旧東ドイツにて


 1998年3月に旧東ドイツ方面を訪れる機会があった。最初にイメージしていたのは旧西ドイツとの格差である。統一からもう十年近くが経っているのだが、そういう先入観があった。その先入観を一層増幅させたのが目的地までの旅である。ブラウンシュヴァイク(ハノーヴァーの近く)で夕方の仕事を終えた後、ドレスデンに住んでいる友人の家へ向けてインターシティー・エクスプレス(ドイツの新幹線)に乗り込んだ。
 マクデブルグ、ライプツィヒを経由してドレスデンへ向かうのだが、接続があまりよくなくてそれらの駅で2回乗り換えなければならなかった。ところが最初の乗り換え駅で時刻表に表示されたプラットフォームには電車がいない。他の乗客も困惑している。駅員に聞くと二番線のホームの電車に乗ってくれ、という。首をかしげながらもその電車に乗ると、今度は車内アナウンスで何かよくわからないことをいう。前に座っていたおばさんに「何て言ったんですか?」と聞くと、「目的地は同じだけど、予定の経路が若干変わるらしいわ、私の理解ではね」。なんかおかしな話だ。それにしても、もう出発時間を20分も遅れてる。次のライプツィヒ駅で5分の待ち合わせで次の電車に乗り継がなきゃいけないのにこれじゃ間に合わないじゃないか!同じ気持ちの乗客もいたようだ。しきりとなんかわめきながらドアや窓をぶったたいていた。それまでの私の経験ではこのドイツ版新幹線はスケジュール通りに運行していたので若干面喰らった。
 案の定、電車は20分遅れてライプツィヒ駅に到着したので乗り継ぎの電車を逃してしまった。次の電車はあと40分後である。問題はドレスデンで迎えに来てくれるはずの友人にこれをどう伝えるかだ。職場に電話しても夜遅くなので出ないし、家にもいない。幸い留守電が出たので、遅れる旨を録音して次の電車を待つことにした。そしてライプツィヒ駅に入ったら驚いた。巨大な縦長のドームの広大な建物で照明はものすごく明るく、地下には巨大なショッピングモールがあった。フランクフルトの駅よりも立派である(下図)。旧東ドイツも変わったのだな、とそのとき初めて今までのイメージが偏見だったと思った。

Station1 Station2

 その後次の電車に乗り、目的地のドレスデンへほぼ1時間遅れで到着した。心配しながらも出口の方へ向かうと友人がちゃんと待っていた。
「Welcome to Dresden! いや、皆までいうな、事情は全てわかった」
「いやー、ありがとう、どうなることかと思ったよ。そうすると留守電の伝言は聞いてくれたのだね」
「え、聞いていないよ。だけど予定の電車に乗っていなかったので、色々推理して手を打ったんだ。最初間違えて一つ手前のドレスデン=ノイシュタット駅で降りたと思ったんだ。そこでドレスデン=ノイシュタット駅の駅員に英語の構内放送で君を呼び出してもらうよう説得したんだ。」
「え〜、じゃドレスデン=ノイシュタット駅で私の名前が連呼された訳か!なんか恥ずかしいな…」
「恥ずかしがる必要ないじゃない、誰も君の事は知らないんだから。」
「そりゃ、そうだが。」
「だけど反応はなかったんで、どこかで電車が遅れたかどうか調べてもらったんだ。そしたらどこかで電気系統の故障があってダイヤが混乱したらしいんだな」
「そういうことだったのか!」
「だから僕はドイツ鉄道を利用するのは嫌いなんだ。こういうことはよくあるからね」
それはちょっと意外だった。
「そうか?今まで何回かインターシティーに乗ったがこういうことは初めてだが。」
「いや、よくあるんだよ。だから僕は車で移動するほうが好きなんだ。」
ヨーロッパのなかでもドイツはもっとキチンとしていると思っていただけに、若干の失望感を抱いた。そういう意味では日本の鉄道は非常にしっかりしていると思う。融通が利かない面は多々あるが、少なくともいいかげんだ、という印象はない。先日のエシェデの大事故と関連があるのだろうか。
 結局到着が10時近くになってしまったが、夜のドレスデンを案内してもらった。非常にきれいだった(下図、教会(左)と宮殿の一部(右))。

Church Zwinger

 ライプツィヒ駅を見て旧東ドイツと旧西ドイツとの格差は非常に小さくなったように見えたが、それはやはり表面的な事象のようだ。その晩、友人と交した会話を再現したい。
私:「…というわけで、ハレの大学にその分野で有名な先生がいることが今日わかったんだ。その教授と連絡をとりたいのだが do you have telephone directory(電話帳はあるか)?」
友人:「え…?」
「Telephone directoryだよ。電話番号のリストが載ってる。」
「あぁ、directoryか。いや、do you have telephone directly(直通の電話はあるか)?と聞こえたんでね。」
「あ、いやいや失礼、directoryだよ。」
「いや do you have telephone directly?という質問でも十年前の東ドイツだったら意味のある質問だったがね。」
「え?」
「いや、個人の家に電話があるという状況はまれだった、ということさ。」
「ああ、以前にもそう言ってたね。たしかこの家にも電話が入ったのも5年くらい前だったとか。」
「そうなんだ。旧東ドイツでは情報のインフラはひどく遅れていたからね。」
「そうか…。やっぱり統一してから旧東ドイツの生活水準は上がったのか?」
「もちろん全然違う。それは疑いのないことだよ。」
 以前座礁した北朝鮮の潜水艦の唯一の生存していた兵士が韓国のおんぼろの民家に踏み込んで食事をもらっているすきに警察に取り押さえられたという事件があった。これは住民がこっそり電話で警察を呼んだのだが、つかまったその兵士は「あんなおんぼろの民家に電話があるなんて想像もしなかった」という認識のズレをはからずも露呈した。この話であの事件を思い出してしまった。結局共産主義が破綻したのはこういうところなのだろうか。

つづく


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