オックスフォードの郊外(車で30分ほど)ウッドストックにあるこの宮殿は現在も第11代モールバラ公爵の住居です。
淡黄色の外観が周りの緑の自然と調和していて堂々たる美しさ。かの、チャーチル元英国首相が生まれた(1874年11月30日)のもここで、
その部屋と小さいけれども瀟洒なベビーベットや彼が父親に送った手紙等も公開されています。
交通
オックスフォードから北西13キロほど、バスで30分。レンタカーで行くのがベストですが、オックスフォードからのオプショナルツアーで参加するのも手です。入場料は8ポンド。行く価値、見る価値はほんとうにあります。
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ジョン・ハンブラー卿によってデザインされた バロック様式の傑作 1704年建築でその雄大さと美しさにおいてはヨーロッパ随一 |
宮殿の中のすべての品が国家遺産・・
宮殿内はほんとにすばらしい調度品や芸術品ばかり。でも写真撮影できませんでしたので、公開できなくて残念・・・とくに見どころは大図書館、55メートルの長い部屋には1万冊の蔵書(昔の本がたくさん)以外にも公爵家の肖像画や現在の公爵家のフォト、ダイアナ妃(ダイアナ妃のスペンサー伯爵家とは親戚)の写真も飾ってあります。すばらしく大きいパイプオルガンも芸術品です。
舘内には大理石のチャペルや先祖の肖像画が飾られたグレートホール、夢に描かれるようなサルーン(正式ダイニングルーム)、マイセンの陶器やタペストリーがたくさん飾ってあります。レディという漫画(日本人と英国公爵の血を受けるハーフの女の子が主人公)を大昔読んだのですが、まさにそれにでてくるようなお城、私が昔から思い描いていたまさに貴族のお邸です。見学して感動〜!!
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敷地は広い。約2,100エーカー!! 成田国際空港の6倍の広さですよ。 個人の館で!!びっくり!! |
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現在のモールバラ(スペンサー・チャーチル)公爵ご夫妻 ステキですね〜!! この写真と上の宮殿の案内図は入入場時、無料にて 配布されたパンフレットから転載させていただいてます。 (←BLENHEIM PALACEのスペルが逆 爆!!) |
モールバラ公爵家とブレナムパレス
こんなに大きなプレナムパレス!聞くとこの宮殿はアン女王(1702年戴冠)が王家の領地を与えて補助金24万ポンドが与えられたと東門の碑文には残されています。どうして、女王陛下はどうしてこんなに大盤振る舞いをしちゃったのかな??気になるのでちょっと調べてみました。
1665年にヨーク公ジェイムス2世とアンハイドの娘として生まれたプロテスタントのアン女王は1702年に英国女王として戴冠しました。彼女はデンマーク王のフレデリク3世の次男ゲオルクと結婚して9人の子をもうけましたが、成人せずにすべて死産。悲しい生活をお酒びたりで暮らしてほとんどアル中だったといいます。そんな彼女が寵愛していた一人の女官、セアラは小さい頃からアンの遊び相手で同性愛を噂されるほど、仲がよかったといいます。セアラはナイト(非世襲)階級の娘でしたが、アンの即位とともに女官長に登用され彼女の夫のジョン・チャーチルも主計長官に任命されガーター・ナイトとなり異色の出世を遂げました。
アン女王のセアラへの寵愛は地位、官位の任命にとどまりませんでした。1702年連合司令官チャーチルはフランス軍を撃退し帰国。女王は待ってましたとばかりにチャーチルをモールバラ公爵(デューク)に叙爵し5千ポンドの年金を女王在位中に与えることを決めました。(最初は終身年金を提案して議会に反対されたそうです)さらに1704年、スペイン王位継承をめぐるフランスとの戦いで以前以上の戦功を挙げたチャーチルとセアラに広大な王家の領地、オックスフォードのウッドストック〜かのエリザベス1世も姉のメアリ女王の命令で一時期この地で暮らしていたことがあります〜を与え5千ポンドの年金を上乗せしてブレナムパレスの建築をさせたといわれます。実際この宮殿と庭園が完成したのは1705年から17年後ジョン・チャーチルの死後となり巨負債が残されたといいます。
その後のアン女王とセアラの関係はどうなったのでしょうか?セアラは女王のもっとも嫌うホイッグのサンダーランド泊チャールズ・スペンサーの入閣を執拗にせまり、それをきっかけに不仲になったといいます。そしてその後の女王とセアラの間に割り込んだのが、セアラが養育し出仕の道を開いてやった従妹のアビケイル・ヒルでした。一代の寵愛ははかなくむなしいものです。ですが、現在のブレナムパレスはイングランド随一の景勝としてイギリスのみならず世界中の人の目を讃嘆させてくれています。