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アーサー王物語誕生〜HISTORY


アーサー王が数々の逸話を合わせて作られた物語であることは前述しました。
では、実際アーサー王は実在したのでしょうか?
こんな世界的にポピュラーな物語として普及されたのにはどのようないきさつがあるのでしょうか??

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アーサー王は実在したのか?〜当時のイギリスの時代

アーサー王が実在したとしたら、イギリス5〜6世紀、まさにブリトン人苦難の時代です。ブリトン人の視点から描いた人物で賢者と呼ばれる修道士ギルタスがこの時期のことを記しております。侵入してきたサクソン人を迎え撃つブリトン人側はアンブロシウス・アウレリアスというブリトン人かローマ貴族の指揮下で戦い、幾度も勝利を収めた。さらに最後の戦いはペイドン山の戦いでサクソン人側に大打撃を与え、その後50年前後のブリテンには平和が続いたということです。ですが、ここでアーサー王の名前は残されてはいません。

アーサーの名前が文書に登場!

アーサーは英語でArthur,ラテン語でアルトリウス,Artorius・・・古い英語ケルト語では熊のイミを持ちます。ウェールズに6世紀末に在住していたブリトン人の詩人が「ゴドディン」という英雄詩を書きそこにはじめて、侵入者サクソン人たちを奮戦するブリトン人、アーサーという英雄の名前が出てきますが、その活躍ぶりは以後私たちが知るアーサー王の活躍ほどではありません。

さらに、9世紀前半ウェールズの聖職者ネンニウスはブリトン人史をラテン語でしるし、そこにアーサーはペイドン山の戦いで勝利を収めたとあり、だんだんサクソン人に戦いを挑んだブリトン側の英雄として形になってきました。ただ、ここではアーサーは「王」〜キングでなく戦争の指揮官という地位になっています。もっとも、その時代の「王」の観念が広く地方の英雄でも豪族でもキングとよんでいたらしいですが。
それから、さらに語り部〜ドルイドたち〜吟遊詩人たちによって朗誦されていき、1066年ノルマン朝成立ウィリアム征服王(フランスの地のノルマンディー公)の影響もありイギリス全体にアングロ・ノルマン語(フランス語)の風潮が広まりイギリス、フランスに口承によってアーサー王物語は形づけられていきました。

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アーサー王の史実から物語へ転換

さて、口承によって広めたれたアーサー王物語が実際、文章(形)となり残されたものが1139年に完成したジェフリ・オブ・モンマスが記した「ブリタニア列王史」です。まさに現存する最古の集大成といえましょう。ここでは全体の3分の1にアーサーの物語がラテン語で書かれ、預言者マーリン、アーサーの出生の陰影、即位、美しい王妃、彼の行った数々の戦い、モードレットの裏切、アーサー王は死期にアヴァロン島へ運ばれるなど後世の物語の原型となる部分が描かれております。ジェフリはプランタジネット朝ヘンリーU世の父の側近であり、この列王史はヘンリーU世の命令で当時まだ英国内でヨソモノ意識の強かったプランタジネット朝の正当性を位置付けるために書かされたとも言われています。この列王史は史実としての真実性は疑わしいですが、数々の影響を与え、とくにこの列王史を「ブリュ物語」と名づけ当時の知識層のみしか理解できなかったラテン語からアングロ・ノルマン語(フランス語)に訳し一挙に英仏海峡を越えて一般化させました。

さらにフランスでは12世紀、クレチアンという作家が、アーサー王を題材した物語〜エリックとエニイド、クリジェス、荷車の騎士、獅子の騎士、聖杯の物語〜を5つ残しました。これによって、歴史→物語と完全に転換したといっていいでしょう。彼のこれらの物語は主人公はアーサー王ではなく円卓の騎士たちであり、アーサー王はアレクサンダー大王のごとく、強大で偉大な王となっています。また、この5つの物語では物語ごとに王の居城(のちにキャメロットで定着する)がそれぞれ違う地になっています。アーサー王の妃グィネヴィアと不義の恋に陥る騎士、ランスロットは荷車の騎士の主人公ですが、この物語はクレチアンがルイ7世の娘、マリー・ド・シャンパーニュの命令によって書かされ、恋愛の常識は結婚によって終結するものでなく結婚してから配偶者以外の別の人と作られるものだというこの当時のフランス宮廷の風潮を反映させています。それから、聖杯物語で、初めてキリスト教とつながり深い聖杯伝説を描いています。

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マロリー・キャクストン版完成〜現在へ

クレチアンの影響を受けこれらの作品はさらにいろいろな形で広がっていき、フランス語、ドイツ語、オランダ語、ラテン語、ポルトガル語、スペイン語、英語と様々な言語でかかれます。面白いことにこうして流れを追っていくと「英国の偉大なる帝王アーサー物語」はフランスから逆輸入されて流布されたという結果になります。では日本を含めて現在の世界でこれがアーサー王の筋書きだといわれるものを提供したのはというと、トマス・マロリー(1410年生)が著したものになります。彼は徒党を組んで強奪、盗み、暗殺など悪いことを繰り返し、何度も投獄、脱獄されています。一体本人と輝かしいアーサー王との物語の落差はなんだったのでしょうか???これはいまだに疑問です。アーサー王物語の最後の部分もロンドンの獄中で仕上げられ、これを出版して本にしたのが英国最初の印刷業者、キャクストンです。タイトルは「アーサー王の死」と題され現在でも広く普及されています(ちくま文庫・アーサー王の死)

・・・・改めて、アーサー王物語誕生までの歴史を振り返ってみると面白いです。日本も古くは古事記、平家物語、などが語り部や琵琶法師などによる口承で伝えられ、一般化してきました。また、ヤマトタケルミコトや源義経(実在はしていましたが)など悲劇のヒーロー的人人物にはいろいろなエピソードがくっつけられて伝説化してますもんね。ほんとに実在したかどうかも不確かなアーサー王は英国、いえ世界中の多くの人たちによって語り継がれ人々の希望や願いを込めたものとして形づけられていったのでしょう。


参考図書〜アーサー王伝説紀行(加藤恭子著、中公新書)

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