
[ おことわり ]
このエッセーは、1996年5月、当時の日弁連広告規定による懲戒リスクを危惧しつつ勇気をふりしぼって本サイトを開設するにあたり、理論武装のために掲載したものである。今では改正規定の施行(2000年10月1日)によって広告が原則自由化され、このサイトが広告に当たる否かということに余計な神経を使う必要もなくなった(客観的に“広告”に該当すると評価されるリスクに備えて、広告物保存義務等の規制に配慮しておくだけでよい)が、歴史的モニュメントとして残しておくことにした。
ちなみに、現在でも、私にはこのサイトが“宣伝広告”であるという意識は全くない。とはいえ、たとえ客観的にみて“広告”に当たると評価されようとも(原則自由化された今では、“広告”に該当するかどうかは私にとってどうでもよいことなのだが・・・)懲戒のリスクがないということで、解放感を味わっている(以前よりもノビノビと書けるようになり、本サイトの一部で自己規制していた表現を解除したりもした)。
「弁護士にも表現の自由はある!」と言えば、「何を今更改めて・・・」と思われるかもしれない。しかし、弁護士にはその表現において、他の職種の人にはない制約が課せられれている。現に、私がこのホームページを開く上で最も気にしたのも、弁護士の広告を規制する日弁連規定や規則である。
これらによれば、弁護士が使える広告媒体は、名刺、事務用せん、封筒、看板、挨拶状、事務所案内、同窓会会報、職業別電話帳、新聞雑誌等に制限されており、インターネットは入っていない。また、記載事項や回数、時期、配布方法等も、媒体に応じて細かく決められている。
そして、規制一般の常として、その射程距離は必ずしも明確でなく、規制側の恣意的運用に委ねられる部分が多い(本来違法でないものを、規制側の都合で違法化するのが規制であるため、規制側の恣意性が本質的につきまとう)から、規制を受ける側としてはどうしても萎縮的になる。まして、名刺や封筒の表示までもが広告の範疇に含められて規制の対象にされているのでは、なおさらだ。
そこで、このホームページ(以下では、その全体について本稿と呼称する)が広告規制の対象に該当しないことについての、私なりの論証を簡単に展開しておこうと思う。
もちろん、上記規定等は弁護士の「業務の広告」に関する規制であり、個人としての表現を制約するものではないから、弁護士と名乗らなければ問題になる余地はない。しかし、表現の内容によっては職業を明示した方が、論者のいわんとするメッセージが伝わりやすくなることも多く、殊に、本稿のように、ある程度の専門的レベルを有するものの場合、読者に情報価値判断の資料を提供するためにも筆者の職業や学位を明示する必要性は高い。現に、新聞への投稿や専門誌論文、単行本等の著作においても、筆者が弁護士であることを明示しているのが通常であるが、これらは一般に依頼者誘引を目的とするものではなく広告規制対象外とみなされている。
そして、本稿もインターネットという新しい表現媒体を使ってはいるが、その実質は自己の学習や体験に基づく知見を発表して世に問うものであり、雑誌等での論文・エッセー掲載と何ら異なるところがないものである。このように、その実質自体が「業務の広告」でなく、広告規制の対象外である以上、規定等が「業務の広告」を規制するにあたり、許容媒体を列挙する際想定していなかった新表現媒体たるインターネットを使っても、何ら規定等に抵触するところはないと考えられる。
ビル・ゲイツ氏も、一部の研究者が、情報提供手段として不便で遅いこれまでの論文誌に替え、インターネットを活用して研究成果を発表し始めている動きから、科学論文誌の未来に大きな影響が及ぶことを予測している(96年1月31日付日経新聞朝刊15頁「ビル・ゲイツからの電子メール」参照)が、社会科学の分野でもインターネットを使って発表していけないいわれはないだろう。
