左から:多重録音はすでにプロの世界のものではなくなった。
守:多重録音ってのはもともとマニアックな趣味なんで、サークルで集まってやるって感じじゃないでしょ。
見里:そうですね。基本的には個人活動ですからね。
守:だからそういう意味ではどっちかというとアニメーションのファンとかパソコンのマニアなんかと似てると思うんだよね。例えばバンドなんかは共通の目的に向かって進むという感じで共同意識みたいなものがあるんだけど多重録音は全部一人でやっちゃうからどうしてもこもりがちになっちゃうわけね。バンドなんかは必ず人間がいるわけでしょ。
石黒:でも、ある程度聞かせる側を意識してる、っていうかバンドの練習も結局は似た様なものでしょ。
守:だけど作る側においては他の人間との交流があるわけじゃない。もともと俺は多重録音をやりたかったわけじゃなく、いろんな事をやっているうちに多重録音に行き着いた、って感じなのよね。つまりバンドでやるとかってのは結局音楽を作るための過程であって目的ではないわけでしょ。だから目的のためにはどういう手段を使っても構わないんじゃないかって感覚があるわけよ。で、俺はギターやってたんだけどギターだけじゃ音楽は成り立たないから他の楽器もやりたい、って欲求があったわけよね。
石黒:そうですね。おれなんかは楽器できないからな、ほとんど…。(笑)
守:うん、それに他の楽器なんかやってると時間がもったいなくなっちゃうわけね。
本田:それに楽器ができない人でもその音楽が作れるという意味では有効な手段ですよね。
守:そうそう。もともと楽器というのは手段であるわけじゃない。心の中のイメージを伝える手段でしかないわけだから、もしそれが機械でできたとしてもいいんじゃないかと思うわけよね。だから俺は楽器のテクニックよりもそれをならしめている感性の方が大事だと思うんだよね。それで多重録音にのめりこんできたって所かな。
赤池:じゃあ他のみんなが多重録音を始めるようになったきっかけというのを一人づつ話して欲しい。
小学生からの多重録音人間!
本田:僕は昔からクラシックが好きで交響曲なんかをどうしても一人で演奏してみたかったんで、それでリストのベートーベン交響曲のピアノ編曲版とかを弾いていたけれどそれじゃやっぱり物足りなかったんだよね。そういうこともあってシンセサイザーが出たとき、それを使って音を重ねて交響曲を作りたかった。その時にTEAC244の存在を知って多重録音を始め、それからはもう泥沼のようにのめり込んでいった感じですね。
川北:ま、基本的には僕も同じなんだよね。やっぱりオーケストラ、ていうかクラシックから入っていったでしょ。で、そういうのを一人でやってみたいとかさ、クラシックのような大編成の曲を書いてみたいな、と思うけど再生する場所がないから自分で全部やんなきゃなんないって事でしょ。でもやっぱ金がかかってしょうがないってのがありますけどね。(笑)
本田:うん、あと時間もね。時間がかなりかかるね。
見里:僕は小学校の時、富田勲のLPを聞いて…
守:すごい!超マニアック!本当の多重録音人間!(笑)
見里:…すけえなぁ、と思って。結局中二の時にシンセサイザーを入れて…始めからバンドでやる気はなくて、要するに入り方がロックとかフォークとかジャズとかいう分野の音楽に感化されてその世界に入ったわけじゃないんだよね。それで高校で映画音楽とかやってたんだよね。だからずっと多重録音をやってるんだよね。で、なぜ多重録音芸術研究会を選んだか - もちろん、他の音楽サークルの中でここが一番ピッタリだったのは当り前だけど、発表の場っていうか、一人よがりはいやだったからシビアに評価してくれる環境が欲しかったから迷わずここに入って来たという感じだね。
守:そうだな。見里君はその日のうちに電話してきたからな。四月一日に…。あ、二日か。一日はさがしてたんだよな。
石黒:おれも探したぜ。商学部ラウンジとか書いてあったから行ったらなにもねーんだもん(笑)。ま、ぼくの場合は中学のとき音楽はほとんど興味なくて高校のとき友達がバンドでYMOとかやってた。その友達の兄貴がMTR買った、てことで色々いじくってる内に多重録音を覚えた。で、本格的にやり始めたのはこのサークルに入ってから。機材なんかもほとんど大学に入ってから買った。
赤池:私は音楽に入って行ったのが小学校六年位から。ギターとか弾き出して、ちゃんとした形じゃないけどピアノとかパーカッションを入れたバンドに入ったオリジナルとかのコンサートとかやったたんだけど、自分の歌ってのはギター一本じゃなくて他の飾り付けで盛り上がるような気がして色々やってた。当時はデッキ二台使ってギター重ねてコーラス入れて…という感じの多重録音をやってた。高校に入ってから近所の縁で多重録音やっている人と知り合って、その人の家で初めてちゃんとチャンネルに分かれたのをやって…それは8チャンネルだったけどカセットデッキ重ねるよりは音質もよくて、こんなすごいことがアマチュアでも出来たんだ、と思って興味をもった。大学に入ってからアレンジなんかが人任せだとどうしても自分の納得するものが出来ないから自分で全部するしかないって感じで。それでバイトでまとまったお金が入るようになったから色々器材を買いましたね。
守:機材の話が出たけど、結局多重録音となるとどうしても機材がなきゃ始まらない、って所はあるね。昔はアマチュアが買えるような手ごろな機材はなかったね。だから昔は多重録音はやりたかったけど、もうプロの世界のことだから…、と思ってたのね。それで二年の終わり頃だったかな…生協にTEAC 244が置いてあったんだよね。当時、16万円位だったかな。それで、そんな安いのがあったのか、それならば、って言って買ったんだよね。それまではそんな安い値段で買えるって観念はなかったからね。それは非常にうれしかったね。
今後の多重録音のあり方については…
守:我々は多重録音そのものを好きでやってる人間が集まってるから、一つの音楽性を決めて、それに向かってやるわけじゃないから目的としてはそれぞれの音楽性を高めるって事じゃないかな。楽器を手段として見てるわけで、楽器に執着してるって感じじゃないでしょう?
石黒:でもシンセサイザーに執着してるじゃない。(笑)
赤池:でもその執着するのはその出来上がったものへの執着から来る執着じゃない?
全員:うーん(笑)そうだね。
見里:それで多重録音の「発表の機会」の事なんだけど、多重録音はショー、つまり見るものではないからコンサートとかは開きにくいわけだよね。だから発表するとしたら映像に頼るしかない、って感じじゃない?
石黒:うん。弾くのを見るよりは音楽そのものだからな。大学祭でもその辺に問題があったし…。
守:ま、僕はもう年だから(笑)今年は手探りみたいな感じでサークルを始めたわけだから、今後の多重録音のあり方については僕はみんなも含めて新しく入ってくる人達に期待したいね。
昭和60年3月20日