警察は被害者ではないやめ対処できなくなるが、それについては刑事処分でデータを押収するなりすればよいことだ。
そして、発信者に対する送信禁止命令の仮処分や判決は、そのデータを蔵置しているプロバイダをも拘束することにすべきだ。法律上の義務に基づいて送信を停止するのなら、プロバイダが発信者に対して債務不履行や不法行為の損害賠償責任を負うリスクがないからだ。
このようにすれば、国内プロバイダからの発信に関する限り、被害者は、裁判官の司法手続きを利用してwebページの送信を停止させることが可能になる(但し、これでは加害者に対する損害賠償請求には役立たないが、送信を停止させて被害の拡大を阻止するだけでも意義は大きい)。
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マスコミは明確に認識していないが、前者が顧客の送信するコンテンツに関するプロバイダ(電気通信事業者)の管理責任の有無の問題であるのに対し、後者は掲示板(BBS)に書き込まれた記事に関する管理者の管理責任の問題であって、両者の違いにもっと注意を払う必要がある。
会員の間だけで交信されるパソコン通信はもちろん、広く誰でもアクセスできるインターネット上の掲示板でも、BBSは管理者が主宰運営するコミニティだ。確かにBBSの場合、雑誌等と違って投稿量が多く、管理者が実際上いちいち内容をチェックできないかもしれない。しかし、少なくとも会員等から指摘を受けてその内容を具体的に知りうるようになった以降は、編集者(publisher)と同様に著者と同一の責任、あるいは書店(distributor)と同様に情報内容を知りうる限度での管理責任を負うと解すべきだ。他方、電気通信事業者は、その取扱中の通信内容を検閲したり(電気通信事業法3条)、顧客の通信内容の如何によって差別的に通信サービスの提供を拒絶することを禁止されている(同法7条)。
では、電気通信事業法は何故通信の検閲禁止等の規定をしたのだろうか。それは、社会的インフラとして通信を媒介するコモンキャリアは、通信システム全体に対する信頼性確保のため、純粋に中立的な媒介者の立場におく必要があるからだ。もし、電気通信事業者が媒介する通信内容について責任を負い、取扱中の通信を検閲しうるとしたら、電気通信事業者の独断によって通信が途中で遮断されかねず、通信が正確に相手に届くかどうか心許ない状況になる。その結果、通信に頼らず直接コミュニケートせざるをえなくなったのでは、通信システムの社会的効用が喪失してしまう。確かに、違法な内容のものも含めて何でもかんでも媒介することは、反面のマイナスを伴うことも事実だ。しかし、法は、それでも一部の病理現象に配慮して肝心の生理機能を損なうことは角を矯めて牛を殺す(ブタを焼くために家を焼く)ものだという価値判断に立ち、敢えてコモンキャリアの管理責任を否定したわけだ。
私は、BBSは私的メディアにすぎないが、インターネットは社会的インフラを構成する通信システムであり、プロバイダをコモンキャリアと位置づけるべきだと考える。BBSとウェブページの違いは、BBSの場合、投稿者の書込が管理者の運営するBBSの内容の一部として掲載されるのに対し、ウェブページの場合、あくまでも発信者独自の通信であってプロバイダが表現形式に全く関与していない点にある。逆にいうと、例えばプロバイダが開設するページにライターの記事を掲載する場合のように、プロバイダ自身の表現の一部内容という形態でページを表示すれば、もはやコモンキャリアではありえず、編集者類似の管理責任を負うことになる。
インターネットとりわけウェブページは、世界に発信できる草の根メディアとして、単にビジネスにとどまらず、学術、文化、政治を含めて人間の活動全般に大きな変革をもたらす可能性を秘めている。そこで流される情報は極めて広範かつ多岐にわたるから、プロバイダにコンテンツの内容を審査して管理する能力を期待することなど到底無理な注文だ。それにもかかわらずプロバイダにこのような権限と責任を与えることは、社会にとって極めて危険であると同時に、誤った判断をしたときに責任を問われるためプロバイダにも酷である。インターネットの可能性を十分に引き出すには、プロバイダを電話会社と同様のコモンキャリアと位置づけて、コンテンツに関し一切責任を負わないニュートラルな通信媒介者の立場を貫徹させる必要があるのだ。
要は、被害者の救済を図るためには発信者の自己責任を追及すればよいのであって、プロバイダの管理責任に短絡すべきではない。この点で、マスコミの姿勢には大いに疑問を感じる。マスコミは、オピニオンリーダーとしても、またインターネットと競合する既存メディアの一員としても、インターネットの持つ可能性と正面から向き合い、自分の問題としてもっと真剣に格闘するべきだ。そして、自己の描いた展望に、主体的にリスクをとって、その将来を賭けるくらいの姿勢が必要だ。ただ、したり顔でお説教をたれているだけでは、インターネットによる変革の大波に飲み込まれてしまうだろう。
ご意見、ご感想等を右までEメール頂ければ幸いです: hayami@m.email.ne.jp