そして、インターネットの眼目は"双方向性"にあるのだから、Eメールのアドレスを開示して意見や批判を求めることも問題はないと考える。ちなみに、広告事項としてさえ、自宅や事務所の電話に準ずるものの番号(日本弁護士連合会調査室「弁護士広告規定の解説」13頁・15頁〈1991年〉によると、将来どのようなメディアが登場するかわからないので、ある程度包括的な表現にしたものであり、将来、新たなメディアが開発・普及した場合、その番号も入るであろうとされている)が許容されており、そもそも広告規制対象外である本稿においてこれを表示することも、何ら問題はないと解される(弁護士の著作には事務所名やその住所、電話番号を記載したものも多く見受けられ、これらが問題にされたという話も聞かないから、一般に著作にこれらを表示することは問題ないとする慣行が成立していると考えられる。そうだとすれば、実質的に著作の一種である本稿において、電話番号等よりも一層依頼者誘引効果の薄いEメールのアドレスを表示しても、全く問題にするには当たらないというべきである)。
上記のような検討は、部外者には「つまらないことに、何をそんなにエネルギーを費やしているのか」と思われるだろう(実際、私もそう思う)が、規制を受ける側としては、それほど慎重あるいは神経質になるものなのである。
那須弘平弁護士は、「弁護士職をめぐる自由と統制」(宮川光治=那須弘平=小山稔=久保利英明編「変革の中の弁護士ーその理念と実践 上」有斐閣〈1992年〉所収)において、「現実の日本の弁護士は、なお法律や弁護士会規則、弁護士倫理などによる実に多くの制約に取り囲まれ」ており、「これらの制約の多くは・・・合理的なものではあるが、中にいくつか弁護士の業務を必要以上に制約し、結果的に弁護士階層のみならず国民の利益を損ねているのではないか、と疑われるものがある」(同書116頁)と主張し、後者の例として、弁護士の兼職禁止及び営業制限や弁護士業務広告の禁止等を挙げておられる(同書125頁)。
そして、「弁護士業務の周辺には企業のM&A業務、都市再開発業務、法律情報提供業務、カウンセリング業務など法律事務と密接な関係をもちながらなお営業行為とみなされる種類の領域がある。今後、経済の高度化、情報化の進展にともないさらにそのような領域は拡大するであろう。・・・結果的に、営業許可制度は、弁護士の心理を萎縮させ業際領域における新しい芽を摘み取っていることになる。」(同書135頁)といわれるが、萎縮効果の弊害は業務広告規制等についてもいえるだろう。
日弁連は、弁護士増員受入に伴い、弁護士個々の職域拡大のための自助努力を提唱しているが、その前提として不合理な制約の見直しが不可欠なのではなかろうか(しかも、弁護士間の競争を促進する弁護士数増加だけでなく、示談交渉つき自動車事故保険や信託会社の遺言書業務等の参入により進行してきた弁護士独占業務縮小の流れが規制緩和により益々加速され、非弁護士との競争が激化することも視野に入れておく必要がある。たとえば、簡易裁判所手続においては裁判所の許可を得て非弁護士が訴訟代理できること、及び地方裁判所以上の裁判手続でも個人による本人訴訟や国の法務大臣指定職員による訴訟代理が認められることと対比して、地裁以上の手続で企業の社員による訴訟代理を制限することに必ずしも強い合理性があるとは思われないが、もしこの規制<現行民訴法七九条、新民訴法五四条>が撤廃されると、弁護士業界は大きな市場を失うことになりかねない)。
本稿エッセイ「"規制緩和論"は本物か?(経済戦略論的視点を交えた検討)」で検討した私の分析を前提にするならば、果たして日本の弁護士業界の提供するサービスが比較優位なのか、比較劣位なのか、それとも代替不可能なのかということは、本格的に市場が開放されてみないとにわかに断じがたいが、いずれにしても弁護士業界だけが規制緩和、市場開放の聖域たりうると期待することは極めて困難といわざるをえないだろう(WTOやOECDにおけるプロフェッショナル・サービス貿易自由化交渉の進展を紹介した上で、21世紀冒頭には「弁護士業国際化」の時代が到来することを予測される、川村明「WTO体制下における弁護士業の法的枠組」自由と正義〈日本弁護士連合会〉1996年4月号16頁参照)。
なお、この小論は、M.B.A.留学中に書いた「日本の弁護士市場開放問題」("Opening of Legal Market in Japan")のペーパーを下敷きに、基礎的な経済理論を当てはめて考えた私なりの試論であり(実は当初、私はそのペーパーを開放反対の立場から書き始めたのだが、書き進むうちにその立場を維持できなくなり、開放不可避との結論に変更せざるをえなくなったというのが実情である)、"市場"や"業界"という言葉も経済学や経営学の用語として使用しているだけであって、特定の方向へリードしようとする主張ではないので、この点、誤解のないようにお願いしたい。